普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

立場は変われど20年前と同じことやってた

やはり休みは平日に限る。昨日は休みをとって旧友と酒を酌み交わしてきた。舞台は川崎。場所に関してはただなんとなくで、都心よりもお出かけ感が出るかなと思ってチョイスしてみた。

結果、大正解。川崎の街に非日常を見出すことができた。そのチョイスをした自分を褒めてあげたい。いや、それにしても川崎ってめちゃくちゃ都会なんですね。うすぼんやりとは知っていたけど、今回しっかりとその存在感を確かめることとなった。

なにしろ前回川崎に降り立ったのは十数年前で、川崎が世界に誇る奇祭「かなまら祭り」の帰りに酔っ払った状態で立ち寄ったので仔細については曖昧だった。かなまら祭りに関してはあえて詳細には触れないけれども、字面から醸し出される雰囲気の通りのすごい祭りなんで興味のある方はぜひ調べてみてください。

趣旨としては昼飲みがメインということではあったものの、せっかくだからと川崎大師に行こうという話になり、駅からバスに揺られて川崎大師へ。前述のかなまら祭りの最寄駅は川崎大師駅で、駅からほど近い金山神社で行われていて、そのついでくらいに川崎大師に行ったことはあったけれども、大師様をメインで訪れるのは初だ。

その時は週末で、川崎大師はかなりの賑わいだったのに比して、昨日はザ・平日の観光地と言う感じで最高だった。こういう養分の取り方ってある。

ここまでひとがいないと夢の中の景色のようだ

ふらっと訪れたとはいえ、川崎大師といえば厄除けで大変有名である。その除けっぷりにあやかろうと詣でた後におみくじを敢行。ここでの結果がこの夏のモチベーションにつながること請け合いだ。

結果、凶。友人も凶。おじさん2人揃って凶。曇天にその悲しみを溶かすのであった。清々しいまでのひとつも良いことが書いていない。フォローすらない。こわいから「職を失う」とか言わんでほしい。強めにおみくじを結んでその場を後にしたのであった。

おみくじの結果はあんなだったけど、今日はこれからがメインだ。川崎駅へ舞い戻り飲酒活動へ突入。友人が最近行って感触のよかったというお店へ。お店はランチタイムで僕ら以外は当然のようにご飯を食べていた。自分がお昼ご飯を食べに行った時にたまに見かける昼酒勢に自分がなっていることに若干の高揚感を覚えつつ、おビールをキメた。

瓶ってのがまたテンションを底上げする

この日は曇ってはいたものの尋常ではない暑さであったため、このビールのうまいことと言ったらなかった。尊すぎる。もはや尊汁である。読み方はたぶん「そんじる」だ。誇張でもなんでもなく、今年1番汗をかいたのでありがたい汁は飲んだはしから身体に染み渡ったのであった。

前述の通りランチタイムであったけれども、お魚のお店ということできちんと礼儀にならって刺盛を注文。昼酒部としての基礎を盤石なものとした。

潤滑油がよい具合にまわってきて饒舌になってきたところでランチタイム終了。河岸を変えることに。少しの街ブラを経て2軒目のあたりをつける。平日の中途半端な時間にすぐ昼飲みのお店が見つかるだなんて本当に川崎って都会(2回目)。地方出身の僕からすると、このくらいの規模の街が住宅街から30分以内くらいでぼこぼこあるのが首都圏のすごさだと感じる。

時間が早かろうがなんだろうが、ある程度お酒が入ると時間の感はバグってくる。何を話したかっていうとそこまで覚えているわけではないけれども、あっという間に世間一般の退勤時間に突入し、お店が混み合ってきた。今日の趣旨としては健全に昼飲みし、健全な時間に帰宅ということであったので、けっこう余裕残したまま店を離脱。ちなみに2軒目もお魚のお店でした。1軒目で張り切りすぎて僕はほとんど何も食べられなかったけど。こう言うところあるよな、自分て。

こうして宵の口にも至らない時間にべろんべろんになることもなく炒飯弁当(崎陽軒)を携えて帰宅したのであった。Mr.健全。念の為言うと炒飯弁当は妻の夕ご飯です。

この日も記憶はきちんとお持ち帰り。適当に散らかして帰るのではなくきちんと何かと持ち帰ってこその限界酒飲みである。なんか最近快挙続きでしっぺ返しが近々訪れそうで怖い。事件事故、ヒヤリハットはこうして気が緩んできたころに起こりがちなので本気で気をつけようと思う。

控えめに言って最高な1日だった。そう遠くない将来に杯を乾かしに川崎の地を訪れたいと思うのであった。この日飲んだ友人はもう20年以上の仲なわけだけれど、20年前の僕らは今の立場も含めてこんな1日があるなんてほんの1ミリだって想像していなかったと思う。でも、やっていることは20年前と同じだったりして、エモみばしった気持ちになっちゃったりするよね。