最近どうにも自炊をサボりがちである。というよりも作りたいものがないから作らないというのがしっくりくるかもしれない。
どの立場からの意見だという感じではあるが、実際料理をするのならばそれなりのモチベーションは必要だ。
買い物に行くとひととおりのものを見て周り、インスピレーションを得られたものを当日の献立として購入するのだけど、スーパーの陳列というものは購入のしやすさ、購買意欲をあおるというところは基本としておさえられているべきなのではないかと思う。
例えばこんな感じで。
トマト村である。トマト同士がしのぎを削って身売りされていくのを絶望的な気持ちで待機する場所かと思ったらどうも様子が異なるようだ。
というかトマト村の住人、トマトめちゃくちゃ少ないな。最初はトマトによるトマトのための村として立ち上げられ運営されていたのかもしれないが、それだけでは立ち行かず、業務提携を繰り返し、今や村の中枢にはアスパラ潜り込んでいる始末である。
色味でいったら真逆のアスパラが村の中心に食い込んできているのだからそれはもう大変な苦労があったことだろう。美談であったり黒いうわさであったりと「参謀」といった立場っぽさがある。
まあ考えてみればトマト村が地名とも限らない。なんなら「トマト」はなにかしらの隠語である可能性すらある。
ロシアあたりでアルコール摂取に対して異常な情熱を燃やしている層が存在すると聞く。靴に塗るクリームや接着剤に使用されているアルコール分で酩酊しようとするのだ。それは通常通りに酔えるはずがない。顔が赤くなったりもするだろう。その状態をスラングでトマトと呼ぶ。そんな層が集まるエリアをトマト村と名付けているのだとしたらこのゾーン、相当なデンジャーゾーンだ。でもなんかそういうことしちゃうひとたちにほのかな羨ましさを感じてしまうんだよな。どういう感情だか自分でもよくわからないけれども。
そんなデンジャーの意味合いの赤からのトマト村があればこんなものもある。
バナナ畑である。これはさすがな見た目通りで安心感すら感じてしまう。畑と言い切るところに店舗のひとの心の強さを感じて頼もしい。
バナナといえば食べられるために生まれてきたのではというフォルムで平和な食べ物であるが、すこし心がもやっとする思い出がある。
高校生のころ、移植手術で入院をしていた入院生活の終盤ごろ、容体も落ち着いていたので個室から4人部屋に移っていた。メンバーは僕と、隣にたぶん会社の社長であると思われるおじさん、そして斜め向かいには白内障手術を終えた老人の3名。
病院にゲームを持ち込んでいたので日がなゲームをして過ごしたいたのだけど、隣の社長はどうもコミュニケーションをとりたいらしく、頻繁ではないにしても仕切りのカーテンをあけて話しかけてくることがあった。
僕はゲームに夢中になので生返事でませていたのだけど、ある日どうしても気が引きたかったのか「ほら、これをあげるよ」とバナナを渡してきたのだ。それはもう猫撫で声ともいえるほどの甘い声で。
断る理由もないのでお礼を言い受け取りはしたものの、特にお腹もすいてなかったのでよきタイミングで食べようとその日は日が暮れていった。
そして消灯後。斜め向かいのおじいさんが手術後で患部が痛むのか、なにかを訴えたそうに唸り声をあげている。でもなんと言っているかまではわからない。ちなみに声はまあまあ大きかった。
うるさいにはうるさいのだけど、ご事情もあるのでしょうからなあと僕はそれほど気に留めずゲームを続けた。しかし隣の社長は無視することができなかったようであった。「あ〜…うるせえなあ…」などとしばらくは聞こえるようにぶつくさ言っていたのだが、ついに堪忍袋の緒がきれる。
「あー!頼む〜!死んでくれ〜!」
めちゃくちゃ大きな声で拝みだしたのである。拝んじゃったよ!と素直に驚いたが、僕には過度なまでに柔和な態度をとっていたけど本性というのはこういう感じなのだなと干潮時の干潟くらいには大いに引いた。
夜が明け、昨日もらったバナナがまだ床頭台に置いてある。が、昨夜のお祈りタイムをかましたひとのバナナ、あんまり食べたくないな…と、手をつけられなかった。
そんなことからバナナは土に還っていただきましたとさ。
バナナ畑の話だったのに全然関係ない話ししちゃったな。まあ上記の話は25年くらい前の話ですから。たぶん登場人物で生きてるの僕だけなんだろうな。
僕は色々穏やかに生きていきたいっす。