普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

昼からお酒飲んでるだけなのにワインだと赦される感

久々に用事を複数こなす週末を過ごした。

土曜、午前から区の施設に行く用事があったので週末でありながらもそこそこ早く起きてきびきびと準備を済ませタスクをこなす。区の施設の中でもなんというかあまりメインを張るような施設でもないので昭和感がすごい。古い学校みたいな味わいがある。こういうところで働くひとというのはどういう気持ちで働いているのだろうなどとこの世で最も気にしないでよいことについて思考を巡らせているうちに用事は終了。

この日は事前に妻からとある人物の展示の展示を見に行こうと打診を受けていたので出かけた足で新宿へ向かう。展示はマティアス・アドルフソンというアーティストのもの。DANCE GAVIN DANCE(バンド)のアートワークを長年手がけており、夫婦ともどもうっすら気にかけていたのだ。写真などがあるとわかりやすいのだけどさすがに撮影禁止だったのでDANCE GAVIN DANCEのアルバムでも。

Acceptance Speech(DANCE GAVIN DANCE)のアートワーク

かわいいのだけどどこかシュールな雰囲気もあるテイストが良い。かなり細かく描かれているものが多いのでじっくり見てしまう作品が多い。展示されていたものも同様で夫婦揃って絵に釘付けになっていたところ店員さんに声をかけられる。展示兼販売会場となっていたので「買います?」的な声の掛けられ方にも感じられ、見られれば満足という気持ちで赴いたためなかなか気まずい。ただ、見ているうちに本当にちょっと欲しくなってきている自分はいた。ちなみに価格は2桁万円だ。自分の人生の中で"絵画を買う"という行為に足を踏み入れることがあるとは思わなんだ。しかしこの間ルンバを導入したばかりということを脳内で反芻し「買っちゃいますか」的空気をなんとか乗り越えた。危なかったぜ。正気を保っているうちに「検討します!」と元気にその場を後にした。

展示があったのは新宿伊勢丹だったのでついでにご飯でもとフードのフロアに移動しお店を吟味する。寿司、うなぎ、天ぷら等と”おでかけの外食”といったわかりやすい方向性のお店が多い。そしてランチで気軽にという価格帯ではない。さっきまで2桁万円の絵を買いそうになっていた人間が何を渋っているのかと思われるかもしれないがたぶんこっちが通常のリアクションだ。さっきまでちょっと空気に飲まれてた。

結局そこまで距離もないことだしと、地元駅で前々から行きたいと思っていたパスタ屋に行くことにした。行くたびに営業してないという絶妙な相性の悪さを誇っていたのでこの日も少し心配だったが無事入店できた。

本当はカルボナーラを食べたかったのだけど、ランチでは提供していないとのことだったので海苔とイカと生姜のパスタのペペロンチーノをオーダーした。こういうときは他で聞かないようなメニューをオーダーしてみればそのお店の方向性がわかるような気がする。

セットメニューでサラダでもあれば、と思っていたが、ワインセットがあるのが目に入る。「ワインか…」普段ワインを好んで飲むということはないのだけど気まぐれでオーダーしてみることにした。

ルネッサーンス(嫌な感じに古い)


久々にワインを飲んだらこれがうめえんですよ。赤ワインの方が好きかなとぼんやりした人生を送ってきたが白ワインおいしい。これは新しい扉開いたな。しかしまあワインもなかなかの沼っぷりであると聞く。注意して沈んでしまわないようにゆっくり近づいていこうと思う。結局パスタが来る前に1杯飲み切ってしまったので追加でワインをオーダーした。ちなみにフリウラーノという白ワインらしい。聞いてはみたけどやっぱり全然知らなかった。

ワインでほくほくしているとパスタが到着。

麺も自家製らしく、角のある麺で変わっているなとは思ったけどきっちりおいしかった。形状だけで言ったらお蕎麦的な。しかもワインと相性がめちゃくちゃよかった。こういう楽しみ方って今までしたことなかったからこれから昼ワインにはまってしまいそうだ。「パスタとワインだぁ?おまえさんなに気取ってんだい」と心の中の江戸っ子が顔を出すが自分の中のマリアージュを探し求めるということで江戸っ子にはお引き取り願おう。あんただって蕎麦と日本酒とかお好きでしょう。

