普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

小正月に対して真顔。でも小豆粥は食べる。

先週金曜日は15日。1月15日は小正月小正月の行事食は小豆粥だ。

あいにくと透析の日だったので、透析をしている最中に妻にこさえてもらって帰ってからありがたくいただいた。

その小豆粥がこちら。

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粥感があまりないように見えるかもしれないが立派にお粥だ。

しかしこの小豆粥という食べ物、今までの人生で1ミリたりともかすらず過ごしてきたのでどんな食べ物なのかと思いつつ口にしたが、食べてみたらなんのことはなく、水分の多い赤飯であった。

考えてみればそれはそうかというところではあるのだけど、小豆=甘いものみたいなすり込みがあったのもあって、ちょっとした喫茶マウンテン的な食べ物なのかというイメージをもっていた。

喫茶マウンテン的な、とはどういうことかというのはこういうことをいう。

サムネ画像にもチラッとうつっているように小倉抹茶スパなど、甘味と軽食を融合させまくっているという喫茶店の食べ物だ。他にもイチゴスパなどがあると聞く。たぶん知っているひとにはコメダ珈琲くらいの認知度で有名なお店だ。

これはこれでたぶん意外に美味しかったりするのだろうなといつか食べてみたいと思っている。

ちなみに東京でチョコバナナもんじゃというのを食べたことがあるのだけど、きちんとおいしかった。一瞬心がざわつくメニュー名だが、材料と行程を考えればおいしく調理できる組み合わせだ。

小豆粥もそういうことで、ましてやこの小豆粥に関して言えば材料は米、小豆(無糖)塩、水のみだ。きわどくなる要素がない。むしろ期待値の高い組み合わせだ。結果、小豆の香りにほんのりとした塩味がちょうどよく、するすると食べられた。

こういった食べ物をありがたくおいしく食べられるようになったというのは加齢によるものもあるのかもしれないけれど、おいしく食べられるものが増えたのならそれは幸せなことだ。

代わりにカルビとか思うように食べられないし、欲さなくなってきたりもしているのだけど。等価交換からは程遠い。そのうち藻だけで満足できる身体になるかもしれない。

おしることいい小豆粥といい1月は小豆激押しフェアとなっているので、20日二十日正月にもう一度小豆粥の出番がある。同じものを重ねてきている。お笑い用語で言う天丼だ。小豆粥なのに天丼だ。なんだ、昔のひとのユーモアってこういう方向性なのか。

わかってる。余計なこと言い出したのはわかってる。でも言わずにはいられないんだよ。こういうところから発言のキレとか衰えていくのだろうな。悲しみ。これを悲しまなくなったときに真のおっさんギャガーとなれるのだろう。なりたかないけど。

なにはともあれ小豆粥はおいしいということでむしろ20日の小豆粥も楽しみなくらいだ。実質天丼だしな。

まだいうよ、言ってやりますとも。言って悪いかくらいの気持ちでいきますよ、ええ。やってやろうじゃないさ、でも今日はこれくらいで勘弁して欲しいんで帰ります。