普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

こまっしゃくれたパスタか?お?

あいも変わらず会社に出社するときはお昼ご飯を食べに行くつもりで出社している。出社するたびに男子の証、茶色い献立(ラーメン、カレー、とんかつ、ハンバーグ等)を平らげているわけだが、さすがにワンパターンすぎる。ここらで新しい風を吹かそうと思いを巡らせたところ、結構いい感じのパスタ屋があったのを思い出した。そこのカルボナーラが美味しかったような記憶が茨城から見える富士山くらいの解像度で脳裏に浮かんだ。

そうだ、これだな。まず茶色くない。これだけで新路線だ。そして僕はパスタの中でももっともカルボナーラが好きなのでそれも推せるポイントとしてひとつ。これはもう行かない理由がない。颯爽とパスタをたぐりに向かった。

店頭に到着。ランチメニューを確認してみると何度見返してもカルボナーラがない。明太パスタやチーズとトマトクリームのパスタも好きだけど、今日はカルボナーラのおなかなんだよな…かといって今からリカバリーできるほどの時間とアイデアがない。さてどうしたものかと思案にくれていたところ、「ほたてとエビのウニクリームパスタ」の文字が目に入ってきた。普段であれば見向きもしないところではある。魚介のパスタってなんだかなとぐちぐち言ってしまうタイプなのでふだんならまず選択肢に入らない。冊子スタイルのメニューだったらそのページをスキップするくらいには興味がない。まずほたてがそんなに好きでもない。と、やめてやれよというくらいに選ばない理由ばかりが頭の中に列挙された。

しかし今日は他のメニューと対等に一枚看板にその名を連ねている。これは自分にとってもチャンスなのではと一念発起しウニクリームパスタを食べるために入店を決めたのだった。

入店しパスタが提供されるまでも「ああ…やっぱりトマトクリームだったんじゃないかな…」と後ろ髪引かれる思いでパスタを待っていると威風堂々と、かつ高貴な雰囲気も醸しつつ僕の前にサーブされた。

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よりでもう一発!

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概ねリアクションは読めてたのではないかと思うのだけど、めっちゃうまいのな!これ。なんでいままで食べてこなかったのか甚だ謎。人生まじめにやれ。

苦手だなと思っていたホタテも美味しくて具選手権ランキングを駆け上がったし、ソースに関してもクリーム系でありながも他と違う個性でおいしい。食べているうちになんかうまい塊あんだけどこらなんだろうな、子持ちホタテのたまごの部分?などとおろおろしていたが普通にウニだった。めちゃくちゃ分かってないやつ感だしてしまった。 

懸念は真裏に裏返り、見事大満足の食事となったのであった。大勝利も大勝利。やっぱり知らないもんて食べとくものなんだなとあまりにも嬉しくて妻に伝えてしまった。

これは自分でも作れるようになりたい。いろいろな事情を考えるとうにとか気軽に買えなそうな気もするけど、まあそのあたりは適当に。

 

大半の読者の方が「このひと鼻息あらく、今更なにいっているんだろう」と思っているかもしれない。でもこれはあくまでも一例だ。未知の味は積極的に味わっていきましょうというご提案である。

これからなんかよくわからんかったパスタワールドに足を踏み入れそうな予感がするぞ!

なんか間違った感じの運命的出会い

昨日は特に何か予定があったわけでもなかったが休暇を取得していた。強いて理由を言うのであれば「ぼーっとしたかった」があてはまるだろうか。実際日中はぼーっと過ごした。何もしていないくせに「そうだ、これがやりたかったんだよ」と謎の達成感を得られたのでコスパがよいと考えられなくもない。

昼間はそうして過ごし、妻が帰ってくる頃には夕食の支度にとりかかった。なんだかどうしても大葉がふんだんに使われている料理が食べたくなって、炒めたり和えたりと大葉無双を発動し、妻からの好評を得た。なかなかよい休日じゃないか。実質何もしてないのだけど。

食事中にどういった話の流れからか僕がギターを始めたきっかけの話になった。どこかのバンドの影響などかと問われ、記憶を辿ったところ「バンド」というのであればBUCK-TICKだなとは思ってみたものの、厳密にはそうではないという結論となった。

