普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

友情とは

僕は友達が少ない

なにをもってして友達というのかというところだけど、個人的には気を使いながらも気がねなく誘ったり、誘われたりという事ができ、多くを語らずとも相手の事を考えられる事で友情を感じるように思う。もちろんそればかりではないけれど。

 

現在上記のような意味で友人と呼べるようなひとは少ないし、貴重な存在だ。おそらく今後の人生でも繋がりをなくさないよう努力するだろう。

 

そんな現在の僕ではあるけれど、高校の頃はもっと友達が少なかった。というかいなかったといっても過言ではないかもしれない。

まあゼロではなかった。思い付く限りでは3人だ。よしあきと良と吉岡くん。

その3人以外とは日常的な会話すらほぼなかったように思う。しかもよしあきと良は遠方に住んでおり、日常的に会うのは同じクラスの吉岡くんのみであった。

ほんと、思い返すとすげー生活してたなと思う。でもそのときは特に大きな不満もなく、むしろギターやゲームなどに精をだし、楽しんでいた。

 

今にして思えば、3人とも変わっていた。たぶん今初対面でもきっと仲良くなれているような気がする。少し変わったひとというのは好きなので。

 

吉岡くんはメタラーであった。

ただでさえニッチなジャンルであるメタル。そのうえ田舎の高校だ。メタルをこよなく愛するものなど存在するとは思っていなく、ただひたすらにメタルを聞く生活を送り、ヒットチャートしか聞かないクラスメイトを蔑んですらいた(実際は僕もヒットチャート聞いてたけど)。

そんななか、ひょんなことから吉岡くんとの会話で彼がメタル好きであることが判明したのだ。

水を得た魚のようにメタル談義をかまし、吉岡くんとの距離はちぢまったのであった。

今思うと結構そのときの自分はキモかったかもしれない。

 

良はギタリストとしての付き合いだった。

養護学校時代のふたつ下の後輩というポジションなのだけど、あまり年齢関係なく友人として深い付き合いであったと思う。

少し遠方にすんでいたのだけど、毎週末うちに遊びに来て、ふたりで自宅録音にいそしんだものだ。

録っていたのはもちろんメタルだ。

あの頃の僕はちょっと心配になるくらいにメタルにぞっこんだったので、なにはなくともメタルだったのだ。

ドラムマシンでドラムを打ち込み、カセット式の4トラックマルチレコーダーで何十曲とメタルバンドのコピーを録音した。

あれは後のバンド生活の下地になっていたのではないかと感じる。小手先のテクニックだけならあの頃が一番あったかもしれない。

ダメなところのほうが多かったけれど。

良とは学校以外の時間の多くを過ごした。

一緒に上京し、一緒にバンドをやらないかと誘ってはみたが、彼はあまりそういうことは考えていなかったようで、地元でしばらくはギターを弾いていたようだ。

 

そしてよしあき。彼は俳優志望だった。

高校入学時のクラスメイトで、ちょこちょこ会話はしていたのだけど、そこまで距離の近い人間ではなかった。

理由は忘れてしまったけど、彼は突然学校をやめた。そこでしばらくはつながりも途絶えていたのだけど、どこかのタイミングで再度連絡をとりあうようになり、そのとき彼は上京し俳優活動をしていた。

東京の家に遊びに行かせてもらったりし、彼が学校をやめてからのほうが仲がよかったという珍しいケースだ。

僕が上京したばかりの頃、先に上京していた東京の先輩としてよく家に遊びにいっていたな。

そんな彼ともそこまで会わなくなっていき、最後に連絡をとったときには地元に戻って家庭を持っていると話していたな。絶対浮気とかしてると思う。

残念ながら彼はメタラーではない。

 

高校生活を通して友人らしい友人といえば上記3人くらいだった。

当然学校終わりに遊びにいくなどといったことはないので爆速で家に帰り、ギターを弾きまくっていた。よくあんな弾いてたなと思うくらいに弾いていた。

むしろ天気のよい日は早退してギターを弾いていた。部屋の模様替えをしてから。

なぜか、とても天気のよいよい陽気の日、僕は猛烈に部屋の模様替えをしたくなる性分だったのだ。

そのため、自分が病気であるという立場を利用し、仮病を使いたおし、単位を落とさないギリギリまで早退を繰り返した。

部屋の模様替えをもそれだけやっているので今ならぜったいやらないだろうなという攻め気味の配置などもそのときはしていた。懐かしい。

 

少ない友人、メタル、ギター、ゲームという高校生活を4年すごし、上京することになるのだけど、上京後の生活はまた地元の生活とは異なるものたなった。

 

なんか長いし疲れてきたのでそのことはまた今度にしよう。

 

どう考えても華のある高校生活ではなかったし、なんなら暗黒時代だったのでは、とすら思ってしまうが、本人はそこまで気にしていなかった。

 

喉元すぎれば熱さ忘れるというやつなのかもしれない。