普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

死の恐怖は乗り越えるのではなく、虚構によって回避する

タナトフォビアという言葉がある。日本語で言うところの死恐怖症だ。死を恐怖するって誰でもそうだろうと思ってしまいそうなものだが、そこはニュアンスが異なる。死というものを観念としてとらえ、想像したときに恐れるというのがこのタナトフォビアなのだという。

そう説明されると僕も死ぬことを必要以上に恐れたことがあった。しかも子どもの頃だ。夜、突然自分が死ぬこと、そして死んでしまうということは意識が消失するということ、それによって無になるということにえも言われぬ恐怖をおぼえたのだ。親はさぞかし困ったことだろうな。そのときの状況がタナトフォビアに該当するのかどうかはわからないけれど、自分の死について考えたときに恐怖という感情で支配されてしまったというのは今考えればセンシティブなお子である。結局どう気持ちに整理をつけたかは覚えていないが大人になればなるほどそういった思考、感情はわかなくなったように思う。

思えば、こういった恐怖感から逃れるために宗教が存在するのだろう。死というのは意識がそこで途切れ、自己が消失するということなのだろうけど、それじゃあまりに空虚すぎる。思考のセーフティネットとして宗教が考え出されたのもうなずける。大体どの宗教も死後に関する考え方というのがある気がするし。

ちなみにタナトフォビアはタナトスという死の神様が所以となっていて、そのタナトスにまつわるエピソードなどもある。ウィキペディアで確認してみたところ、ひとの寿命を延ばされて不平を言うなどわりと人間味があったりするような話もあった。死について怖れながらもこういうことを考えるなんてわりと余裕あるなと思ったが、根っこの部分は宗教などと同じように不可避である恐怖から逃れるために身近なものとして置き換えてみたりしているのかもしれない。

このタナトフォビアによって体調を崩してしまうひとというのもいるらしい。死を恐怖し過ぎて、要は死にたくなさ過ぎて具合が悪くなってしまうということだ。下手したら死んでしまうかもしれない。死にたくなさ過ぎて死んじゃうってちょっと落語っぽさがあるなと思ったのだけど、おおっぴらに言ったら怒られちゃうやつだろうか。健康のためなら死んでもいい的なニュアンスないですか。

話は少しずれて死を恐れるとはまた少し違うのだけど、センシティブなお子エピソードがあったのを思い出した。やはり夜寝る前、枕にあずけている頭から感じる鼓動が不気味で怖くなってしまって親に泣きついたことがあった。定期的に感じるわずかな振動がたまらなく耐え難くなってしまったのだ。それ止まったらあんた死んじゃうよってなものだがなんとなく怖くて仕方なかったのだ。

ほんと、面倒な子どもだったなあ。そのまま感受性豊かに育てばまた違う人生が待っていたのかもしれないが、年齢を重ね、そこそこ図太い雑な仕上がりとなった。まあこれはこれでよいのだけど、本人的には。

死生観というのは人類に意識がある以上は永遠のテーマであるのだろうな。死後の世界を描くことで安心感を得られると言う意味では丹波哲郎御大の「大霊界」もその一助となっているのだろうさらみなさんチェックしてくだされ。

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飲んだらじわじわ苦しみながら死にそうな飲み物

 

 

 

 

かめはめ波って土木技じゃないんですかね

かめはめ波といえば男子垂涎の必殺技であることは言うまでもない。僕ら世代であのかめはめ波を放つ時のフォームを真似しなかった者などいなかっただろう。あのフォーム?とピンときていない方、ウィキペディアにフ正しいォームの画像があったのでご覧ください。

味わい深さナンバーワン

誰なん、これ。ネプチューン名倉?と思わずにはいられないがフォームとしてはこういうことなのでいったん何も考えずに腹に落としていただきたい。勝手にもってきちゃったけど、ウィキペディアに載せられているものだしたぶん使って良い画像だと思う。怒られたら削除します。

