普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

ベン図のわずかな重なり部分を伝える場所がツイッターだったじゃないか

ツイッター*1っていくらなんでも最近以前と場の空気が違いすぎるだろうと最近よく思う。それはまあもう登場して20年くらい経ってるわけだから、当時と同じってわけにはいかないだろうけれども。前は140字でばしっとおもしろいこと言ってるひとがバズるみたいな場所だったのに、最近ではひとの喧嘩とか不満とか極論がバズる場所って印象。しかもツリーでだらだらと。あれ、そういう気持ちで読み始めてないしなと読むのやめちゃうんだよな。とにかくネガティブだ。

でもそれも僕がそういうのに興味がありそうってことで何かしらのアルゴリズムで表示されているということなんだろうか。だとしたら変わったのは僕だということになってしまうのに、それをツイッターのせいにしてるあたりがいわゆる僕が言っている”今のツイッター民”丸出しでお恥ずかしい限りである。

何をいきなり言い出したかというと、前に比べてツイッターでわざわざ何か言おうとしなくなっちゃったなということ。なんか深夜のぼやきみたいなものを見なくもなったし投稿もしなくなった。

例えば、今やってるゲームのメタファーリファンタジオという作品の戦闘時のBGMでなんかお経に近いオペラみたいな男性の歌声?みたいなパートがあるのだけど、それが高円寺駅前の高野青果の呼び込みのおっちゃんの声と酷似しているなんてことを誰かに言いたくて仕方ないのに身近に言える相手がいないとき、前なら確実にツイッターいきだったと思うのだ。でも今はツイッターでいうのもなんかなあと躊躇してしまう。そもそも君何言い出してんの?はこの際置いておくとして、このレベルのどうしようもない発見こそ世間にアッピールしたいものである。それがネット黎明期に触れたものの価値観ではないかと僕個人的には思う。

それにしてもこの話題、メタファー、高円寺の高野青果、どちらも知っている層が限定的過ぎてベン図にしたら重なり合う部分がめちゃくちゃ少なそうだな。ちなみにどちらも知っている妻にこの話をしたら「あ、そう」くらいの温度感だった。絶対もっとリアクションがあって良いネタだろうとここに書いてみたが、こうして書いてみるとそりゃ「あ、そう」だよなとも思えてきた。ツイッターに送り出さなくて正解だったかもしれない。

ひと昔前はバズりは勲章みたいなところはあったと思う。でも今やバズって最終的には炎上気味みたいなことになって、ろくなことないように見えるから、やっぱり大きめの石の裏みたいなこういう場所でぼそっと言っとくくらいがちょうどいいのかもな、なんて思ったり。こうして世間とのずれを自覚していくものなのかもしれないですなあ。

さあ、生まれ変わるのだ

*1:Xってどうしてもいえないおじさんなのでこのブログではツイッターが存在し続けている世界線です。