僕がギターを始めたきっかけは中学校のときの先輩だ。

僕は中学の頃少々特殊な環境で過ごした期間ががある。詳しいことは下記エントリーあたりに書いてあるのでよかったらどうぞ。

かいつまんで言うと病院に入院しながらその付属の学校に通っていて、先輩はその病棟の患者であったと言うわけだ。先輩はなんの躊躇もなく病棟内に轟くボリュームでギターをかき鳴らしていた。一応病院なんですけどね、そういうのお構いなしでした。先輩。ある意味ロックだ。

先輩が弾いていたのはBUCK-TICKのjupiterという名曲。

アコースティックギターストロークが美しい叙情的かつ儚げな曲である。

しかし先輩はロックのひと。そんな風情などくそくらえとばかりに思い切り歪ませた音色でアコースティックギターのパートを完奏していた。それはもう何度も何度も。こういっちゃなんだけどこの曲の醍醐味をまるごとぶん投げる所業である。

本来であれば上記が正しい感じ方なのだろうが

「か…かっけ〜〜!!!」

どうも僕はズレていた。歪ませまくったダーティーなジュピターのアコースティックギターパートに深い感銘を受け、自分もあんなふうにギターをかき鳴らしたい!と思ったのである。我ながらどうかとは思う。そりゃ後々メタルにもハマるはずだ。

実際そのあとギターとアンプを買い、それなりすぐ飽きたりしながらなんだかんだで人生で最も熱量を注ぐもののひとつとしてギターと向き合ったのだった。

先輩のあのむちゃくちゃなjupiterがなければどうなっていたことやら。ちなみにその後自分でもjupiterを歪みギターで演奏してみたが「なんじゃこりゃ」と思っただけであった。ギターを弾いたことがない状態で聞くと言うのが重要だったのかもしれない。パッションね、パッション。知らんけど。

こんな話を妻にしたところ、なんかひねくれてて僕らしいねという言葉をいただいた。確かにひねっくれてはいるよな。

思えばこの病院生活、思春期真っ直中だったので、様々な価値観を育んだ期間でもあったな。今日のところはこの辺にしてまたそのあたりのことを書いてこうと思います。

 

昔なんかの気まぐれで撮った愛機の写真。

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ゴミの内容から嫌疑をかけられることもあるんですな

今週のお題「引っ越し」今思えば、上京する時の引っ越しってめちゃくちゃサボった荷造りをしていたなと思う。家電以外のものってCDとゲームくらいしか持ってきてなかったんじゃないかな。それもゲームに関しては一部だけしかもっていかなかったと思うし。あ、あとは楽器か。

遠く離れて暮らすということにいまいち現実味をもてていなかったのかもしれない。必要なら送って貰えばいいか、的なところで。

今でも相当にあまあまな考えでゆるゆると生きているが、その頃はあまいとかゆるいとかそのレベルではなく、グラブジャムンを煮溶かしたような劇物クラスに甘かったと思う。

僕は地元に住む前に関東に住んでいたことがあり、純粋に地方から東京へ上京するというケースよりは緊張感に欠けていたというのも理由の一つとしてあった可能性はある。その当時の愛郷心といったら希薄にも程があり、上京組の中でも相当地元を早く離れたと思われる。実質5年くらいしか住んでいなかったのでそれも無理のない話かなという気もするけれど。なんなら今の方が愛郷心が芽生えているくらいだ。離れてわかる大事な存在。母への思いも似たようなものだろう。僕は元々母との関係は良好な方だったが。

今にして思えば物件選びもなんかよさそうならそこでいいよと母に任せっきりで内見もしにいかなかったのだった。ただ、変なこだわりは見せており、「ドアの写真だけは撮っておいて」と母に依頼していた。当時(わりと今もだけど)、昭和の団地っぽい叩くとバコンバコンと一斗缶みたいな音が鳴りそうな金属のドアというのがどうしても嫌で、ドアはしっかりしている風のものを求めていた。こだわるとこそこ?と思いはするものの、結果的にはドアだけは上品に見えなくもない部屋だったので満足した。

以前のエントリーで少し触れたかもしれないが、ここの物件はマンションとしては部屋数はそこそこあり、半学生寮のような物件であった。1階には管理人である老婆が住んでおり、挨拶などをしに行った際はそれなりに愛想よく対応してくれたのが今や懐かしい。その後どんどん狂っていったからな、あの管理人。