さてこのかめはめ波。現実に放つことができたとしたらうれションレベルでテンションがぶち上がることは間違いない。しかし実用性を考えてみるとどうだろう。僕らはマッチョな宇宙人や人造人間、ましてや魔人などと闘う人生を送っていない。仮に誰かと肉弾戦で争うことがあったとしてもかめはめ波でケリをつけようなどと間違っても思ってはいけないのだ。

そうなってくると使い所はかなり限定されてくると思われる。ではどこに活用できるかと考えてみたところ、建築現場やその他土木作業の現場での障害物破砕にはかなり有用なのではないだろうかという結論に至った。重機を使わずに身ひとつで岩盤を破砕できるなんて素敵。

しかしどう考えても危険が伴う作業だ。ほいほいと繰り出されたらたまったものではない。決まり事が必要になってくる。法で整備されることは自然な流れだ。おそらく関連法案については物議を醸すだろう。最終的には許認可性となり、かめはめ波を打つのにお役所に届け出なければいけなくなる未来が見える。許認可制なうえに免許まで必要になるかもしれない。めちゃくちゃ特殊作業だ。

こう考えるとかめはめ波なんてない方がいいんじゃないかなと思えてくる。平和に安穏に暮らしていくなかでかめはめ波は不要なのだ。そういうことにして長年憧れ続けたかめはめ波への想いを断ち切ることとしようと思う。

なにせ夢に見るほどだったのだ。夢の中でかめはめ波を放って大喜びするというくだりのある夢をかつてよく見ていた。しかも30代くらいまで。大人も大人。おじさんになってもその調子だったのだからかなりの思い入れだ。どうしちゃったの、おれ。その他エピソードとして子供の頃はドッヂボールで球を投げる時に「かめはめ波ー!!」と言って全力投球していたりもした。その他人気技は波動拳とヨガファイア。時代だな〜。

かめはめ波と共に人生を送ってきたと言っても過言ではないではないか。いや、過言です。過言なんですけどここはひとつ少年の日々にさよならするためのイニシエーションということでそういうことにしておいてくださいな。よし、じゃあ行きます。

 

今日ここで、僕はかめはめ波を卒業します!

 

ありがとうかめはめ波。さようならかめはめ波。次の誰かの夢として、素敵な必殺技でいてください。僕は君とのよき時間を過ごせたことを誇りに思ってこれからの人生を生きていきます。

なんかわけわかんなくなってきてしまったな。まあこれでかめはめ波をうつ夢もこれから先見ることもありますまい。大人になるってなあこういうことだ。

ちなみにかめはめ波ウィキペディアで初めて技を出したときのことに触れられていたのだけど、火事を鎮火するためのものと書かれていた。ああ、そうだ、フライパン山の火事を消してたなということで、けっこう本当に土木技だったのだなという新たな事実に気づいたところでこのへんにしときますか。

みなさんもよきかめはめ波と共にあれ。

Slipknotがかつての自分にとってのJUDAS PRIESTになっていることにちょっと引いちゃったよ

ふと気づいた。Slipknotが1stアルバムを出してから20年以上経っている。専門学校に通うために上京をしてきた年に知ったのだと思うから1999年か。めちゃくちゃ前だな。

あの当時、音楽性、ビジュアル、ライブパフォーマンス全てにおいて度肝を抜かれたものだ。あんなバンドいなかったものな。The Berzerke(オーストラリア)がいたじゃないかと言われればまあそうなのだけど、あれはまた趣旨が違う。

センセーショナルにデビューして、あっという間に世界を釘付けにしたバンドももうデビュー20年以上。大御所である。

そこで思ったのだ。今やSlipknotって、僕らが高校生くらいのときのJUDAS PRIESTやIRON MAIDENのポジションなのではと。僕が高校生だったのは90年代中盤から後半くらい。そこから20年くらいを引くと70年代の中盤から後半なわけなのでJUDAS PRIESTなどはまさにといった感じだ。まだメタルゴッドと言われる前、ロブ・ハルフォードがロッカローラという曲を志村けんみたいな髪型で優しく歌っていた頃だ。(曲としてはよいです)

