今週のお題「サボりたいこと」というなかで書くのが適当であるのかどうか判断に迷うところではあるが、夫婦共に働いていると夕飯作りをサボりたくなるときがしばしばある。
基本的には早く家に帰ってこれたほうがやるという建てつけになってはいるが、日によって疲れていたり家にある材料で料理することにしっくりこない日だってある。かといって外食やウーバーイーツばかりでは不経済極まりない。そんなときに大いに手間を省かせてくれるのがレトルトの調味料というか諸々のタレの類である。クックドゥーとかあのあたりの。中途半端に手作りしようとするくらいならコスパ、手間を考えると圧倒的レトルトのタレに軍配があがる。
例えば麻婆豆腐なら挽肉を炒めてタレを足して豆腐を馴染ませればできあがりだ。フライパンの中でうまいこと豆腐をいじくり回せば豆腐を包丁で切る必要すらない。もはや調理とすら呼べないレベルの動作のみ。お好み焼きの焼く前のタネを作るくらいのところまでの動作で街中華くらいのクオリティのものはできてしまう。働く大人になんと優しいことが。
ちなみにこのあいだ我が家に乗り込んできたのはこいつだ。
ラーメンを食べたいと思ってカップヌードルを食べたらそれは今の食べたいものではないと感じることだろうが、カップヌードルがうまいことは揺らがない事実である。これはそういう食べ物を作り出すための補助装置である。四川の本格的な麻婆かと言われたらたしかにそうではないかもしれないが、きちんとおいしい食べ物にサボり倒したあげくありつけるのだから推さない理由がない。世の忙しき家庭の料理担当の方はぜひこういった商品を積極活用していただきたい。どの立場でモノを言っているのか謎だが手間とおいしさが反比例したらそれに越したことはない。そう、もう単純にえらい。こういう商品を模したモノリスとかできても不思議がないくらいには尊い。
でもね、世の中ほんの一部ではあるものの心が狭いというか、自分がやらないくせにひとのやることにはケチつけたいひとというのはいるもので、こういったショートカット商品使うと「手を抜いた」って言ったりするんですわな。はー、いじわる。たしかにサボったにゃ違いないがおいしいご飯出てきてるだけマシと思わんか!と強いハートで乗り切っていくが吉だ。念のため言っておくと我が家は僕、妻どちらがご飯を作ってもお互いにありがたがることができるので食卓は平和です。
とはいえ、ここ最近ご飯作りをサボりがちだったのでたまにはちゃんと手を加えた献立でも作ってみようとも思っている。ここ2年くらい、コロナ禍で有休の過ごし方として平日に休みをとり、日頃の酒アテを仕込みまくるということをやったりしていたが、それを近々開催するのもいいな。
サボるというとネガティブなイメージになってしまいがちだけど、場合によってはサボってなんぼのときだってある。世の中バランスだ。
以前にも書いたことがあるが、僕は高校生の頃、天気が非常に良いと午後(場合によっては午前から)の授業をサボってメタルを大音量でかけながから部屋の模様替えをしたくなるというおそらく理解されにくいだろうと思われる癖があった。それも自分で心のバランスをとってたのかもしれない。と、綺麗事にしちゃおうかと思ったけどやはり純然たるサボりだったな。
今でも天気がよいと会社から帰りたくなっちゃうけど、在宅勤務によってそもそも家にいられているというセーフティネット。
在宅勤務はレトルトの麻婆!
言ってることわかりませんか。わかりませんよな。僕もわからないのでそろそろお暇いたします。