ワインだと少しくらい飲んでもそこまで酔っぱらってこないのが良い。「アルコール度数軽めなのがいんですよね〜」と美容師さんに話したら「ワインは軽くないですよ」と真顔のリアクションであった。普段ウイスキーしか飲んでいないので感覚がバグっていたことを恥じ入る次第である。

最近休日も午後から行動を起こすことが常となってしまっていたがこの日は午前から動いていたので非常に有意義であった。こうでなきゃなということに今更気づいた次第。

それにしても絵を見てパスタとワインの流れってなんだか三軒茶屋に住んでるひとの行動みたいだな(めちゃくちゃ偏見)。中野区民ですまねえです。🍝

 

ピンチっぽさをはらんだ可逆性後頭葉白質脳症

久しぶりにお題にのっかってみようと思う。今週のお題「人生最大のピンチ」である。病気と共に生きてきた割には、というかもしかしたら病気だったからこそなのかもしれないが病気由来で人生ピンチだと感じたことはほぼない。

ただ、これはまずいのかもしれないなと感じざるを得ない病気を発症したことがある。

可逆性後頭葉白質脳症(通称PRES)だ。

たぶん聞いたことがないひとがほとんどだと思うので説明をすると名前の通り脳の病気で、高血圧と飲んでいる薬の影響で脳の血管が浮腫んで痙攣するといった病気である。

発症数日前から血圧は高かったのだけど、高血圧慣れというよくない耐性を獲得していたためさして数値を気にしていなかった。確か上は190くらいあったので普通なら気にしすぎるくらい気にするところであるが、僕は中学生の頃、上が280という冗談みたいな数字を叩き出したことがある超高血圧レコードホルダーであったので「ま、このくらいなら」程度にしか思っていなかった。

発症は早朝。眠りから覚めトイレに行こうとふらふらとトイレに向かったところ、何やら視界がおかしい。焦点が定まらないというかなんというか、とにかくものを正確な距離でクリアに見ることができない。「寝ぼけている上に二日酔いかな…シャワーでも浴びよう」と浴室の戸に手を掛けようとしても戸を掴むことができない。距離感などがまったく把握できなくなっていたのだ。やっとのことで戸を掴み浴室に入るも、当然蛇口が掴めない。

これは二日酔いとか寝起きとかではなく完全に視界が異常だ。さすがにまずいと思い妻(当時は結婚前)に「なんか目がおかしい…!」と伝えた。さすがにこの状況はまずいし、視界が異常なまま自力で病院に行くことはできないと判断し、救急車を呼んでもらうことに。このときはまだ視界の異常だけだったと思う。

救急車も到着し、隊員の方々の手によって担架で救急車に運び入れられた。このとき猛烈な吐き気をもよおし、その旨を隊員さんに伝えて対応してもらっていたところで突如痙攣発作が起こる。人生初の痙攣発作。周りもびっくりしただろうけど本人が一番ビビる。しかもその後も何度も痙攣発作に襲われたのでちょっともうダメなのではと一瞬思思わざるを得なかった。痙攣する直前「あ、くるな」とわかるというできればわからなくてもよい知見を得てしまった。まあわかったところで抗えないんですが

その後救急車は無事病院に到着。救急病棟に収容された。その後も何度も痙攣を起こしながら諸々の検査を行い、PRESであることが判明する。ほどなく医師から妻に病名と現在の症状が伝えられたとき、妻はさすがに涙が堪えられなかったらしい。このときもう目はほぼ見えてなかった。

当然にように入院が決定し、最初は救急病棟にそのまま入院となった。一晩明けたが目は一向に見えない。でもなぜかこのときは達観した気持ちというか、この状況を深刻に考えていなかったように記憶している。まだ状況を把握できてなかった説が濃厚ではあるけれど。このとき妻がどれほど見えていないのかを確かめるために指で数字の3を作り僕の眼前に差し出したのだけど「え?メロイックサイン(メタルの🤙みたいなもの)?」とすっとぼけたらしいのでそれなりに元気だったのかもしれない。妻はたまったものではなかったろうけど。