当然僕は後追いで両バンドを知ることになり、その匂い立つヘヴィメタルの虜になったわけだけど、Slipknotでも同じことは起こっているのだろうか。エクストリームミュージックに目覚めたキッズたちが古きよきバンドも聞こうじゃないかとSlipknotを聞く。

あれ…なんかモヤっとするこの気持ち、なに…?なんだろう、Slipknotのこと新しく出てきたバンドだなーという気持ちでいたのに古参とされていることにモヤりを感じるのか?いや、認めねばならないだろう。僕はもう立派な中年。懐メロバンドとなりつつあるのだ、Slipknotは。メロあんまりないけど。おじさんになるというのはこういうことであり、こういう気持ちなのだな。

だがしかし。「あの頃はよかったよ。それに比べて今のバンドは…」「そんなチャラついたズンドコ言ってるバンドじゃなくSlipknot聞けい」には断じてならない。僕が若かりし頃にそういうおじさんたちはいたが、「知らんがな」としか思えなかったからだ。僕は心の中でひっそりとSlipknotの1stアルバムを愛でる。

キッズは1stを聴いてどう思うのだろうか。音が悪いのは確かだが、楽曲としてはかなり斬新であったと思う。"20年前の音楽"として古臭く感じたりするものかぜひ感想を聴いてみたい。

JUDAS PRIESTやIRON MAIDENに関して言えば音は確かに悪かったけど、自分が好きなバンドのルーツはここにあるのだなと非常に勉強になった記憶がある。スルメ的要素は否めなかったが。今のキッズもSlipknotに同じ感想を抱くのだとしたら興味深い。

これだけSlipknotのこと言っているのに実は1stをめちゃくちゃ聴いて2ndで少し「あれ?」となり、3rdからはほぼ曲を知らない。そんくらいの感じなのになんだか胸アツみたいな熱量で語ってしまって申し訳ねえ。僕は結構荒削りの1stアルバムとうのが好きで、そこでオリジナリティや勢いがウケて売れたは良いものの、2ndアルバムから垢抜けるとスっと引いてしまう部分があるのだ。LostprophetsとかAlexisonfire、Across Five Aprilsなどがもろにそれだった。Alexisonfireが本格的に売れて垢抜けたのは3rdからだけど。

実際のところ良い意味で垢抜けているのは間違いなく、曲も洗練されているのは理解できるし、「あー、これは売れるな」とは思えるのだけど、そのスマートさがどうも馴染めなかった。泥臭さというか不器用さというかそういうものを感じたかったのだ。売れないと解散しちゃうので大いに垢抜けるべきなのだけどね。ちなみにLinkin Parkは2nd聞いたときに「5thみたいな出来だな…」と思ったことはショナイな!

すっかり懐メロ回顧録になってしまった。何がいいたいかっつーと青春時代に心に刻みつけられた音楽というのは一生ものになっていくのだなということだ。今のキッズが聴いている最新のバンドもいつかSlipknotJUDAS PRIESTのようなポジションになり、回顧の対象となっていくのだ。感慨深え。JUDAS PRIESTなんてメタルゴッドって言われているけど、そろそろ仏になっちゃうかもしれないからね。メタルブッダっつってな。なんちゃって!

さあ、軽快な昭和サンオツギャグもでましたし本当に怒られるんじゃないかという不謹慎ぶりを発揮してしまったので今日のところはさらばです。

街角Slipknot選手権 #5 グレイグ



もしかしたら一番の弱点は眠気かもしれない

昨日飲みすぎたわけでもなく、睡眠時間がそこまで短かったわけではないのに今日はありえないほどに眠かった。とりあえず起き上がって仕事を始める報告はしたものの全く眠気が拭えない。なんならちょっと意識飛んでいたかもしれない。かもしれないとかぼやかしちゃったけど飛んでました。いかんいかん。

