普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

医学の進歩と運とめぐり合わせ

昨日は腎臓移植を希望している患者が年に一度、移植を行う予定の病院に診察兼面談に行く日だったのではりきって行ってきた次第である。

大きな総合病院についてまわる膨大な待ち時間を覚悟して乗り込んだのだが、おどろくほどの短時間で診察、面談ともに済み、1日がとても有意義なものとなった。みんな昨今の状況から大きな病院にむやみに近づきたくないということなのだろうか。

問題があったといえば受付のひと患者のさばき方がものすごく雑だったということくらいである。言わなくてもわかってるでしょ的な対応をされたが、こちとら言われなければわからない。

大きな病院なだけに色々なひとが来院するのだろうし、誰から構わず丁寧に対応なんてできないかもしれないけれども、カリカリするのはよくないよな。自分は常に機嫌よくいられるような人間でいようと思うのであった。

 

外来病棟は吹き抜けになっており、上階から下をのぞき込めるような造りとなっている。この景色、どこかで見たことがあるようなと思い、結果としてひねり出したのがこちら。

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ミニチュアだ。あくまでもミニチュア加工をした写真。もっというとかなり前にめざましテレビの占いのコーナーの背景画像として使われていたあの雰囲気だ。

どれだけのひとに共感を得られるかわからないけれど、そういうものだと思ってご査収いただきたい。

 

肝心の移植に関してはまだまだチャンスはまわってこなそうである。それどころか、ケースによっては可能性がさらに下がるとも言っていた。稀なケースではあるが、子供から摘出された腎臓は子供にしか移植してはならないと決まったそうだ。

これまでは子供から摘出された腎臓でも老人に移植されていたケースもあるとのこと。ルールからいえば順番がまわってきたのだから移植されるのは当然の権利ではあるのだけれど…

ね?わかるよね?買ったばかりのおもちゃと今まで散々遊んでもうそんなに遊ばないかなと思っているおもちゃ両方の電池が同時に切れちゃって、新しい電池が片方ぶんしか用意されてなかったら新しいまだまだ遊びたいし遊ぶだろうなっておもちゃに電池入れちゃうんじゃないかなあ!そうなんじゃないかなあ!

ま、そういうことなんだと思うわけです。こういうのは深く掘り下げると倫理とかそういうところに抵触しそうだからやっかいな話である。

僕はといえば世の中タイミングとしか考えてないので、くるときには自分の番もくるだろうくらいにしか考えてない。ちゃらんぽらんでよかったなと思えるときもたまにはおとずれるものだ。

普通の移植としてはたぶん年末ジャンボ宝くじで5等あてる方が確率高いんじゃないかなというくらいの確率だ。

しかしクローン技術の進歩により自前の腎臓を作り出してもらい、それを埋め込んでもらうというのはどうだろう。もしかしたらそちらのほうがタイミングとして早くおとずれるかもしれないと思っている。

そこで気になるのが腎臓の質だ。100%自前の細胞であり、いわば自宅敷地内の家庭菜園からのとれたて野菜のような腎臓である。拒絶反応というものはまず起こらないであろうと思われる。

しかし、やはり元々あった腎臓と同じような運命を辿るのだろうか。僕の場合だったら7歳くらいで腎機能に異常が出始めたのだけど、移植後7年後くらいで肝腎要の臓器からからだにつまったそら豆型の肉塊となってしまうのかが気になる。

腎移植のコーディネーターさんに聞いてみたらありえるかもしれないけどなんとも言えないと返された。当たり前である。面倒くさいこと言い出したなこいつ、と思われただろうな。

ただ、今の技術と疾患を経験したものの行動というのがあれば腎臓の未来は変わるのかもしれない。

 

「未来は一方向だけに進んでいるわけじゃないわ」

 

AKIRAのキヨコのセリフを思い出した。ついでにいうと僕はタカシに似てるって言われたことがあったことも思い出した。

腎臓は機能しなくなるとしぼんでしわしわになるというけれど、僕自身が腎臓そのものなのかもしれない。しわしわ。