ちなみに救急病棟では2人部屋というか2人収納できるスペースに入院していたようだったのだけど、隣はばあちゃんであった。これがまあ結構にぎやかなばあちゃんで、階段から落ちただかで救急病棟に入院したらしいがそうと思えないくらい元気におしゃべりしていた。見えてないので何歳くらいかはまったくわからなかったけど、ちょっと会話 の内容から幼児退行っぽさを感じたのでそれなりの年齢だったのだろう。

ばあちゃんに対して男性スタッフが甲斐甲斐しく世話を焼いているのがよく聞こえてきた。大変だなーなどと呑気に聞き耳をたてていたあるとき、ばあちゃんが男性スタッフに声をかけた。

ばあちゃん「ねえ、ちょっとこっちにきて」

男性スタッフ「なんでしょう」

ばあちゃん「ちょっと耳を貸して?」

ばあちゃん「好き〜」

ずっこけたわ。まあ可愛らしいのだけど。殺伐とした救急病棟に束の間の平和が訪れた瞬間であった。耳打ちする予定だったのだろうけど、病棟中に響き渡らんほどのはつらつとした告白でしかなかった。

その後、徐々に病状は落ち着いてきたところで一般病棟に移動。相変わらず目は見えないけど、痙攣発作はもう起こらないのでちょっとずつ良くなってきているのかなと希望は持てた。

この辺りからの細かい経緯がちょっと曖昧なのだけど、結局ところ高血圧とそのとき服薬していた移植腎のための免疫抑制剤がこの状況を作り出していたということだったので降圧剤を飲み、免疫抑制剤は中止となった。このおかげで尿が完全に出なくなるのがたぶん年単位で早まっただろうと思う。しかし、そういった対処をしていくことで目は元通り見えるようになっていった。ほんとよかった。

尿が出なくなったという以外はほぼ元通りに快復し退院という運びへ。入院していたのは2週間くらいだったようだ。症状などから考えると意外に短いものだと思える。何か入院中の写真撮ってなかったかなと探してみたが全然撮っていなかったようだった。後半ご飯を摂る余裕くらいありそうだったけどな。ただ、よほど嬉しかったのか、退院した日に食べたデニーズのカレーは写真におさめていた。

病院食には絶対にないピーキー

まあそりゃ嬉しいよな。病院食も僕はわりと普通に食べられる方ではあるけど、精進料理の亜種みたいな食べ物だし。塩分で言ったら精進料理の方が感じられるくらいかもしれない。

 

人生のピンチといって思い浮かぶのはこんな話。でも命に別状があるような病気ではないことを考えると小学生の頃に川とか海とかで計3回溺れ死にそうになったこととか、酒井くんとか勝俣くんに(全然別のタイミングで2回)首を締め上げられて窒息しそうになったことのほうがピンチだったかもしれないな。ていうか結構死にそうになっているな。よくぞご無事で!

AI画伯のスチームパンク観

AIとはかくも進歩しているものかと驚くばかりである。AIによって絵が描かれるのだからこれからの時代どうなっちゃうんだろうという話だ。話題としては少し前の話だけれど、思い立っていまさら試してみたのだ。ちなみにDream by WOMBOというアプリを利用した。

キーワードを考えてあとはスタイルを指定すれば自動で描画をしてくれる。でもこういうのって自由にキーワードを指定して良いと言われるとまったく言葉が出てこない。あまりにも何も出てこないものだから当ブログ名「普遍と平熱」で1枚作成してもらった。

概念of概念

よい…のでは…?

元々このアプリ、概念的かつ抽象的な作風ではあるのだけど、「普遍と平熱」というキーワードがそもそも概念でしかないので混じりっ気なしの概念中の概念という絵が出来上がった。ちなみにスタイルはスチームパンクだ。確かにその雰囲気はある。雰囲気はなんだかいいけど何かはよくわからない。いよいよアート的ではないか。世の中の絵描きさん達に張り倒されまくりそうな発言をしてしまっているかもしれない。
「普遍と平熱」だとあまりにもワードとしてぼんやりしすぎているのでもう少しストレートな言葉を選んでいこうと思う。たぶん画像検索の結果と絵画の雰囲気のテンプレートを混ぜ込んで絵を作成していると思われるので、そのものずばりの画像がある方が絵としてわかりやすいものにはなるのだろう。

好きなものをとりあえず、ということで犬とお寿司が思い浮かんだ。犬とお寿司っていうか犬のお寿司のほうが絵のタイトルっぽいかなと思って張り切ってオーダー。

犬…?

