普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

【支配=管理】からの卒業

今週のお題「〇〇からの卒業」ということで思い出すのが尾崎豊の「卒業」という曲だ。

ついこの間もお昼ご飯を食べに行ったラーメン屋のラジオで流れていて、「ああ、そういう時期だものな」と思いつつ最初はぼんやりと曲を聞いていたのだけど、だんだんと歌詞の内容が気になり始める。そして

「これ、ダサいのでは…?」

という思いが心の中でむくむくとふくらみはじめてしまったのだ。これは自分の中でも意外な気持ちというか、少し複雑な心境となった。

中学の頃は「共感できる」と同年代から評判の曲だったし、僕も共感はしないまでにしてもそういうふうに思うひともいるわな、くらいで流していたのだけど、改めて歌詞を聞くとこれに共感できちゃうってちょっとまずくないかなと思ったのだ。

だって夜の校舎窓ガラス壊してまわってるひといたら「うわぁ…」でしょ?他にも虚勢を張ったヤンキー思想的な表現が散見されるうえに、ビーバップみたいに笑える感じでもない。

今この内容で新たに新曲としてリリースされたら共感を得られないどころかたぶん炎上案件だろうし、ちょっと引かれてしまう可能性すらある。僕が今の年齢になったというのも違和感を感じる原因のひとつかもしれないけれど、時代による基本的な思想傾向が変わってきたというのもあるような気がする。

学生であることを「支配されている」と考えるのは現役学生の頃はよくある考えではあると思う。実際のところ尾崎豊が中学生のころは今よりコンプラががばがばだったと思うので、教師も今より支配的ではあったかもしれない。ただ、ありがちな話だけれども、いわゆる「大人」になると学生って楽だったよなと思ったりするわけだ。学校に行って勉強しているふうにしていればとりあえずは日々を過ごしていけるのだから。

僕の学生時代は暗黒なので戻りたいとはまったく思わないけど、やっぱり楽は楽だったなと思える。天気の良い日は仮病をつかって早退し、部屋の模様替えを頻繁にしていたあの頃。どう考えても今よりゆるゆるの生活だ。ちなみに模様替え中は大音量でネオクラシカルなメタルが流れていた。

学校に所属していることを「支配」と感じるのであれば、箱がだんだん大きくなるだけで社会生活の中で「支配」から逃れることはできないだろう。支配も状況によっては管理であるわけで、管理されているというのは安全が担保されている状態であるとも考えられる。放り出されて100%自由にやっていいよって言われても僕ならあれこれやっていける自信がない。

でもたぶん尾崎豊も彼の言う「自由」を手に入れてからのほうが苦労をしたことだろうな。あとこれは念のために言っておくと別に尾崎豊をディスってるわけじゃないですのでそこだけは本当にご理解いただきたい。怒られたくないんです、ほんと。

 

ついでなので自分の卒業エピソードでもと思い返してみたのだけど、全然記憶がない。唯一覚えているのが、高校の卒業式で卒業生代表として壇上にあがり、なにかを受け取ったということなのだけど、何を受け取ったのか覚えてない。ふつうに考えると卒業証書だと思われるが、あれってひとりひとり受け取りに行ってたような気がするので何か別のものかもしれない。

僕は高校で留年しているので長く通って頑張ったんだから最後に華をもたせてやるよ的な担任のはからいだったが、その思いやりは見事なまでに空ぶっていた。嬉しくないもの、そういうの。ちなみに担任は体育教師だった。やっぱりあっち側のひととはわかりあえない。

そして当日、嫌だなと思いながらも壇上へ向かうことになったのだけど、緊張しすぎて手と足が一緒にでるというマンガみたいなことをしてしまった。本当にあるんですよ、あれ。

卒業ということであれこれ言ってはみたけれども、次卒業するとしたらたぶん会社員だろうなと不穏なことをぽろりといって本日はおいとまいたします。

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窓ガラス割られちゃってる側の写真