先日、久々に会社のひとたちと飲みに行った。飲みに行くこともはばかられる世の中だなとは感じつつ、気をつけるところはもちろん気をつけての行動だ。
飲みに行く前日に先輩が提示してきた候補の店は3つ。
・焼肉(コース、飲み放題)
・魚民(個室)
・土間土間
コースは食べきれる自信もないし、量をそんなに飲食したいとも思わないので焼肉ではないかなということで除外。魚民は個室なのはいいけど魚民自体が微妙なので却下。
土間土間は今まであまり行ったことがないし、お前にチョイスは任せると言われたのでなんの迷いもなく土間土間と答えたのだけど、先輩はどうやら焼肉が捨てきれないらしく、焼肉はコースじゃなかったらどう?と、どうも焼肉に行きたいようだった。そして居酒屋に行くなら魚民個室としますとも。
え?どういうこと?土間土間選択肢に入ってたのなんなん。お前にチョイスは任せる発言もなんだったのか。
ちなみにこの先輩にかつて「お前は自分がない。もっと自分をもったほうがよい」と言われたことがあるのだけど、ここで我を通すのがいわゆる「自分をだす」なのだろうか。そんなにこだわりのないところは右から左に流しているだけなのだけどな。
そういうこともあり、土間土間にこだわりがあるわけでもないのでコースじゃなく単品オーダーでということなら焼肉もよいと思いますよ、的な返しをし、前日の打ち合わせはここで途切れた。
そして迎えた当日。一緒に行く予定だった定年派遣おじさんから「多数決で焼肉な」とのお達しがあったので素直に従うことにする。やっぱ焼肉一本だったんかいと選択肢の意味というものを考えはしつつ、それでもあらかじめ「本当に量を食べられないんで肉2、3枚食べたらたぶんそれで満足しちゃうと思います。」とは予防線を張っておいた。
時を溶かすように仕事に勤しみ終業時間。現地集合ということなのでよきタイミングを見計らいお店に向かう。
僕が最後の到着となり、先輩とおじさんはすでに乾杯をし、ファーストオーダーを済ませていた。それ自体は問題ない。問題は量だ。カルビ、ロース、ハラミを3人前ずつ頼んでいた。食の頭数にいれられている…!
いやいやいや、これは厳しい闘いになるぞ、とそのとき瞬時に感じた。普段焼肉に行っても絶対頼まないカルビとロースが自動で僕の分も用意されているのだ。
食べてみないとわからないよなとそれぞれを焼きはじめ、一枚ずつ食べたところで「もういいな…」という思いで心の中が満たされてしまった。我ながら食べなすぎだ。
おいしいにはおいしかったんです。でももう本当にちょこっと食べられたらそれでいいの。一人前のカルビとかロースとかもう本当に無理なんです。たぶん、お肉のおいしい脂ってやつなのかもしれないのだけれど、僕にはもう脂そのものがつらい。その日のコンディションなどもあるのかもしれないけれど、この間は少なくともあれ以上身体は肉を求めなかった。
そこからはのらりくらりと先輩とおじさんに肉をサーブし、結局野菜焼きを食べてその日の焼肉は終わりを迎えた。野菜はわりと普通に食べた。
結局、厳しい闘いどころか早々に闘うことを放棄してしまった格好だ。でも先輩もおじさんもめっちゃ食べてたから結果オーライですな。たぶん二度と焼肉には誘われないだろうけれど。
焼肉飲みは解散となり、家について飲み足りないなと思い、少し飲み直すことにしたところで食べ残していたインド料理があることを思い出したのでそれをつまんでうまいなーなどとかん考えていたときに思ったのだ。
焼肉の気分じゃなかったんだな、と。
そのときの気分じゃないものに全然食としての興味が湧かないというのは薄々気づいてはいたけれど、ここまでか。
なかなか難儀なおっさんになってきた。これはいけない。この部分に関しては積極的に改善して行こうかと思いますのでみなさんチャネリングとかマスターしてもらって僕の心をばんばん読んでください。
チャネリングがそういうことに使われるのかは知らんけど。