どこまでもぎりぎりのラインを攻めてくる。犬っぽさ、お寿司っぽさどちらもあるのだけど、あくまでも「ぽさ」であり、しっくり来ているのか来ていないのか曖昧な気持ちにさせられる出来である。嫌いではないのだけど。でもこれ、ものの数秒で描画しているのだから本当にすごい。
ちなみにこの「犬のお寿司」であるが、職場で隣の席に座っている同僚の女性に見せたところめちゃくちゃ微妙なリアクションをされてしまった。なんなら少し引いていたかもしれない。思いついた好きなものを絵画っぽいタイトルに落とし込んだとはいえ、「犬」が「お寿司」になっているということに生理的嫌悪感をおぼえたのだろうか。彼女は育ちがよいのであまり不謹慎っぽい発言は今後避けよう。あと実家が動物病院らしいし。もしかしてこっちか?この場合何ハラなんだろう。寿司ハラ?犬ハラ?いや、ふざけてないですよ。

こういったAIものが創作物をごりごり作り出すものが発表されるたびにクリエイターは淘汰されるのではということが取り沙汰されるが個人的にはそれはないだろうなと感じている。それはそれ、これはこれになると思うのだ。最終的には好みなので。

そうえいばAIものといえば詩を自動で作り出すというのも結構前に見かけた。

なんか最後誇らしげ

詩マシンというサービス?によって作り出されたものだ。ランダムでワードを拾ってきてつなぎあわせている。詩という体裁なのでランダムで言葉がつなぎ合わされていてもなんだかそれっぽいことを言っているような気がしてくる。「つまり人生」で締めちゃってるのがなんとも反則っぽいが、これもまあランダムなので1勝ってことで。

ちょっとV系の歌詞っぽくもあるのだよな。Plastic treeあたりとか。あとはボードレールとかね。僕の読解力が低すぎなのを差し引いても難解すぎる。

これもつまり人生ってことで今後のAI事情に思いを馳せていきましょうや。アデュー!

 

 

 

そのこだわり、嫌いじゃないんだぜ

週末に久しぶりにインスタントラーメンを食べた。前までは主食なんかってくらいにインスタントラーメンばかり食べていたのだけど、最近前ほど、というかほとんどインスタントラーメンを食べることがなくなった。

透析患者としては真っ当な判断と言える。でも別に食べたくないとか、美味しく感じなくなったとかそういうことではなく、単純に1食の重みを考えるとインスタントラーメンに1食を割くのが勿体無い気がして。何を食べても体重の増え(水分等の意味で)を気にしなければいけないのでせっかくだからきちんとしたもの食べようというわけである。なんと大人になったことか。若いうちに透析導入していたらもしかしてこうはなっていなかったのかもしれない。

そういったわけで久しぶりのインスタントラーメン。食べたのは王道も王道、サッポロ一番シリーズだ。

サッポロ一番といえば味噌か塩。塩とんこつとは珍しいなと思い買っておいたのだ。特に何かを意識することもなくパッケージを眺めていると切り胡麻付きである旨の記載がある。ああ、そうなんだなとしか思わない。商品名の字体ともよく馴染んでいる。

さて、作るかと何気なく作り方を確認してみる。そして読み進めていくと切り胡麻について触れられていた。

いやこれ明らかに説明しているひとここだけ変わってるでしょ。業務的にラーメンの作り方を説明されているなか、切り胡麻のくだりだけ明らかに彫りが深くなっている。アナウンサーの説明を聞いていると思ったらいきなり藤岡弘が「切り胡麻…!!」と割り込んできているじゃないか。

これはなんなのだろう。何か商標登録とかの都合なんだろうか。それにしても唐突すぎるし説明がなさすぎる。パッケージの表面はサッポロ一番のロゴも似たようなものだったから馴染んでいたが、ここにきて謎のこだわり。切り胡麻以外の具材についても独特の字体で表現してくれたりしたらもう一生サッポロ一番推し続けるし買い支えるな。