そもそもペット禁止物件だったのに管理人の部屋には隠されることなく犬が飼われていたというのもおおらかな話である。

管理人のエピソードといえば、こんなものがあった。

当時夜勤であった僕が仕事終わりの朝に寝ていたところ、チャイムを鳴らす訪問者が。眠いので出ないでいるもののチャイムは鳴り止むことがなく、仕方なく対応することにした。ドアを開けるや否や「こっちにきなさいよー!」とゴミ捨て場まで強制連行され「このゴミ、あんたのでしょー!」「この薬のゴミは一緒に出しちゃだめなのよ!この中から拾ってわけなさいよ!」と捲し立てられた。ゴミの内容を見るに薬のゴミなどがあって確かに僕の出したゴミではある。しかしなぜ僕だってわかるんだ…?と思うも眠さで思考能力も低下しているし、早く帰って寝たい。素直に従ってゴミを分別しようとゴミ袋に手を入れたところ「もういいわよー!」と退場させられた。いいのかい。

なんなんだ、このエピソード…いろいろと素っ頓狂すぎる。ゴミ出しのマナーがなっていなかった僕が悪いのはそうだとしても、ゴミの内容から住人を特定するとか怖すぎるじゃないか。でももしかしたら入居の際に病気持ちであるとか伝えていた可能性はあるけど、それにしたって薬=僕になるかね。あのころにはちょっと管理人に異変が起きていたのかもしれない。

そんなピーキーな管理人がいる物件に結局は10年以上も住むことになり、管理人は明らかに常軌を逸した行動をとるようになったなーと思い始めた頃に姿を消した。あの管理人だったから許されたのか、今思えば相当無茶苦茶な暮らし方をしていたのでその当時の僕の周りにいたひと、ほんとすんませんでした。

なんだかもっとエモくなるかなと思ったけれども思いの外ドライな感想しか出てこなかったな。というかほぼ箇条書きみたいなエントリーになってしまった。

でも結構濃い生活を過ごした場所ではあるので認知症などで「帰りたい」と言い出したらここに帰りたいとか言い出してしまうかもな、なんて思ったりもしております。

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あなたのためにお祈りさせてくださいとは言うけれど

以前にも書いたことがあるように、信仰に関しては他人に迷惑を与えない範囲であればどのようなものを信仰していてもかまわないと考えている。それがたとえ空飛ぶスパゲッティモンスター教であったとしても。

空飛ぶスパゲッティモンスター教とか今考えたみたいな名前だけど本当にあって意外に人気のある教団らしい。軽く調べた範囲ではわりとピースフルな団体っぽいが、やたら高額な変なグッズなどが団体内でもてはやされていたりするのだろうか。腐らないスパゲッティなどと謳って乾燥パスタを崇め奉っていたり。

そういう、言ってしまえば詐欺めいた事案が発生しなければちょっとくらい独特なものを信じていたってかまわないだろう。僕が高校時代入院していたときに出会ったのもその境界線にいる方々であった。

腎臓移植のために入院をしており、手術前のあれやこれやの検査の日々。それでもなんだかんだでゆったりのんびり過ごしていた。

どういうルールになっていたかは定かではないが、高校生である僕は小児科に入院していた。小児科といったら当然子供が入院するところだ。幼児の入院には保護者の泊まり込みでの付き添いが許可されるケースがあり、僕のいた病室もそのケースにあてはまる幼児が入院していた。

ちなみに、その部屋は2人部屋で、お隣さんはたぶん4、5歳くらいの子が患者でその付き添いとして母親。子供の年齢からどう歳をとっていても30代。30代人妻が隣で寝起きしているのである。僕はあまりピンときていなかったが、好きなひとにはたまらないようなシチュエーションだったのではと今では思える。

患者は子供なのだけど、結局会話したり何かしらの気を使うのは母親な訳で、あれこれと会話をしているうちにそれなりに仲良くなってくる。そうすると少し立ち入った話になるというものだ。

隣の子供は結構な難病だったんだと思う。なんの病気だったかはいまいち覚えてないけれど。そこでお母さんは日々お祈りしているのだという。子供に手をかざして。

知っているひとなら「お?」と思う方もいるかもしれない。たぶんそれなりの規模で信者も少なくない教団内で行われるそれである。

僕は肯定的でも否定的でもなく、かといって信じるわけでもなくのらりくらりとその話を聞いていたが、ある日打診を受ける。

「君のためにお祈りさせてくれないかな」

これは…

街中などで声をかけられたらすかさずその場を離脱するというあれだ…!しかしここは普段の生活の拠点、病室。実害があるわけでもないのに断ると今後の生活にも障りそうだ。そう思い僕は「はあ…まあ…」と明らかに乗り気でないリアクションながらもその申し出を受けたのであった。

