自分が10代、20代くらいのとき、おじさんはなぜ演歌を聴くのだろうと思っていた。陰鬱な雰囲気の曲が多いし、歌詞の内容も大体クールポコみたいなことになっている。(男は黙ってみたいな)
そう思っていた自分がおじさんになった今、演歌を聴いているのかといえばそうではない。演歌を好きというひとがいるというのは理解できるようになったし、あれが侘び寂びと言われればそれはそうだよなと思えるようにはなったものの、普段聴く音楽はバンド系のサウンドが多い。広義でロックと言えるものを聴いている。
そんなときに目にしたのがX(Twitter)でのポスト。
若い頃に「何でジジイは演歌聞くんだ?」と思っていたのと同じように、いま若者から「何でジジイはロック聞くんだ?」と思われてるのかな。
— タバタミツル Mitsuru Tabata (@Tabatamitsuru) 2025年2月25日
この方だけが言っていることではなく、いろいろなひとが同じようなことを言っているし、僕自身も言語化こそしなかったけどうっすら気づいてはいたことではあると思う。
それにしても【演歌ポジション】…
まあ、そうだよな。現代の10代、20代のひとびとがその存在意義を謎に思い、退屈な音楽と思うことがあるのならば、そのジャンルが何であれ僕がかつて演歌に感じた思いと同じものである。
引用したポストとは別の方が言っていたのだけど、紅白でこどもにとって”退屈な時間”として君臨していた演歌の時間が今、そのまんまロックによって引き継がれているわけだ。そもそも、年末に紅白を見る仕草というもの自体、平成までの仕草というか、現代にそぐわないようにも思える。
こうして、「ロックはおじさん」と言われて不快な思いとなるかと言えば、まったくそんなことはなく、むしろ「あ、たしかにそうだ!」と思うほかない。今の時代でも”ロック”と分類されるバンド系のアーティストはいるが、たぶん僕ら(おじさん)の思う”ロック”とはまた違うものとなっているのではないだろうか。むしろ若者側からしたってMrs. GREEN APPLEとLUNA SEA一緒くたに語るなって話だろうし。当然ながら僕らおじさんの思うロックというのは後者なわけで、それが往年のロックということになるのだと思う。まあそれが好きなのもまた事実なわけですが。
さらに僕よりも上の世代ではもっと”ロック”というものを神聖なものというか、精神論で語る層というのもいる。いわゆる内田裕也的ロケンローの世界だ。あのあたりになるとまた界隈が違う。
いずれにせよやはり時代は移り変わっているのだなと感じる次第である。そりゃ40も半ばになれば時代の盛り上がりのひとつふたつは目撃することになるか。おじさんとして誇り高くロックを嗜んでいこうと思う。