肝心の調理後のラーメン写真は撮り忘れてしまったのだけど、具なしラーメンだったのでみすぼらしいものが出来上がったのでした。いや「切り胡麻…!!」はきちんとつかったのでそれだけでいくらか気高き食べ物になったことだろうと思う。

ちなみに珍しがって今回塩とんこつ味を購入したけれども、サッポロ一番は断固として味噌派です。味噌しか認めない。味噌味原理主義なのです。サッポロ一番は味噌、カップヌードルはカレー、きのこたけのこでいえばたけのこ。世の中そういうことでやらせていただいております。

こういうときプレーン扱いとなる醤油味って立場ないなと思うのだけど、ラインナップからなくなっていないということはきちんと人気があるのだろうな。カロリーメイトのプレーンは終売したらしいけど。しかもプレーンを名乗っておきながら元祖というわけでもなく、途中から販売されたとのこと。チーズに対して「プレーン」なのだとか。この場合の「プレーン」は何味なのか謎めいている。醤油か。

話がとっちらかってきてしまった。久しぶりのインスタントラーメン、味うんぬんよりも「切り胡麻…!!」に出会えたことが収穫だったな。なんかよくわからんこだわりって良いものだ。「お、おう…」とどんどん言わせてほしい。

人生一度きりとはいいますけれども

人生一度きり。当たり前である。一度きり、不可逆であるため何かと頑張る。

でも何度も人生をやり直せることができたらどうだろう。やり直せるというか、生まれ変わることができるというニュアンスかもしれない。おそらく相当雑に生きることになるような気がする。大切な判断が必要になってくる瞬間、その判断を下すときでも「まあ…これで違ったら次は別の方選ぼう…」的な発想になってくるかもしれない。いや、少なくとも僕はなるのではないかと思う。

こういう迂闊かつ雑な判断だけであればまだ本人だけの問題ではあるが、世間全体で何度も生まれ変わることができるということになったら人生を途中で放棄するひともあらわれるかもしれない。まさにリセット。一回死んじゃう?みたいな軽いノリでそのときの人生をやめてしまうのだ。

そうなると易々とお死にでないよとお上が動き、人生やり直し禁止法など、法整備されていくことは充分にあり得るだろう。規制が生まれれば必ず反発する者があらわれるもの。「死ぬ自由」とかいってデモが行われたりするのかもしれない。

と、まあ何をわけのわからんことをお思いかもしれない。それというのも通勤経路にこんな張り紙を見たからである。

感じる強い意志

おお…言い切っている割には期間とかはわりと曖昧。夏中休むとは言っていないもののこれは8月中は休むつもりだぞ。僕はこんなことを言える人生でありたいのだ。しかし僕の人生は残念ながら熱波が来ても日常生活を維持しなければならない。このようなハメハメハ大王のうたみたいな生活できない。熱波が来たら仕事せず、雨が降ったら休みてえ。

でも、人生何度も繰り返しても性格が一緒なら結局似通った人生になってしまうものなのかもしれない。このように豪胆な判断は僕にはできないような気がする。だってドラクエ5、何度プレイしてもビアンカと結婚してしまうのだもの。あの状況でフローラ選べるか?ゲームのただの2択ですらこのざまなのでましてや人生本番たるやである。

それにしてもこの「人生一度きり」というフレーズ、人生も折り返しを過ぎたような人間からのほうが多く聞かれると思う。それは中高年の言い訳として使われていることを散見するからだろう。後悔のない人生を送りたい≒少しくらいハメ外したっていいじゃないの意味合いで使われているように思うのだ。なので中高年で「人生一度きり」と言い出したら要注意である。何か良くないことの起きる前触れかもしれない。

こうして「人生一度きり」についてあれやこれやと言い出している僕もすっかり中年だ。前述した言い訳おじさんたちとそう変わり無くなってしまっているのだな。

こういうと自分の人生どこかしら納得いっていないようでハメを外したいと思っていると見られてしまいそうだが、こう見えて僕はこれまでの人生はこれでよかったなと思っている。病気のことに関しても面倒は多いけれども大変なのは周りのひと達で僕自身はそんなにネガティブな感情を抱いていない。まあこうなったらこうなった過ごし方というものがあるものである。そのくらいの気持ち。これは子供のころから病気だったからかもしれないが。

