普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

環境による醸成

人生の中で生活の大半を共にできるひとなどというのは本当に限られていると思う。僕の場合、他のひとよりもその傾向が強いかもしれない。それでも、それが出来るひとと出会え、結婚に至った。幸運かつ幸福なことだ。

ある意味運命的なひととも言える妻。僕はもうよくわからなくなってしまったけれど、少しエキセントリックな部分はあるのかもしれない。

しかしそれは彼女自身の素養だけではなく、彼女の過ごした環境にもあったのでは、と推測している。

真冬の時期、妻の祖父は早寝遅起きらしく、早くに布団に入り、なかなか布団から出てこなかったという。そしてその間目出し帽をかぶっているというのだ。理屈としてはわかるけどそのチョイスする?というのが素直な感想だが、そこは理解力があり、かつウイットに富んでいると思わせどころ。合理的だねえなどと否定とも肯定ともとれない曖昧な返事でかわした。わかるけどわからないという絶妙なラインを繰り出してくるあたり、やはり妻の祖父だ。でもよきおじいちゃんです。

友人についても聞いたことがあるが、マイペースというか自然体というかそんなひととの付き合いがちょこちょこあったようで、真夏にハンカチを貸して欲しいと言われ、貸したら真っ先に脇を拭くひと、手紙の糊付けに米粒を使うひとなどそれクラスのひとは周りにわりといたようだ。

僕の友達にも変わったひとというのはいるけれど、ベクトルが違う。妻の友達は変わってはいるけれど牧歌的だ。しかしまあ考えようによってはひとのハンカチで脇を拭くって下着が夫婦共用だという佐藤蛾次郎よりもかなり親密な関係であるようにも思える。妻は真顔だったというけれど。ちなみにハンカチはひと通り満足するまで使用されたあと、現場で通常通りの返却がされたそうだ。怖ぇな、もう。

僕の友達はなんかちょっと狂気みたいなものを感じるのでその点での怖さはないとはいえないけれど、そういうところがあるから友達として付き合いたいと思えたりもする。というかたぶん、毒も影もないひとと上手に付き合う術を持ち合わせていない。澄んだ水では生きていけないということになるのだろうか。それは進化する側の生き物っぽさがあるような気がする。世紀末都市で生きるものとして。地球パイセンの人類ネクストステージ計画へのオファーを待とう。

毒とか影とかというとわからないけれど、妻にもなにか澄んだ水とは違うものがあると思うのでネクストステージは大丈夫であろう。

判断し難い例として、子供のころに友人からの誘いを受ける際に「デカい死んだ魚見つけたから見に行こうぜ!」と、妻は誘われたのだそうだ。その誘い文句にとてもときめきを感じたという。マジで?と思うでしょう。そういうところなんですよ。一応好きな男の子だったらしいので文言以外は青春の1ページととらえることも可能かもしれない。

 

僕が妻に出会ったころというのはそういった環境で醸成されきった状態での妻だったのかもしれない。それは素通りはできるはずはない。

 

無理やりまとめるとひととの出会いは運命的。出会いから付き合いになり、それが続けば奇跡ともいえると思う。そういうのは大事にしていこうと思う。