普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

なんという感情なのか

感動したい。漠然とそんな思いが最近ある。

もう少しいうと、心を動かされたいということなのかも。

何によって感動したいかといえば、たぶん自分の感性に響くものということだろうと思う。すぐに思い付くものは景色、創作物だろうか。

特に圧倒されるような景色に心を突き動かされたいというのは思いとして強めかもしれない。そんなことを思っているからなのか、筑波山にいきたいと思っている。

行ったことはないし、たいした前情報も得ていないのだけど、たぶん感動する。

あとふもとにガマパークみたいなB級スポットがあると聞くのでそれも見たい。

元々思い付きで行動することが多いのだけど、最近は年齢のせいなのか環境のせいなのかなかなかそうもいかないところに歯がゆさを感じる。その歯がゆさが巡りめぐって感動したさを生んでいるのかもしれない。

そもそも、最近なんだか自分のなかでなにか心に違和感を感じる。心がカサカサするというか。なにか変化だの刺激だのを求めているような気がする。

思えばなんだか生活もパターン化して、ある意味では安定し、日々がなんとなく過ぎていってしまっているような気がする。

良いことなはずだし、そんなものをわざわざ乱す必要も微塵もないはずなのになにかこう…乱してしまいたい、新しいことをしたいという気持ちがある。

でもそれはダメなことだし、後で絶対に後悔するというのも今までの経験上わかっているのだ。

でもなあ、となる。堂々巡りだ。

なにかちょうどよい落としどころを見つけないとこれはちょっとまずいのかもしれない。