谷中の存在を知ったのはいつくらいであったろうか。20代の頃にはまだ知らなかったと思う。いつの頃か猫溜まりがあることで有名な場所であることを知り、街ブラスポットであることも知った。その谷中に先週末久々に訪れた。
都内の有名スポットでありながらも谷中という最寄駅は存在せず、最寄駅は日暮里となる。今回久々過ぎて最寄駅がどこだったか綺麗さっぱり忘れていた。上京組にはブラックボックスとなりがちな山手線のあのエリア(田端から鶯谷あたり)ということで実に9年ぶりに日暮里に降り立った。
猫の街にふさわしく駅名に耳と尻尾が生えている。駅の字の尻尾の部分が酔っ払って寝落ちししそうなときに書いた字のようで味わい深い。
確か前回きた時にはこの駅看板はなかったように記憶しており、おそらく猫溜まりスポットとして名を馳せたことから駅名にも猫っぽさ出しちゃえ的なことなのではないかと思うのだが、前回も今回も猫溜まりどころか猫一匹遭遇していない。歌舞伎町の酔っ払い、巣鴨の老人くらいに街を歩けばそこらじゅうで遭遇するようイメージでいたがどうもそうではないようだ。でも有名になるくらいだから行くところに行けばトラウマになるくらい密集しているのだろう。
猫には遭遇しなかったものの、目的は猫ではなかったため基本に則り街ブラを実施。街ブラの王をコロッケとするならば王妃くらいのポジションにはいるであろうメンチを食すなどして上機嫌に過ごした。
メンチ自体には大変満足し、街ブラの中でも商店街ブラの強みを存分に味わうこととなったのだが、今回特筆すべきポイントは他にあった。
餅である。これがけっこうブルーオーシャンなのではと思った次第である。だんご屋はどこの商店街にも必ずあるし、街ブラアイテムとしてそれなりに安定した人気を打ち出しているかと思うが、餅となるとありそうで意外とない。でも、ふと眼前に現れ、あまつさえそれがつきたてであるとのたまわれてしまうと「買っちゃおうかな」になる。むしろここで食べておかなければという気持ちにすらなる。
餅って正月以外に食べる文化がないからふだんあまり食べないが、あれば嬉しい食べ物だ。みんなけっこう餅が好きだけど、イメージに縛られて正月以外食べないなんてことになっているんじゃないだろうか。と、さまぁ〜ずが言っていた。まったくもってその通り。眼前の餅に尻尾ぶんぶん振り回して購入ムーブに至った。
が、同好の士はそれなりにいたとみえ、若干の行列ができていた。もう餅への気持ちを抑えきれない状態となっていたので当然並ぶ。いまかいまかとオーダーをイメージトレーニングしていたところで「今あるお餅がなくなってしまったんで並んでいる方ごめんなさい。次回は30分後くらいにご用意できる見込みです」とアナウンスがされた。
もう、焦らすなあと余裕をみせ、いったんその場は解散。このタイミングで買えなかったのは残念だけど、完全つきたて餅を狙えるならその方がお得ですらある。適宜街ブラを再開することとした。
彷徨うこと40分ほど。餅屋に舞い戻る。さっきまでは行列ができていたのにその行列がない。我慢した甲斐があったなと喜び勇んでオーダーしようとすると、「完売」の文字が。30分後くらいにつきおわるという話だったので、この10分で文字通り完売しているのか、まだつき終わっていなくて先ほどまでの完売状態から回復していない状態なのか。お店の雰囲気からはそのどちらかが判別できない温度感だった。
こういうときお店のひとに確認すればよいのだけど、忙しそうにしているお店の方を見ると声をかけることが憚られる。なんならちょっとした怒られが発生するんじゃないかと思ってしまうのだ。昨今そんな無茶苦茶な接客しているひとそうそういないだろうけど、昭和人間としてはその可能性を排除できない。
けっきょく餅の購入は諦め他のお店で良さそうなものを物色し満足を得た。でもつきたて餅を100だとすると90くらいの感じ。こういうところ、我ながら損をしているような気がする。欲しいものについてはもっとガツガツしていきたい所存。
90くらいまでは満足したと言ってはみたものの、降ってわいた餅熱は冷めやらず、この日は結局帰りにスーパーで切り餅を買って帰った。そしてお雑煮、焼き餅などとして摂取し、うまいうまいと食べはしたが、心のどこかにつきたて餅がいる。
僕の生活圏内にはつきたて餅を提供するお店はない。明確につきたて餅が売っていた記憶があるのは秩父の駅から少し離れたスーパーくらいだ。それも夜祭のときだけに売られているのかふだんから売られているのかは定かではない。
この際餅つき機、いっちゃうか…?という思いが芽生えつつもその価格なんと2万円台からである。ここを乗り越えたら餅への愛は本物と言えるだろう。