そうは言っても一応業務時間なのでめちゃくちゃ牛歩で仕事を進める。午前中まるまるつかって多分1時間あれば終わるようなことをやっていたのではないかと思う。ぎりぎりのところでサボり判定が下される内容ではあったが、心に「午後から頑張ろう…!」の精神は心に宿していたのでお目こぼしいただくことを強く希望したいところ。

そもそもの話になってしまうのだけど、僕はエンジンがかかるのがものすごく遅い。勤務時間の半分を過ぎたあたりから調子が出てくるのだ。これは今の仕事に限ったことではなく昔からそう。なんなら仕事だけではなく、生活の全般こういった傾向があるかもしれない。朝活とか絶対に無理なタイプだ。その代わりに残業するのかと言われれば定時ダッシュ常習なのでただ単に怠惰であることは否めない。ほんの少しフォローしておくと時間内にやらなければいけない仕事はきちんと終わらせているというのは大前提だ。さすがの僕でも仕事を積み残したまま逃げるようなことはしない。

抜群の朝の弱さを遺憾無く発揮し、こんな日もあるやなーとずるりとお昼ご飯を食べることとする。今日は妻も在宅勤務であったので希望を尋ねたところ、コロッケを所望とのこと。コロッケってあんまりお昼ご飯で食べることがないなと思い、買いに走ることとする。妻がそう希望したわけではないが、個人的にお肉屋さんのコロッケが食べたいと思い最寄りの肉屋に行ってみるもお盆休業であった。ほんと、こういうの多いんだよな、僕は。近所にカレー屋があったのでカレー買って帰っちゃおうかなと思うも、もうお腹がコロッケだったので意地で少し遠出してとんかつのさぼてんでコロッケを含め諸々購入。なんかもういろいろブレてきてしまっているけどおなかも空いているし予定と違うものを買って行ったら昼食の場が燃える可能性があるので"コロッケを買った"という結果重視でいこうじゃないか。おかげで昼食は平和だった。

さて、お昼ご飯も食べたことだし「午後から頑張る」を実行するかとデスクに向かって仕事を始めようとするも、なんだかPCの挙動がおかしい。ありとあらゆるアイコンがクリックできなくなっていて、閉じているはずのアプリケーションが開いた表示になっている。何度再起動しても改善される様子はなく、段々と「仕事、今日はもういいですかね?」という気持ちが強くなってきたところでほんのわずかな社会性をもって電源を落としてしまうことだけは堪えた。

ただ、トラブル時の連絡先というのは会社のサイトに掲載されているのでこの状態では確認できない。出社しているひとに電話し、確認をしてもらって手元の紙にペンでメモった。結局トラブルに対する対応は最終的にはアナログに近いものになっていくのかもしれない。

サポートに電話をし、状況を説明したところ「なるほど…うん、なるほど…」と答えてくれはするものの、その「なるほど」がわかっていないひとの「なるほど」にしか聞こえず不安を煽られることとなる。いるじゃないですか、そういうとりあえずなるほどって言って場をもたすみたいなひと。そういう感じがサポートから感じられたのだ。

結果、なんだか裏口の真のシャットダウンみたいなことをして少し待って起動してくださいという至極シンプルな対処で終わった。わかっているひとの方の「なるほど」だったか。家で働くようになってこれほど分かりやすいトラブルは初めてだったのでことなきを得て安心だ。

そこからはいちおう真面目に仕事をし、定時になった瞬間に仕事を切り上げ透析に至っている。

今日はまごうことなき日記スタイルでお届けしております。

淡々とあったことを書いただけになってしまったので今日いちばん心が動いたことでもひとつご報告しておきましょうか。ネットニュースで見かけた安倍元総理の国葬で国民の黙祷を検討しているというのが大変に心動かされました。

世の中不思議な考え方ってあるものだなってことでまた次回✋

本文となにも関係のない偽物っぽい路上植物(本物)



 

 

 

