普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

その光景 妙に懐かしい

小学校低学年の頃、島根に住んでいたのは以前にも書いたことだけれども、その頃の体験というのは今に活きている部分もあるのだなと今日は感じた。

 

島根県の山あいの「集落」としかいいようのない、近代日本においてここまでの田舎があるのかというような場所に当時住んでいた社宅はあった。

当然、自然もいっぱいである。

島根の前は東京住まい(とはいっても八王子)だった僕には毎日新鮮な発見があった。

たとえば、広大な田園風景。

田植えの時期には水がはられている広大な田んぼにずぼずぼと入り込み、なんだか楽しくなってきて暴れまわってしまったほどだ。

暴れまわっていたら、農家のおじさんが怒鳴りながらやってきてたぶんうまれてから最速のスピードで逃げた。

事なきを得たと安心していたら次の日朝礼でかなり名指しに近い形で全校生徒の前で注意されるという憂き目にあってしまったのだぅた。

ただでさえ田舎の、一部地区の子供といったらすぐに特定されるのは当たり前だ。

そして、田んぼで暴れまわられたらそりゃ怒る。それも当たり前だ。

怒られてしょんぼりしたけれども、あれもまたよい経験だったと思う。怒られるところまで含めて。

 

また、東京に住んでいたころでは目にすることのない生き物もわんさか見かけた。

 

野生のサルなど最初に見たときははしゃいだものだけど、もう本当にそこらじゅうにいるので、ああ、サルいるよね、くらいの境地に至るまでに時間はかからなかった。

 

それよりも子供心を踊らせたのは水棲系の生き物たちである。

 

そこそこの雨量の次の日、学校のU字溝に水がたまっているのを発見。子供からしてみればそれだけではしゃげるものだけれど、その水のたまったU字溝の至るところに青白い巨大なミミズが漂っていた。

はしゃぎにははしゃいだ。

でもその大きさと数、その状況に少し引いた。その数たるや、全部集めたら土俵の縄くらい編めそうなうえに来客全員にお土産にもたせることができるのではないかといった数であった。

今調べたらシーボルトミミズというやつかもしれない。でも検索で出てきた画像より圧倒的に太かったような気がする。

子供の思い出なので誇張されている可能性はあるけれど。

それでも太さでいったら足の親指くらいはあったような。

なにはともあれ衝撃であったのは間違いない。

 

水がきれいなので当然のように水辺で遊ぶ。

用水路周辺で遊んでいたとき、トカゲのような生き物を発見した。

イモリである。

黒くておなかが赤くてトカゲのフォルムだ。子供は夢中になるに決まっている。

さっそく捕獲。水槽にいれ、捕獲の喜びにひたった。

東京からやってきた少年が見たことのない珍しい生き物を捕まえるという刺激的な体験を何度でも味わいたいと思うのは無理からぬ話ではないだろうか。

そしてそれは叶ってしまうのである。

もう本当にやたらイモリがいるのだ。

入れ食いというやつだ。水路に手を入れればいる、くらいの。

その状況も今にして思えばおぞましい状況だけれども。

子供は一度はまると何度も、何度でも同じ事を繰り返せる生き物だ。

イモリを捕まえては水槽に入れ、捕まえては水槽に入れた。

そしてちょっと飽きて我に返った頃には悪夢のような光景が出来上がっていた。

 

なんの計画性もなしに捕れた分だけイモリの入れられた水槽はイモリでぎゅうぎゅうになっており、水槽側面には内側から押された圧力でめちゃめちゃ辛そうにイモリが張り付いていた。

地獄のような光景だ。

しかし、アホな子供なので、いえーい、大漁!と、家に持って帰って親に見せたのだった。

予定調和であるかのごとく親は引いた。

今自分が同じように得意気に地獄のようなものを見せられたら引くどころでは済まないと思う。

そして、親からの指示により地獄のイモリは水路へと還されたのであった。

 

そんなイモリの思い出。

ふと思い出したのが今朝の通勤電車だった。

到着した電車のドアの窓ガラスから見えたのはかの日の水槽の中のイモリそのものだったのだ。

ほんとぎゅうぎゅう。通勤電車つらい。

当然会社に行かなければいかないのでその電車に乗り込み、僕もイモリになった。

 

かつてイモリにとって地獄を作り出した呪いだと言われれば簡単に信じる。

イモリごめん、だから通勤ラッシュから解放してほしい。