普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

好きへの気づき

最近どうやら自分は麻婆豆腐が好きなのでは、と思い始めた。

気づけばコンビニで麻婆豆腐を買っているし、飲食店で麻婆豆腐の写真があればいつの間にか魅入っている。

まるで自分の恋愛感情に気づく直前の現象のようだ。

ここまでくると、あとは秒読み。好きと自覚して麻婆豆腐に全力アタックする日々がはじまるであろう。

 

一度好きになると本当に一筋に対象を求めるタイプであると思う。しかもかなり長期にわたって。有り体に言ってしまうとしつこい。

 

ただ、思うところもある。

「好きでなくてはならない」といった自己暗示のようなもので好きという気持ちを維持、増強させている部分もあるのではなかろうかと。

しかし、それも考えようで、自分で思い込むことで好きでいられるならプラスであるともとれる。

好きなものは多いにこしたことはないと思っているタイプなので、自分にとってはやはりポジティブな事だ。

 

好きなものへの接し方は人それぞれだと思うが、自分の場合かなりガバガバな評価で接しているのではと感じる。

今回の麻婆豆腐も、きちんと好きになったら「麻婆豆腐だからよし」となりかねない。

ある意味麻婆豆腐ときちんと向き合えなくなってしまうということだ。

それでいいのか。よくないんじゃないだろうか。好きだからこそ適正な評価でもって麻婆豆腐に接するべきなのでは。

麻婆豆腐を好きになることで自分の中の麻婆豆腐観を乱してしまったら寂しいことだ。

 

いったん麻婆豆腐とは距離を置くべきか。

いや、ここまで来てしまった気持ちを今さら抑えることは難しい。

自分の気持ちに嘘をつき、曖昧な感情で麻婆豆腐に接する事は困難を極めるし、なにより麻婆豆腐に失礼だ。

 

受け入れよう、自分の気持ちを。

そしてガバガバな評価で全ての麻婆豆腐を受け入れよう。

ついでに麻婆茄子も受け入れよう。というか実は麻婆茄子のほうが好きなのにあまりコンビニで見かけないのはなぜだろう。

 

言うだけ言ったらなんだか満足してきたので麻婆豆腐熱が落ち着いてしまいそうだ。

こんなところも自分の想いに気づくか気づかないかの恋愛前みたいかもしれない。

 

思春期おじさん、麻婆豆腐とともに現る。