昨日は年に1度、秋の恒例行事、移植外来へ行ってきた。行ったからといって何をするわけでもなくお医者さんと移植のコーディネーターさんと会話をするだけなので、端的に言って「わしが移植希望しとるの、忘れんでくれな!」の日である。
病院への往路、新宿を経由するわけなのだけれど、去年に引き続き新宿駅は知らない場所になっていた。駅の改装工事でいろんなところでこれまであった通路がなくなっていたり、逆に通り抜けができるようになっていたりで、さながら不思議のダンジョンシリーズのダンジョンのようであった。来るたびに知らん場所になっている。
新宿駅は地下移動なので良きところで地上に出る必要があるのに、地上への階段が一向に見当たらない。やっと見つけた階段を上ってみたら見当違いの場所に出てしまう始末。東京在住四半世紀越えでありながら素で迷ってしまった。お恥ずかしい。
さすがにちょっと焦り始めたころに死角となっている場所に階段を発見しことなきを得た。ゲームが2Dから3Dに移行していた頃の画面を回転させないと見つけられない階段を発見したときの気持ちってこんなだったな。それくらいにわかんないんですよ今の新宿駅、まじで。
苦労して行き着いた病院での移植外来であるが、状況としては去年と変わらず、相変わらず”待て”の状態であるとの由。登録してからの年数で臓器が巡ってくる可能性が上がるとのことで、特に登録から10年超えてくるとちょっと意識はしておいたほうがいいらしい。電話がかかってきて、出られないと権利が他人に移譲してしまうので。
それにしてもコーディネーターさんが移植のチャンスが巡ってくることを「当たる」と表現していたのが印象深い。まあ、確かに宝くじみたいなものだものな、献腎移植だと。そこで思ったのがここから1年以内で宝くじの高額当選と献腎移植の権利が「当たる」のであればどちらが良いだろうなということ。
正直、現段階であれば宝くじの高額当選かもしれないなとか思ってしまった。健康よりも金をとる。そんな人生のフェイズもある。というかたぶん、腎臓移植が行われたら当然透析も不要になるので、このブログの更新頻度はめちゃくちゃ下がると思う。だからなんだって話でもあるんですけれども。
そのほか、最近の移植ムーブメントについても話を聞き、海外で話題になっていたりする豚の腎臓を人体に移植なんてのはこの先の実用はどうなんでしょう?なども聞いてみた。そしたらなんと、再来年くらいに日本でも人体による治験が計画されているらしいという話を聞けた。調べたらネットニュースにもなっている。
これはなかなか大きな一歩なんじゃないだろうか。と、言ってもそもそも豚の腎臓を自分の身体の中に入れるってどんな気持ちなんだろうなというハードルとどう向き合うかという話ではあるが。人間と豚の腎臓が生理学的特徴が比較的似ているらしいからというのが豚が選ばれている理由らしいけど、”比較的”程度のものを入れなさんなよとも思ってしまう。出来事だけ聞いてたら呪術の域である。
ただ、聞くところによると豚ならなんでも良いというわけではなく、移植に適した遺伝子をいじった豚から摘出する腎臓でないと激しい拒絶反応が起こってしまうらしい。そしてその遺伝子をいじるのにエグい費用がかかるらしいのだ。この辺で呪術の領域から研究、医療の領域に帰ってきた感じがする。その辺の豚を捕まえて腎臓を取り出して自分の身体に装着しようなんて心霊療法みがすごいのでひとまず安心だ。
そのほか、ips細胞とかes細胞とかの話ももちろん考えられてはいるけれども、実現には程遠い状態であるとのことだった。まあそらそうよねと言う感じ。
こうして僕の中の年中行事のひとつである移植外来2025は終わりを迎えた。本来であればこの日は休みとしてのんべんだらりと過ごす予定だったのに、スケジュール管理をミスって出社しなければいけない羽目に。来年は絶っ対に休みをとろう。
