普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

平等であるからこその不平等

昨今なにかと男女平等であることを正とする傾向がある。

それ自体に異論があるかといえばそうでもないのだけど、そういったことを論じるひとたちの論調に違和感をおぼえることはある。

 

それというのも、男女でもともと持って生まれた役割が違うのだから全て同じ、平等というのは無理があると思うからだ。

男尊女卑は論外だけど、男と女で向き不向き、できること、できないことはあるのだし。

子供を生むということだけで言うのなら女のひとでないと現状不可能なわけだけど、それを枷と考えているひともいるようだ。

からしてみたら子供を生めるというのはなによりも羨ましい話で、可能であるなら自分で出産したいとまで思っている。

でも無理だ。男女平等という観点からいえば全然平等じゃない。

でも、生き物としてそういうつくりになっているのだから仕方ない。

男女平等の話というのはそういうことじゃないと言われればそれまでだけれど、全てを平等というとそういうとこまで行きついてしまうのではないかと考える。

 

あと思うのが、一部の声の大きなひとの意見がさもスタンダードであるかのように切り取られているようにも感じる。

この手の話題では特にその傾向が強いと思う。

なので、おそらくなのだけど、女性の社会進出こそ女性の権利、といった論調のひとはそこまで多くもないのではないかなと。

実際婚活だのなんだのに精をだしているひとというのは社会進出より安定した生活を保証してくれる高スペックな男性を求めているようだし。

いや、もしかしたらそういうとこ抜きで純粋にひととして一緒に過ごしていけると感じる人を求めているひともいるかもしれない。

でも前者のようなひとが一定数いるのも事実だ。

そんなひとたちは男女平等が理想とは考えてはいないのではないだろうか。

考えているとしたら矛盾している。

 

なんだかいまいちまとまりきらないことになってしまったけれど、結局なにがいいたいかというと、バランスよく、性別ではなく自分にできることをやれるのがよいなとつくづく思うわけだ。

 

仕事がやりたいひとはやればよいし、子育てがしたいひとはすればよい。それは男女ともに。

ただ、それをやるからには全力で。

性差を理由にそれが阻害されるのは問題だけども、全力で取り組んで、結果を出せるひとというのは性差など最初から問題になっていないと思う。

結果が出せないのならなにかしらの理由があるわけで、そこに性別は関係ない。

それを差別だ、蔑視だといってしまうのは真っ向勝負できていないように見える。

 

いや、言いたかったのはそういうことではなかったような気がする。

 

端的にいうと、男は男、女は女。

人格もそれぞれ。

それを無理に平たくしようとしなくてもよいじゃない、と。

そういったお話。