やっぱりやり直せる人生よりも一度きりの人生のほうがいいな。

父にキレ散らかしたあの日の父側の立場になってしまっている

お酒を飲むと人間としてのスペックが著しく低下する。これはひとによると思うのだけど、僕の場合は少なくともそうだ。ひとによってはちょっとくらい引っ掛けていたほうが頭の回転が速くなったり行動力が上がったりするひともいると思う。僕はどうかと問われるともうなんだか色々なことがどうでもよくなってくる。何にしても「まあいっか」になってしまうのだ。多分シラフのもう一人の僕が横にいたら「いやよくねえよ」とツッコミまくることだろう。そのくらいには思考が雑になる。

色々雑ではあるけど基本的に上機嫌なのであまりひとに絡んだりとか怒ったりとかそういうのはないが、最近記憶をなくすようなことが頻発してくるようになった。これはまずい。雑なだけならいいが(よくないけど)発言を覚えてない等はひととして信用できない。

子供のころ、父親が親戚の集まりで酒によって上機嫌になっているところに顔をだしたところ、その場を盛り上げたかったのか「あれやってよ、マイケルジャクソンのモノマネ」と無茶振りをしてきたことがあった。え、普通に嫌ですけどくらいのリアクションをしたところ「じゃあ、やってくれたらファミコンのソフト買ってあげるよ」と提案してきた。

なんですと。そのとき僕はファミコンソフト”ドラゴンボール 大魔王復活”が欲しくてたまらなかった。でも口実がなくねだることができずにいたのだ。これはチャンス。一時の恥でファミコンソフトなら安いものだ。思い切ってやってやれ。

 

ポォォォーーーーーーーーーーーーッッ

 

腰を素早く動かしマイケルのモノマネを披露した。

結果まあまあウケた。これでファミコンソフトまで買ってもらえるのなら良い取引だ。父からファミコンソフトが手渡されるのを待とう。

その後、しばらく経ってもファミコンソフトは与えられることはなかった。何かおかしいと父に「あのときの約束は…?」と問うたところ、「ん?約束?」と返された。え、ちょっと待って、マイケルとファミコンソフトのこと覚えてませんか。話が違うんですが。「あ、ごめん全然覚えてないや」とのたまう始末。

めちゃくちゃキレた。結構仲の良い親子で喧嘩なども滅多にするようなことがなかったが、このときは烈火の如くキレ散らかした。こちとら恥をしのんでひと前でいちかばちかのマイケルっぷりをかましたというのに約束不履行とはどういう了見ですかあなたは。しかもその理由がお酒って。大人ってのはこれだから…

という大人に今なっているのだよ、僕は。由々しき問題に気づいてしまった。かつての怒られる側になっているじゃないか。お酒による約束不履行、大いに気をつけて行こうと思う。いや、ほんと気をつけます。

ちなみにファミコンソフトについてはこのやりとりの後速やかに与えられた。父はいい加減な約束はするものの子を大事にするひとであるのは間違い無かったので焦って約束を守ったのである。めちゃめちゃ懐かれてる息子からあんだけ怒られたからさすがに焦ったのもあると思う。

こういった悲劇をなくすために最近お酒が深くなってきたなという頃にメモをとるようにしている。起きた時に前の晩のことを思い出すことが難しくてもきっかけがあればわりときちんと思い出せるものだ。記憶の引き出しに放り込んだものの取手がなくて開けることができなくなってしまっていたところの取手としてのメモというわけである。

今のところうまく行っているような気がするが、これは多分本当に深酒したときはメモをとることすらままならないという日が訪れるのではという予感もしている。

ま、お酒はあくまでも楽しくが鉄則ですな。本当に切実なんで飲酒時の記憶を維持する方法があったら教えてください。

飲まない?ないない🥃

 

お酒を飲んでもきちんとお世話しているサボさんの写真でお別れです。

 

お掃除まるなげできちゃうなんてなんて素晴らしい存在

最近故あって家の掃除当番を担っている。掃除といってもクイックルワイパーで掃き掃除といったところだが、毎日するとなるとなかなか時間を取られるし、透析の日は透析終わりに掃除するのは身体的に少々辛めだ。今まで妻にそのほとんどを任せてしまっていたのだけど、自分がやるようになって1日でもスキップすると結構景気良くほこりがたまりがちであることを思い知らされた。

毎日の掃除、誰かやってくんねえかな…

はい!よろこんで!