いざ手かざしお祈りとなったそのとき、隣には旦那さんもいた。増えとるやんけ。これはこのあと一波乱あるのではと不安を感じながらお祈りしてもらい、「どうかな?」「はあ、なんか患部があったかくなったかもしれません」などとひょっとこなやりとりをしてその場はそれ以上のことは起きなかった。

結果的に言うとお祈りはその一回だけで、僕があまりに打っても響かなかったものだからお祈りの対象から外れたのかもしれない。

それにしてもいきなり現れた旦那さん、これがまた良いひとで、ふだん幼児と母親との会話で物足りなかろうと男目線で僕と会話をしてくれたりしたのだ。その会話の中で「ギター弾いてるんだね、どんなバンドが好きなの?」と聞かれたので当時入れ上げていたLUNA SEAをはじめとしたV系だと伝えたところ、「へ〜、僕はそういうの聞いたことないな〜」とまあ妥当なリアクションであった。

そして後日「君のこと理解しようと思ってこれ買ってみたんだけど、ちょっとわからなかったわ!ごめんね。でもこれせっかくだからもらってよ!」

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Xのファーストアルバムである。え?そこチョイスすんの?という一枚。LUNA SEAはかなり売れていたし、Xだってもっとキャッチーで売れているアルバムもあった。なぜこれを…

とは思ったもののまあ持ってないやつだしくれるもんならありがたいしもらっとこってなものでもらっておいた。もうちょい警戒したまえよ、君。

一連の出来事を母に報告したところ、母はすぐに特定の教団の行為であることを悟り、何を言うでもなく味わい深い顔をしていた。自分の子どもが軽くはない病気であるが故にそういったものに傾倒してしまうということを否定しきれなかったのかもしれない。

その後手術日当日まではその親子ともそこそこ仲良く過ごし、移植手術当日を迎えたのだった。手術日当日にやらかしたことなどは上に貼ったエントリーを参照されたし。

 

あ、最後にひとつだけご報告しておきますと手かざしご夫婦、月刊ムーの愛読者でございました。

絶妙でしょ?

 

ロックに出会って試験の点数下がるって昭和か

今週のお題「試験の思い出」とのこと。試験の思い出を語るほど人生において試験を経験していなかったかもしれない。というか基本的に試験をナメていた傾向はある。

まずは中学、高校などの定期試験。本当に試験勉強をしなかった。それでも追試をしなければならないほど悪い点数をとるということもなかったのである。日々の授業の内容がある程度頭に入っていたかと言えばそうでもない。

こまっしゃくれた学生だったので「はーん、どうせここテストに出るんでしょうなー」というヤマを張るのが得意だったのだ。どうしようもない話である。テスト前の休み時間の10分間、教科書を凝視しその内容を頭に叩き込んでテストに臨んだというわけだ。それで平均ちょい下くらいの点数を取っていたのだから御の字ではないか。ただし、僕が通っていた学校は偏差値で言うと下の中くらいのランクだったからそんなことで乗り切れていたのであって、きちんとした学校からだったらあんなことではダメだったのだろうな。

いま自分で書いていて思ったけれど、下の中の学力の学校で平均ちょい下って、全体で見たらめちゃくちゃ下だな。あんまり気にしてないけど。そしてその中でも下位にいたひとたちというのはレジェンドクラスの人物だったということだな。

思えばビーバップハイスクールみたいな先輩、いたものな。そしてある日保健室で寝ていたら(サボり)先輩たちが立て続けに入ってきて「こないださー、ひと刺しちゃったんだよね…」なんて話もしてたものな。そりゃ学力とかそういう話でもなくなってくる。その後大事になっていないところからおそらくしょぼいバタフライナイフみたいなものでの出来事だったのだろうけど。

先輩も含めて僕らの世代はあまりにも露骨なヤンキースタイルの違反制服はダサいという風潮だったのだけど、先輩は短ラン、ボンタン、ほっそいエナメルベルトという数え役満を叩き出していた。気高い。

試験全然関係ない話になってしまったので話を戻すと、中学校1年くらいまでは実は結構勉強の出来る子ではあった。小学校高学年くらいから友達が通っているから一緒に行きたいという理由だけで塾に通うようになり、勉強のコツみたいなものを掴んでいたのだと思われる。

