普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

鈍感

前回、入院早々隔離生活を強いられ、ずぶずぶに落ち込みに落ち込んだ入院生活のスタートをきった、その後のお話。

 

病棟のインフルの猛威もおさまり、大部屋に戻れることになった。自分が入院したという事実は知れわたっていたのだけど、如何せん隔離されっぱなしだったので変な距離感で共同生活の始まり。その部屋は12、3歳くらいが集められた8人部屋。入院が長い人もいれば短い人もいた。

食事は食堂でそれぞれの病状に合わせた食事がだされ、風呂はたしか週に2度だったと思う。複数人まとまって入ることが前提としたつくりのため、小さめの銭湯のようだった。湯船もそこそこ大きめ。

洗濯は洗濯機が数台ある洗濯ルームのようなものがあり、小学生も中学生も自分で洗濯し、自分で干した。自分のことは自分でする、という部分で自立心を養い、甘えをなくそうという入院プログラムの一環だったんだろうか。

前回ぜんそくの患者が大半をしめると書いたけど、彼らには入院生活のなかで「訓練」と呼ばれる時間があったのを今思い出した。何をしていたのかはあまりはっきりと覚えてないのだけど、体力作りとかその手のことをしていたように思う。たぶん、肺機能を向上させるとかそういった目的なのだと考えられる。

思い起こせば色々あるけれど、そのなかでも印象深いエピソードがある。

同室となったメンバーのなかで、つるちゃん、井上くんという子たちがいた。彼らは小6で、自分のひとつ下。歳もちかいのでわりとすぐ打ち解けて、夜の食事後の自由時間によく遊んだりしていた。

特につるちゃんに関しては僕のことを気に入ってくれたようで、他の人に比べて一緒に過ごす時間も長かった。入院生活もやっと楽しいものに変わりはじめていき、安心していたある日、なにやらつるちゃんの様子がいつもと違う。

いつものように話しかけているのに、まったく返事をしてくれないのだ。

何度話しかけてもやはり返事はない。

ただ、どうにもバツが悪そうにしているのは見てとれた。なにごとかと思い、井上くんに話を聞こうにもやはり無視される。

おや、これは…と思い、別室の普段一緒に過ごすことが多かったメンツに話を聞きに行くも、やはり返事はない。

これはいわゆる無視(いじめ)だ。とやっと気づいた。しかし、先のつるちゃん同様、みんながみんな無視はするけど、態度までが冷たいわけではない。

たぶん首謀者がいるのだろうと考え、一番態度が曖昧な(いってしまえば指示に従えてない)者にしつこくアタックして口を割らせたところ、首謀者が判明した。

 

井上くんだった。

 

ああ、なるほどな、と思う部分もあったので、あまりショックは大きくなかった。ただ、つるちゃんとは他の人間より仲がよいと思っていたため、井上くんの無視しろという指示に従ってしまうのか、という悲しさはあった。

井上くんは年齢こそひとつ下だったけれど、入院歴もそこそこ長かったし、頭のよい子だったので、グループのリーダー的な存在だった。そんな彼のまとめるグループに新参者の僕が加わり、色々と今までと勝手が変わったことが気に入らなかったのだと思う。そして気に入らない人間を排除、そのためにグループでの無視を指示。といった流れだろう。

首謀者が井上くんであったことでショックがそう大きくなかったという理由として、彼のパーソナルな部分があったというのと別に、そこまで状況を悲観的に見なかった理由がもうひとつあった。

時期は2月、井上くんは小6。中学進学とともに彼が退院することが決定していたのだ。そもそも彼の一存で無視計画をはじめたわけで、他のみんなからは嫌われてるわけではないとわかっていたので、おとなしく彼がいなくなるのを待っていればよいのだ、と。そう考えた。

彼の退院までの間、彼の目を盗んでは普段無視している連中と話していた。結局僕を疎ましく思っているのは君だけのようだな、ざまあみろ、あと寝るときに首に巻いてる黒いストッキングみたいのなんだよ、と思いながら。

そして3月。井上くんは無事退院した。

その後彼が去った瞬間から以前の生活が戻ったのだった。そのときはそれで一件落着だったけど、考えてもみればああも手のひらが返るというのも考えものではあったかもしれない。

結局共同生活なので、ある程度のことは気にならないのがベストではあったのだろうけど。

つるちゃんとはその後彼が退院するまで仲良く過ごした。

ベクトルの違う思い出深いエピソードがあるのだけど、その話はまた今度。