勘弁して欲しいポストの隙間問題

いきなりすみません

これを見てどう思うだろうか。もしかしたら大抵のひとは気にならないかもしれない。でも僕からしたら大問題なのだ。

まず、前提として僕は虫が普く嫌いである。家に出没しようものなら退治するまで討伐行為以外の行動をとることができない。虫が何か罪を犯したかと言われればそんなことはないが、僕の前に現れたの運の尽きと思ってもらうしかない。

この写真には罪のない虫どもが無慈悲に屠られる可能性を助長することとなる現象がおさめられているのだ。それはどこだかわかるだろうか。

そう、ポスティングされた印刷物の横の隙間だ。

これが本当に勘弁して欲しい。この隙間、絶対に侵入経路になり得る。僕は蚊とか小蝿的な羽虫系でさえ本当に勘弁して欲しいと思っているのだけど、この隙間は絶対にアレを通すだけのスペースは確保されているだろう。アレとはなにか?アレったらアレですよ。ゴ…、ゴ…、g…

かーっ!文字にするのもおぞましい。そのソレですよ、ソレ。わかってらっしゃるでしょう。夏は大好きだけど、そのソレに遭遇する可能性が格段に上昇するのだけが夏の悩みどころだ。できるだけ遭遇する可能性は下げたい。なので生ゴミとかきちんと処理しているつもりだし、窓も無防備に開けるようなことは絶対にしない。なのに。なのにですよ。僕の知らないところでヤツらの侵入経路を勝手にこさえられてしまっているのだからたまったものではない。

たまに「チラシお断り!」と注意書きのあるポストを見かけるが、僕はチラシ自体は別に入れてもらって構わないので「隙間お断り!全挿しで!」と注意喚起しようかと結構本気で考えたほどだ。普段「チラシお断り」を見てちょっとこの家のひと、面倒そうだなと思ってしまったりしているので隙間を作るなというよくわからない要求をしているのはもはやなんかちょっと危ないひとって思われるのではと思ったので行動に移すのは控えた。郵便物を届けてもらうひとにまでいらない緊張感を与えるものではない。

今は全ての虫という虫に対して憎悪と嫌悪感しかないが、子供のころはスター選手的虫であれば愛でるなどすることはあった。カブトムシとかクワガタとかね。それがなぜここまで嫌悪するようになったのかといえば、明確な理由があり、感情が切り替わったそのタイミングを今でもよく覚えている。

それは夏の日。姉の漕ぐ自転車で二人乗りをし、街路樹が立ち並ぶ歩道を駆け抜けているときだった。何か肩に違和感を感じたので、その違和感の出どころを確かめたところ、めちゃくちゃでかいマダラカミキリが鎮座していたのである。あれは確実に目があった。カミキリったらすれすれのところであのアレと同じようなフォルムの虫である。それが肩ですよ。ゼロ距離。男女ならエロい距離。よーく見えちゃうわけですな、造形が。もうどうしていいかわからなかったのでとりあえず走行中の自転車から飛び降りた。そして触りたくもないからくねくね変な感じでカミキリ氏に退場願った。あれは本当に怖かったし気持ち悪かった。

それ以来虫という虫すべてを憎むようになったのだった。カブトムシ?はん、色艶、形、がアレ(G)と一緒じゃん。硬くなったアレでしょう。まずその腹はなんだ。その節。見てらんないよ。という具合にもはや因縁レベルでその虫を嫌悪するようになった。書いてて思ったのだけど、「硬くなったアレ」という言葉にそこはかとない下ネタ感があるけどそこは見逃してください。

年齢を重ねれば重ねるほどに虫と遭遇する機会は低下していき、たまにしか見ないものだから余計に苦手意識が高まるという負のスパイラルに陥っているような気がする。だからこそ冒頭の写真の隙間のようないらぬ遭遇の可能性を上昇させる隙間は勘弁願いたいというわけである。これ、気にしすぎなんでしょうかね。というかそもそもそんなところから入ってこないでしょうとか言われちゃったらなんかものすごく恥ずかしいのでこのへんにしときます。

 

