普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

踊る阿呆と直立不動

山崎パンが発がん物質をパンの製造に使用しているという。その物質は臭素酸カリウムといい、モノとしては結構評判がよくないものであるとのこと。まあそれはそうだろうけど。

ではなぜ山パンがそんなけったいなものをパン作りに使うのかといえば、臭素酸カリウムがあるとなしでは完成品のレベルがまったく変わってくるからだというのだ。

ドーピングみたいな話かと思ったらそうではなく、つかうにはつかうけど、完成品になるまでに臭素酸カリウムとしては残存させないように使用するのだという。なんだか科学的な説明がきちんとあったけれど、ざっくりいえば香水にうんこの匂い成分が使われてるみたいな話なんじゃないか。たぶん違うけど。

こういった話題で気になるのは話の上っ面だけとらえて山パンたたきをするひとがいるのだろうなということだ。「山パンが」「発がん物質を使用」ここだけを見て。そういうひとが非常時にものの買い溜めにはしるひとなんだろうな。で、騒動がおさまってきたころにきちんと説明しないのが悪い!とかキレるのだ。いや、しとるがな、である。

そもそも、デマを流すひとというのはなんなのだろうと真剣に不思議に思う。広めた本人がデマと気づかず親切心というか情報共有のつもりで広めた話がデマだったというケースもあるとは思うけれど、デマとわかって意図的に広めているひとというのもいるようだ。誰得?と思ってしまうのだけど、デマを広めたがるひとというのはそういった自分が発した情報が広まっていくことに愉悦を感じるのだろうか。そんなものに愉悦を感じるなら変態性癖をもっているほうがまだ健全だ。好きな娘さんのリコーダー舐めたりな。いや、僕は絶対してないですけどね。むしろそういうのちょっとダメなんですよ、衛生面とかそういうので。でもやっぱりデマを流して喜んでいるひとよりは全然よい。

デマということでないにしても、大きなくくりでいえばマスコミなども同じ枠だ。嘘はついてないけど印象操作でマスコミの考えをひとびとに浸透させる。いやまあ嘘ついてることもあるのかもしれないけど。昨今のコロナの話だって、不安要素ばかり伝えてただ煽ってるだけにしか感じない。あと一番いらないのがコメンテーターだ。ニュースは事実を知れればそれでよいわけで、一個人の感想などは求めていない。少なくとも僕は。事実を知れたらそこから先は自分で考える。わからなければ自分で動いて調べる。それでよいではないかと思う。

すっかり愚痴っぽくなってしまった。心がささくれだっている。ささくれってついむいてしまうんだよな。指とかにできたやつ。そういうのって大体むけすぎて後悔するのだけど、心のささくれはむいたらどうなるんだろう。自分でも意外な本心にたどり着いたりするかもしれない。ちょっと何いってるか自分でもよくわかんなくなってきた。

こんなときこそパスカルパイセンの言葉

"人間は考える葦である"

の意味を考えよう。この言葉も大概だと思うけれど。