テストで良い点を取ると母から褒めてもらえるのも嬉しいし、勉強することによって分からなかったことが分かることに上書きされていくのも「攻略している」感じがして楽しかったのだと思う。当時通っていた塾のなにかのテストで地元1番の進学校も合格可能の判定が出たこともあったのでわりといいセンいっていたんだろう。

それがなぜ冒頭のようにさっぱり勉強をしなくなったしまったのかといえば、ギターを弾き始めたことが大いに関わっている。というかそれしかない。勉強なんぞしてる時間があるならその時間分チョーキングしまくったるわという気概でギターにハマりまくった。ロックに出会って勉強しなくなるって昭和か。

それにしてもそこまで底辺の点数ではなかったとはいえ、そこそこ勉強できていた息子がまったく勉強しなくなったというのに母から勉強について何か言われた記憶がない。というか結果とか報告もしてなかったかもしれない。テストの結果を親に報告する文化が各家庭であるのかどうかというところもあるけれど。母も「そこじゃない」と思っていたのかもしれない。良き親。

高校卒業後は願書と金があれば入学できる某音楽学校に進学したので一気に試験との距離は広がった。いや、音楽学校でも試験あったけれども。音楽理論とかの。でもそれは興味の範疇なのでいわゆる「試験」というのとは少し違うかなと。

1番直近で受けたきちんとした試験といえば昨年末の自動車免許取得時の筆記試験だ。思えばそのときも日々の試験勉強ではなく一夜漬けで時間に臨んだな。全然変わってない。でも試験直前ではなく一晩前から準備し始めただけ進歩かも。と、思わせておいて長期記憶の能力がくったくたになっているだけだったりするのはご内密にな!

とくにあげる写真もないので試験を定期的に受けていたころハマっていたドリームシアターのライブビデオのライナーノーツという謎写真をあげておきましょう。

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最後のカード

ロシア、なくなってしまうのではないかな。そういった荒唐無稽な思いが頭をよぎった。

それというのも今回のウクライナ侵攻、ロシアにとってどれほどメリットのある行動だったのだろうか。僕が得た情報からは戦争を仕掛けるだけの妥当性ははないように感じた。そうすると極論「気に入らねえからあいつを殴る!」と変わらないわけで、その結果相手をぶちのめしたところで「わあ素敵!」となるわけがないのである。なのになぜ?というところから色々憶測をしてみた。

今の世の中、戦争に勝ったところでガッチガチに納得させられるような妥当性、正当性がない限りは「戦争をした」というだけで非難の対象となりうることは火を見るより明らかであろう。むしろそれを織り込み済みでやっているのではと邪推してしまうくらいにロシアの行動は謎だ。非難が集中すれば当然各国からの制裁もあるわけで、ただでさえ戦争で不安定な状況が悪化の一途を辿る。そうしていくうちに国は貧しくなり、戦勝国であるにも関わらず国として維持出来なくなり消滅するしかないというバッドエンドに至るのではと思った次第である。国というのがそんなにペラペラなわけないだろうから与太話以下の発想であることは自覚しております。

与太話ついでにもうひとつ思ったこととして、プーチンが自分の死期を悟り、せっかく築き上げた独裁政権の集大成として「戦争を仕掛ける」という心の中にはあったけど絶対やっちゃいけないことランキング殿堂入りを発動させたというのも考えた。これもやはり最終的にロシア存続ルートは潰える。ザ・与太話。

世の中色々な主義主張があるとはいえ、戦争をして良いと思っているひとはほぼいないだろう。というかそうであってほしい。戦争も時には正義と強弁を張るものが現れたのだとしたら、それはその時代の世論が歪んできているということだと思う。

ロシアの一般の国民の方々だって本当に勘弁してほしいと思っているのでは。普通に暮らしているだけなのにいつの間にか自分の国が世界から非難される対象になっているのだ。そして生活も不便になったりもするだろう。良いことひとつもない。もちろん軽々しくロシア全般を否定してしまうという行為にも問題はあるとは感じるが、それが大衆というものではあるのだろう。

仮に、仮にですよ。ロシアが国としての体面を保てなくなるようなことがあったとしたら、それはそれで跡地の問題とか出てくるわけでそれがまた火種になってしまったりするのかななど。もうこれ、陰謀論のような話になってしまってますか。

いずれにせよ平和に健康で生きていられることが人生においてどれほど重要なことなのかを気づきなおせるきっかけにはなる。僕の場合なんて健康のほうは脱落してしまったのでせめて平和は維持していきたい。

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在宅勤務<宴会…か?