かわいいもの好きおじさん参上

このツイート、ものっすごくよくわかる。僕は40歳を過ぎた中年男性であるし、性自認は混じりっ気なしの男性であるが、可愛くありたさというものは持っている自覚がある。なんなら世間で評判のイケメン俳優などよりもかわいらしい女性の方が憧れる。

この感情、たぶんここ数年で強くなっている気がする。自分が中年男性となることで可愛い存在との乖離が生まれ、それにより強い憧憬の念を抱くようになっているのだろうか。実際服や持ち物について目にした瞬間「可愛い!」と思ったものをチョイスしているように思う。でもそれは別に悪いことではないし、似合ってればいいじゃないかという話なので個人的にはひとに何を言われてもそんなに気にならない。

ただ、このツイートでもあるように、こういった考えの人間がいるということを1ミリも理解できない、しようとしない、ひどいひとだとこちらの考えが間違っているかのように非難してくるひとすらいる。

非難とまではいかないが、職場にもそういったひとがおり、僕の服装やらをイジってきたりする。僕は前述の通りあまり気にしていないのだけど、全然理解できないものなのだなあと逆に不思議に思っていたりするのだ。緑のコート、かわいいのに。単純にそのひとはファッションとか、おしゃれに興味がないだけなのかもしれないけれども。

そういえばそのひと、”男は男らしく”の考えがものすごく強いひとのようで会話の端々に男たるものという考えが見え隠れする。奥さんへの接し方などでもその考えは顕れているようだ。ただ、奥さんはその考えを受け入れているようなので結局はどうあるべきかというよりは相性の良いひとと折り合いつけて行ければそれで良いということになるのだろうな。僕ら夫婦も男らしさとか女らしさにこだわるよりもそのひとらしさ重視みたいなところがある。

一応フォローしておくとこの男気さんはその考えに基づき”女性は男性が守るもの”という行動理念があるようなので頼り強さを感じることができると思う。僕にはそういうの一切ないからな。やはりお相手との相性次第だろう。そういうの好きな女性だっているものだと思うので。もしかしたらそういう人の方が多いかもしれない。

男気さんは首都圏出身なのであるが、家父長制を尊んでいるようで、僕ら夫婦がお互い自由にやりすぎていることに対して少々面食らっていた。以前お正月に僕と妻がお互い実家に帰りたいけどスケジュール的にどちらも行くのは難しいよねという話になったときにそれぞれの実家にソロ帰省した話をしたときは「え、そんなのありなんですか?奥さん、嫁いできたんですよね?」とたいそう面食らっていた。嫁いでもらったという感覚ゼロだったのでそういう考え方もあるかと感心した。

話は少々ずれてしまったが、男性でもかわいいもの好きというのことはごく自然なことであると思うし、ただの好みでしかないと思うわけである。ただ、男女の脳の作りとかそういったことで好みが分かれるというのはあるのかもしれない。調べてないのでまったくあてにならないけど。

こういうふわっとした考え、こどもに伝えるのって難しいんだろうなぁ。世のお父さんお母さんってすごい。

さ、ややこしい話はここまでにしてなんか綺麗だったから写真撮ろうとしたけど全然上手く撮れなかった月の写真で本日はお別れでございます🌖

長老VS上司

なんだかあまり書くことがないなあとTwitterを眺めていたら元統一教会に関する報道についてのトレンドがあがっていた。それを見て「なんか一言いってやりたい」感情が芽生えてしまい、怒濤の如くタイピングしてマスコミとかの不満をぶちあげてしまった。いや、よくないですな。そういうのじゃないですわな、当ブログは。もっとお気楽に行きます。

てなわけで普通の日記。

昨日は出社をしていたのだけど、出社予定のひとが軒並み現れなかった。ひとりは腰痛で在宅に切り替え、もうひとりは音沙汰なし。連絡がない方はグループの長老である。僕はわりと朗らかにやりとりしているけれど、長老と上司は相性があまりよくなく、その二人の絡みががあると周囲が若干ピリつく。その長老が来ない。しかも連絡なしに。

