普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

最終的にはバトルロワイアル

何事もなかったように仕事始まった。何かあっても困るという話ではあるのけだけど。

新年の初めということで上司たちに新年の挨拶をしたりするのがどうにも苦手だ。なんだか白々しい感じがして。ちなみに年末の挨拶は面倒だったので酒のどさくさで逃げた。あの感じ挨拶の感じが会社員ぽくてよいと思うひともいるのだろうか。

飲み屋の知人などに会ったら言ってるんだか言ってないんだかわからない感じであけおめーでおしまいだものな。別に挨拶することが大事な間柄でもないし当然といえば当然か。

新年の挨拶なども含めて、マナー云々というのはどうにも気にすれば気にするほどに滑稽だと感じてしまう。別に無頼ぶろうとかそういう話ではなく、互いに気持ちよくコミュニケーションがとれればそれでよいではないかと感じる。

とはいえ、初対面のひとがとんなことが不快に感じるかわからないのは確かだ。その平準化のためにマナーというものが謳われているのかもしれない。

と、いいつつも、マナーと思ってとった行動に不快感を示すひとだっているだろう、中には。そういったことを考え始めると、マナーどうこうというよりも、自分の中でベストと思える行動をとるのが結局あとでもやもやしないで済む方法であるかもしれない。

だいたい、タクシーの乗り方とか、ビールの注ぎ方とか、そんなことで本気で不機嫌になるひとがいたとしたら大丈夫なの?とすら思ってしまう。そこを気にするような立場ということはそこそこ上の立場のひとなのだろうけど、なんでそんな器の小さなひとがそのポジションにつけるのだとすら思う。

タクシーの乗る席にそんなこだわるって定位置にひとをつかせて結界でもはるつもりか。

座席っていうかもう陣形じゃないか。なにか特殊能力でも発揮させようとしてるのかと。

あとはメール送った後に電話してくるひと。もう逆転の発想で話したことが勝手にパソコンに文字として記録されるようなシステムを開発したらいい。こっちはこっちの都合でメールを開封したいのだ。メールで概要を伝えて詳しいことを電話、的なことなのだろうけど、そういうタイプのひとの場合、電話で話していることこそ後のために残しておきたい内容だったりする。

ていうかこれはマナーの話ではなく、仕事の愚痴だ。さすがにタクシーの件はまだ経験はないけれど。

世の中マナー警察みたいなひとが一定数はいて、それはマナー違反ですよ、とさも当たり前のように指摘しているのをみたりするけど、そのマナー、誰も気にしてなくて君だけしか知らないマナーで指摘によって場の空気がよどんでしまうのだとしたら、それこそその指摘こそがマナー違反たりうるのではと。

結局はそんな程度の話だとは思っている。

もう極論、マナー違反を常に気にするひとたち同士のコミュニティを作ってもらって一緒に生活してもらい、どこまでマナーを指摘しあえるかをはたからみたい。日々、様々なひとが互いにマナーを指摘しあってしのぎをけずり、行動が平準化していくのだろうか。それともそのマナーは間違い、こちらが正しいのだと新しいマナーが次々と生み出されていくのだろうか。

そしてやはり得意分野はあると思うのだ、それぞれ。箸遣いのおケイ、洋食器プロフェッサーみつる、(魚の)骨取りお京など。自宅招来王のディアスだっているかもしれない。

共同生活が終わる頃、誰かのマナーが残り、淘汰され融合していくのだとしていたらそんな光景を見てみたい。