普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

受容体増えがち

なかなかにしてアクティブな連休であった。

まず土曜。シーズン恒例の先輩とのおキャンプに行ってきた。今回は先輩もまだ未踏であるというキャンプ場で、場所は大洗。大洗と言えば海だ。北関東民のビーチとしての役割を一手に引き受ける(偏見)大洗サンビーチ隣というロケーション。これはよい。おじさんふたりでというよりカップルで行きたいようなそんな場所であったけれど、どうあがいても四十を過ぎたおっさんふたり。そこは心の中の乙女を絞り出して柔軟に対応していくしかない。

毎回キャンプ日は天気に恵まれていたのだけど今回は鉛をとかしたような曇天模様。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけテンションがさがった。それでも海を臨むキャンプ場は素晴らしく、テンションをもちなおすには充分な眺望であった。

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ちなみにこれは一晩経って晴れてるときの写真。

海が近いということで海鮮をせめようという事前協議がなされていたため、港近くの市場まで食材調達へ。程よくリーズナブルな牡蠣を買ったり、やっぱり大洗といえばアンコウであろうとアンコウ鍋セットみたいなもの、そしてあん肝を購入した。アンコウ鍋セットを買おうとしているとき、僕は絶対に一人前で良いと主張したのだけど、先輩が「いや、絶対に足りなくなるから」と自信満々にアピールしてくるので、それならばと二人前購入した。

結果、やはり一人前は手付かずで持ち帰りとなった。ほら、言ったじゃないか。先輩はおっさんの食の細さに無自覚だ。まあ、作り過ぎて捨てたとかではないのでまだよいのだけど。

そしてあん肝についても半分は持ち帰りとなった。これについては量としてはたいらげることは出来たかもしれないけれど、お互い尿酸値に問題を抱える身としてプリン体に恐れおののいての判断だ。

毎度のことながら食材の量のちょうど良さを見誤るという恒例行事を経ながらも、キャンプそのものはよき具合で進んでいった。

ちなみに今回はいわゆる冬キャンとなるわけで、2月の半ばという最も極寒の時期でのキャンピング行為である。気を抜いたら死ぬなと結構本気の防寒対策をしてキャンプにのぞんだのだけど、拍子抜けするほど寒くなかった。やはり暖冬なのだな。これなら11月のキャンプの方が体感的には寒く感じたくらいだ。そういう意味では冬キャンの醍醐味というのはまだ味わえていないのかもしれない。こういうこと言ってる人間が死ぬ側の人間だ。皆様におかれましてはご賢察の上、適宜ご対応いただきたい。

いつものように酒を飲み、先輩の聞いてよいのかどうなんだかわからない話を半笑いで聞き、夜は更けていった。

と、ここでひとついつもと明らかに違う行動パターンをとらなければいけない。

実は知人が亡くなったことを数日前に知らされており、それが日曜なのでめちゃめちゃ早朝に起きて朝のうちには都内まで戻らなければいけないことになっていたのだ。せっかくのキャンプなのにそれに対応してくれた先輩には感謝しかない。

そんなわけなので、朝5時起き。日の出前で辺りはまだ真っ暗。そんな早起きするのもういつぶりだかわからないくらいに早起きした。

二日酔いもそんなに問題あるほどではないし、何より段々と海が明るくなってくるのが美しい。当然日の出も見られる。これは怪我の功名、もしくはたなぼたみたいな話だ。

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こういう自然の美しさって心に焼き付くものがある。次回もぜひこのキャンプ場に来たいなと思わせてくれる眺めだった。

いそいそと撤収作業をし、当初の出発時間より少し遅れての現地出発となった。まあお願いしてる立場だ。そこは先輩の都合を察するのがよき後輩というものだろう。

特に問題もなく帰路についたのだけど、さすがに電車の中ででは睡魔がすごかった。君と僕、そんな仲良しじゃなくない?くらいの距離感で詰められた。睡魔をさとしながら地元駅に到着。大急ぎで香典袋などを用意し、身支度を済ませ、家に滞在30分くらいで斎場へと赴いた。

こういうことって人生でそう経験することではないからルールだのマナーだのがいまいちわからない。香典袋の書き方のマナーもやはりいろいろあるらしく、薄墨の筆ペンで書くことがよしとされているらしい。理由は涙で滲んで墨が薄くなってしまった。だとか。

くだらねえ。と秒で思ったけれど、そこは僕もいい加減大人だ。郷に入っては郷に従う。きちんと薄墨対応をした。

僕が死んだときなんかはもうそんなんシャーペンとかでも構わないです。書くことが書かれてればそれで結構。

慌ただしく葬儀にむかい、受付、焼香、最後のお別れを済ませてたばこでもと喫煙所に向かうと懐かしい面々が揃っていた。

今回の葬儀は昔働いていたライブハウスのオーナーのもので、顔も広いし音楽関係者もやはり多い。あとオーナーはゴールデン街にもかなりの頻度で通っていたのでお酒関係の弔問者もかなりいたと思われる。いずれにしてもあれだけの数のひとが訪れるのだ。オーナーの人柄なのかな。まあ結構際どい部分はあるけれど。

そういったことなので、喫煙所に揃っていた面々というのもライブハウス勤務時代の同僚ということになる。懐かしいけれど、みんなそんなには変わっていなくて、最初は少しぎこちなかったけれど、すぐに打ち解け昔のような会話となった。

ブッカーのひとりが「段々とみんなで集まるタイミングってこういうときになっちゃうのかな」といっていたのが印象的だった。

そして当然のように酒を飲む。見事なぐらいの飲兵衛しか揃っていない。男女ともに。また日中だったのでファミレスで酒を飲もうということになったのだけど、会場はあっという間に居酒屋になった。

これがみんな酒豪なのだ。20代のころとか仕事の時間以外酒飲むことしかしてないんじゃないかなというくらいにみんな飲んでいた。当然女性たちも。むしろ女性のほうが飲んでいたんではないかというくらいだ。

こうしてもう15年以上前に知り合って、そこから縁ができ、今でも繋がっていられるって幸せなことだ。それが人生をかけていた音楽での繋がりというのがまた特別であると感じる。

結局日付変わるくらいまで飲み続け、終電前には解散となった。半日飲みっぱなしだった割には意外と今日は二日酔いは問題なかった。

でも単純に身体の疲労は抜けきっていないようだ。

 

オーナーがライブハウスを作ったからこそ、僕たちが出会える場所が出来たわけで、同僚たちとの時間はかけがえのないものになっている。昔も今も。そんなオーナーには感謝し、機会があればお墓参りとかもしよう。

将門煎餅持ってな。

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