この時点で僕はもう気まずかった。具合悪いにしてもなんにしても連絡くらいはくれと。そういうことすると上司が注意しないといけなくなるし、注意されたらされたで長老はおかんむりじゃないですか。

ここ最近コロナ対応で急な在宅勤務に切り替えられるよう、シンクラとスマホを持ち帰るようお達しが出ている。しかし長老のデスクにはシンクラもスマホもある。あれ?長老きてる?などと戸惑っていたら外が騒がしい。右翼カーが現れたようだ。おもしろそうだから見に行ってみよう、と離席。

右翼、見れなかったなと肩を落として席に戻ると長老が出社をしていた。シンクラとスマホについてはシンプルに言うことを聞いてなかっただけだったか。そういうところも火種になるので言うこと聞いてあげてほしいな…

やりとりを見ていないけどごく自然に上司も長老も仕事をしていたので特に揉め事は起こっていなかったと思われる。起こったとしても僕の目に入らなければそれでよい。情報は認知するまで無いのと同じなのだ。巻き込まれたくねえです。

長老が自由すぎみたいな印象になってしまうと思うのだけど、上司は上司でいつもの出勤時間にあらわれず特に連絡なく出勤時間を変更したりするひとなのでどっちもどっちといえばまあそういうことなのである。隣の同僚がめっちゃ怒ってた。みんな、穏やかであれ。

ただ、隣の同僚が怒っていたのには理由がある。現在のグループに配属されたばかりの頃、その当時の上司がやはり連絡なく会社に現れなかったことがある。のんきに構えていたら大動脈解離で倒れた旨の連絡があった。当たり前のように騒然とした。

そんな大事が起こっていることを想起させるのでみなさんきちんと連絡はしてくださいよ!って同僚が怒るわけである。なぜか僕に。ご、ごめんなさい…

ちなみにその元上司は無事復帰し、一緒に仕事をすることをなったのだけど、雑談の際に「大動脈解離ってものっすごく激しい痛みらしいですね」というようなことを言ったら「よく知ってるね。というかよく大動脈解離という病気を知ってるね」と感心されたことがある。以前大木凡人が同じ病気で倒れたことがあり、その情報を記憶していたのだ。でも大木凡人のくだりはなんとなく伏せた。大木凡人と一括りにするのもどうかなと思ってしまったもので。でも大木凡人は喧嘩最強らしい。それを思えば一括りもむしろ光栄なことだったか。トークってなあ難しいもんですなあ。ちなみに、からが長い。ちなみ過ぎである。

朝イチでちょっとしたハプニングはあったものの、仕事は平たくぬるっと終了。この日は定年派遣おじさんと飲みにいこうという話になっていたので若干フライング気味に飲みに行った。飲んでる最中の記憶というのは覚えていないものでもったいないような気もするけど、飲み過ぎで記憶がないとかではなく、楽しかったけど何話したっけ?であればそれは何気ない幸せの時間ということになるのだろうと思うので結果オーライだ。

ただ、提供されたお寿司のネタの中で正体不明すぎるものが紛れており、店員さんに確認をした一幕があった。「確認してきます!」店員さんは元気よく厨房に消えていったがその後僕らの席に2度と現れることはなかった。結局その謎寿司は僕が食べた。多分深海魚とかだ、あれは。写真撮っておけばよかったな。

楽しき時間はすぐに過ぎてしまうもので、数時間をあっという間に駆け抜けた。予定より遅くなってしまったのが妻に申し訳なかったけど飲み方としてはまあまあだったと思う。

コロナ的な意味で何も気にしないで飲みに行けるような世の中にならんかなと思いつつも、まだ僕は少し様子見かなと思ってます。この辺りはいろんなひとのいろんな考えがあると思うけど、ま、ここはひとつみなさん機嫌よくやりましょうや。ってなわけでまた次回です🍶

 

特に関連画像もなかったので今日のタイトル「長老VS上司」でAI画伯に一枚描いてもらいました。確かになんとなくの対決感は出してきている。

このあと空中戦だな