てへ、買っちった。

少し前から導入を考えてはいた。この週末はひとまず実機を見に電気屋行ってみるかとそんな軽い気持ちだったのだけど、販売員さんの説明を聞いていたら欲しい気持ちがみるみる膨張し思わず買ってしまったのだ。ちなみに妻も同伴していたので勝手な買い物ではないことだけは申し添えておきたいところ。それにしても我ながらちょろい。販売員さんもまさか買うとは思ってなかったんじゃないかな。それくらい最初は「今日は見るだけなんで」オーラを出して話を聞いていた。買っちゃってるけど。

成り行きで我が家に迎え入れられたルンバ氏。スマホアプリと連動し何かと設定をしていると、命名の儀を執り行えとのこと。言われずとも命名はするつもりではあったがオフィシャルとして推奨している儀式なのだな。よし、良い名前を与えてやるからな。

命名:吸太郎(すいたろう)

さあ、我が家のほこりを存分に吸うルンバ生(人生的な)を過ごしたまえ。ひとつ仲良くやろうじゃないか。我が家の衛生事情は君の双肩にかかっている。

命名の儀もつつがなく執り行われ、早速一仕事お願いしてみた。「よいせ」という声が聞こえてきそうな動きでホームからお出かけする吸太郎。初めての稼働なので部屋の様子を確認しながらせっせと掃除をおこなっている。かわいいやつめ。壁などにも結構当たっており、当たりが結構強かったりすることもありちょっと心配になるもひたむきな姿勢とも感じられ好感が高い。ちなみに音は思っていたより静かだ。ドライヤーの強よりは静かなんじゃないかな。

せっせと部屋を掃除する吸太郎。きちんと掃除できているのかわりと付きっきりで見守ってしまった。ロボット掃除機導入の意味。まあ初回なんでね。次回以降はひとりで頑張ってもらうさ。でももしかしたらこれはロボット掃除機導入時あるあるな行為ななのかもしれない。

しばらく見守っていたところ、部屋の半分くらいの掃除を終えたところで急に静かになったと思ったらもそもそとホームへ戻ってしまった。おい、初日からサボりか。世の中そう甘えもんじゃねえぞと世の中の理を教え込もうと掴みかからんばかりの気持ちで詰め寄りそうになったが、きちんと調べたところ、まずはマッピングをしないといけないらしい。言われてみればそれはそうだ。部屋の作りを全く知らないところへ放り込まれたところでどこからどこまで掃除してよいかわからないというものである。

すまなんだ、吸太郎。指示がよくなかった。まずは家の中を見て回りたまえ。ということでマッピングランをしてもらった。家の中を縦横無尽に駆け巡りマッピングランも終了。その結果を見たところ、きちんと我が家の間取りを再現したマップが出来上がっていた。できる子、吸太郎。

その後改めて一仕事お願いしたところ、概ね上々といった仕事ぶりを発揮してくれた。掃除後に掃除できた範囲をマップ上に塗りつぶされたものが出来上がるのだけど、初回ならこんなものかなといったところだったのでこれからに期待だ。

こうして我が家の一員となった吸太郎。長い付き合いになりそうだ。掃除が終わるとゴミをゴミステーションに捨ててくれるのも愛らしい。可愛がってやんよ。

考えてみると家電量販店で直接商品を買うのって久しぶりだったような気がするな。あれはあれでやっぱり良い。何より目的のもの以外も意図せずとも目に入ってくるというのがネットでの買い物では味わえないリアルショッピングの醍醐味と言えるだろう。

だってこんなものわざわざ見ないでしょう。

お米は鉄鍋に張り付いててはがれない。妻もはがそうとしてた。

こんな葛飾北斎みのある鉄鍋炒飯あおりはネットで買い物していてたどり着かない。たまには実店舗で買い物しようと思えたところでみなさまを良いお掃除ライフを!🧹