普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

金木犀が香ってくるのににおいの出どころがわからない

10月になったということに若干引いてしまっている。体感ではついこの間GWが終わったような気分でいるというのに。いつの間にか月の数字が一桁増えていた。毎年のことながら月の桁が増えるというイベントにはひるんでしまう。今年の終わりを感じさせるものがあるのだ。下手したら12月よりも9月から10月になったときのほうがなんだかよくわからない焦りを感じているかもしれない。

しかしながら今年は例年とは大きく違う点がある。「今年、なにもしなかったな…」とはならない自信がある。それに関しては近日中にでもお伝えしやっす。考えてもみれば去年は免許取得したりがあったのでコロナで行動範囲が狭まったわりには健闘しているほうかもしれない。

若干の焦りを感じはしつつも焦っても仕方ないというか、焦ることにあまり向いていないので週末は天気の良さに後押しされ散歩に出かけた。

この時期どこにいても金木犀の香りがする。匂いで「あ、金木犀」とわかるのだけど、匂いの出どころがまったくわからない。それどころか金木犀がどんなものだったかも思い出せない。もしかして地球が秋っぽさを演出するために地面の隙間から金木犀フレーバーを噴出しているのではと疑ったが、妻に「金木犀はこれだよ」と言われ視線を向けた先におわした、金木犀が。

こんなんだっけ…?

「おー!これこれ!」と正しいリアクションをしたかったがいまいちピンとこない。こんな形だったっけ?もっと樹木っぽさがあったような。橙色の感じは既視感あるのだけどな。

寄ってみるとわりと違和感ないかも

こうして寄ってみると「あー、こんなんだわ」となる。

一応もっとしっくりきた金木犀も載せとこう。

このイメージなんですな

そう、このイメージなのだ。なのだけど、これ、先に載せたものと全然葉のつき方が違う。金木犀って種類があるんだろうか。それとも育て方次第で結構フレキシブルな成長をうながせるものなのだろうか。いずれにせよ変幻自在に街に溶け込んでいるのであればその姿を確認するよりも匂いを先に認識してしまうというのも納得できる話だ。

ひとまず今年の金木犀のくだりは充分味わった。来年までその姿、覚えておけるようにしよう。向こうから「お久しぶりですー」って言われて「あー、どうもどうもー」と言いながら(誰だっけな…)というような展開にならないように気を付ける。

金木犀の香りは秋の代名詞であり風情であるというように感じることができるようになってきたが、心の奥底ではいまだにこっそり「トイレのにおい…」と思ってしまっていたりもする。たぶん、一定の年齢以上のひとはその傾向hがあるのではないだろうか。今どきどぎつく金木犀の香りを漂わせる芳香剤ってあまりないと思うのでピンとこないひとにはまったくピンとこない話なのだろうけど。

ちなみに、金木犀について検索しようとすると「金木犀 植えてはいけない」とサジェストされる。穏やかではございませんなあと野次馬根性丸出しで内容をのぞいてみたら、思った以上に育ってしまって大変だという理由も挙げられていたが、花言葉が不気味ということも挙げられていた。

基本的に謙虚とか高貴とか褒め系の花言葉が並ぶなか、”隔世(かくりよ)”も花言葉のひとつなのだという。隔世と言ったらあの世だ。散々褒めておいていきなり「君、あの世っぽさあるよね」とかひどすぎる。泣いちゃうぞ、この子。

しかし無闇にあの世とか言い出しているわけではないようで、その強い匂いがあの世にまで届いて魔除けになるから、ということらしい。魔除けになるということはそれたぶんいい匂いではないのでは。ディスってんのか。トイレだったりあの世だったり散々ないわれようだけど、僕はいい匂いだと思いますのでどうか泣かないでこれに懲りず来年以降も香りを振り撒いて秋を感じさせておくれ。

金木犀でブログ書くってなんだかおじいちゃんぽさがあるなと思ったけど、花言葉を知れたりしたのでこれはこれで良かった。冬になったらサザンカとかで1本いってみよう。