普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

あれ、前にお会いしたことありますよね

家の近くに家系ラーメン屋ができた。オープンしたのは少し前で、すぐにでも行きたかったけどタイミングを掴めずにたところだったが今日やっと行ってきた。

引越しをするとき、その街を散策し街に家系ラーメンがあることで加算ポイントが入るくらいにはあったら嬉しいお店である。少しマンネリ化していた在宅勤務のお昼ご飯事情に新しい風を吹かせてもらおうじゃないかと期待してお店に向かった。

お店に到着。お店の外には提供しているラーメンの写真が掲示されていた。それをみて気付く。

「このお店、資本系か…?」

家系ラーメンには大きくわけて資本系と個人店がある。ざっくり言うと個人店がお店でスープを炊いて調理しているのに対して資本系はいわゆるセントラルキッチンで作られたチェーン店仕様である。

たぶん資本系全部が全部繋がっているわけでもないだろうし、決まりごとがあるわけでもないのだろうけど、資本系のスタンダードラーメンにはうずらのたまごが乗っている。オープンしたこのお店のラーメンもそのスタイルであった。

この資本系ラーメン、お店の名前は違えど、どこで食べても同じ味がする。企業努力ってすごい。すごいのだけど、ニューオープンのラーメン屋、食べる前から味がわかってしまった。いや、まだわからんですけどね。

ここでひとつ主張しておきたいのが、僕はこの資本系のラーメン屋にそこまでネガティブなイメージを持っていないということだ。ラーメン通からすると邪道と言われがちなこの資本系ラーメン、これはこれでありなのである。

以前にも同じことを書いたことがあるが、マクドナルドを食べるときは”マクドナルド”を食べたいのであって、本物志向のハンバーガーを食べたい気持ちと異なる。なんならマクドナルドを食べたいのに本物のバーガーを出されてもこれじゃない感まで感じてしまうだろう。あのくっせー肉おくれよとなる。資本系ラーメンにも同じことが言える。いわばジャンク、スナック感覚の家系ラーメンという位置付けなのである。それが食べたいときがある。そんなポジションなのだ。

資本系と決めつけてしまっているけど、違ったらそれはそれで嬉しいのでさっさと入店しラーメンをオーダー。

どこかで会ったことありますよね…?

眼前にあらわれたのはやはり知っているビジュアルの1杯。初めてきたお店で初めて頼んだラーメンなのに初対面の気がしない。もしかして前世で結ばれていたんじゃないかという思いすら去来する。

そう思いながら一口。案の定ほぼ知っている味であった。強いて言うなら麺がちょっと違うのかなとは思ったが誤差の範囲内で十分片付く。もはや安心感すらある。

こういう資本系って数種類の麺、スープ、具から自分のよいと思う組み合わせをチョイスしていたりするのだろうか。その差がお店ごとの差というくらいで最終的には同じような仕上がりになるよう調整されていたりして。このお店の麺が他の資本系と若干違うような気がしてそのようなことを思った。

ラーメンに関しては意外性というものは感じなかったけどきちんと満足した。それよりもお店はテーブル席なんかもあってこの手のラーメン屋としては席数も多かったのだけど、その全てが埋まっていたことに驚いた。この街、こんなにひといたんだ。いや、半端路線の半端な駅なもので。

今や家系ラーメンって資本系ということであればマクドナルドくらいにどこの街にでもあるので、家系不毛の地の近所にできてくれて素直に嬉しい。また来よう。

全然関係ないけど、家系不毛の地って字面、事情を知らないひとが読んだら「かけいふもうのち」となるわけで、間もなく滅亡しそうな血筋っぽい。