職場はコロナの状況により原則出社率というものを定めている。少し前、感染者数が爆発的に増えたときは出社率2割としていた。要は週1日出社ということである。

それが今、5割となっている。まん防中だし、一時期より減ったとはいえ東京の1日の感染者数は1万人を下回る日は少ない。ではなぜ?となるのだが、これはオミクロンなら重症化しなそうだし、犠牲<お金で行きますか!の表れなのかなと受け止めている。

それについて憤りをおぼえるわけでもなく、ただただ在宅勤務の口実が無くなってしまうことに対して不満を感じるのみではあるが、いつまでもコロナコロナで自粛だのなんだのという生活も多少疲れてきてしまった。

疲れたというとネガティブなであるが、実際のところは宴会がしたくてたまらないだけなのだ。30人規模くらいの。銭湯併設の宴会場を借り切ってみんなで床のシミになるようなそんな宴会がしたい。そのためにはコロナは障害でしかない。僕にとってのコロナは在宅勤務の口実と宴会開催への障害でしかないって軽薄にもほどがあるな。もっと真剣味をもって人生に挑んでいきやす。

会社に来いと言われれば行くしかないとお思いかもしれないが、ダイバーシティなどと小賢しいことを声高に叫んでいる僕の職場へ真のダイバーシティをつきつけようとわりと言うことを聞かずあまり出社しないで家でばかり仕事をしている。だって別にそれで困らないのだもの。

僕は根が陰キャだからなのか、よく言われる「在宅勤務だとコミュニケーションが云々」という部分もそんなものチャットやらメールで済ませればよいだけの話でしょうとそこまで不便に感じない。むしろ自宅で静かに仕事ができて快適である。

でもそういえば昨日、久々に同じ島の人間がたまたま全員出社していてその状態でミーティングがあったとき、上司はちょっと嬉しそうだったな。そういうのもわからなくはないのだけど、これからは前時代的と言われる感情になっていくのかもしれない。そう言ってる割には大宴会したいとか言ってるんですけどね、あたくし。サンオツでございやした。すまねえすまねえ。

出社をするとお昼ご飯選びにあまり困らないというのはメリットである。というよりも毎度言っているけれど、お昼ご飯食べに会社に行ってますからな。今日のご飯は日乃屋カレーであった。

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日乃屋カレー、神田カレーグランプリとかそんな感じのもので優勝とか殿堂入りとかよきポジションを獲得したらしい。甘辛系のカレーで、ああ、こういうのもありかなとおいしくいただいているような気がするのだが、食べ終わる頃には「あー、しばらくはいいな」と数ヶ月はインターバルが発生する不思議なカレーである。

それにしてもカレーとからあげっていろんなお店が賞取りすぎ問題はあると思う。金賞だのグランプリだのとっているというのはよく目にするけれどもどの大会もインターハイクラスであればそれは賞をとってハクがつくというものだが、そのひとつひとつの賞レースが町内会のボウリング大会規模であったのだとしたらその1位のすごさは未知数のままである。

カレーも唐揚げもまずいものってほとんど提供されない。むしろどんなものでもおいしいと感じることの方が多いのでこの問題はふわふわした感じになっているのだろうか。1回幽遊白書の魔界トーナメントみたいのをやって在野の実力者を含めた真のNo. 1を決めてほしい。

まあ結局僕はカレーと唐揚げならなんでもおいしいんですけれども。提供し甲斐ないおじさん選手権優勝候補です。

こうして今日で1週間もおしまいかー、と帰りの電車に乗ろうとしたところ、私用のスマホに電話がかかってきた。会社の番号っぽかったから出てみたら「もしもしー〇〇(隣の島の上司)ですー。確認のために電話しましたー。なんでもないですー」とこちらからは何の情報を聞き出せないまま切られてしまった。

え?なに?

なんか悪いことした…?

もしや時期的に人事に関わる何事かか…?

いやそれよりも「確認」てなんの!?

金曜の絶妙な時間に絶妙な電話を受けてしまったので今日はもうふて寝します。

おやすみんみんぜみ🦗