普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

テレビ未設置で世間知らずおじさんの出来上がり

家にテレビを置かなくなって1年以上経つが、それによって不便を感じることはほぼない。だんだんとテレビ番組そのものに執着しなくなってきたし、どうしても見たいものがあれば最近はネットで見逃し配信などもある。なんならゴールデンタイムのバラエティのあのテンションについては苦手意識すら持ち始めている始末だ。

そう思っていつつもテレビがないことに”ほぼ”不満がないの”ほぼ”の部分、言い換えればテレビがないことに不便を感じている部分もある。

それは世間のニュースに疎くなってしまったことだ。ニュース自体はやはりネットで確認できるので能動的であればいくらでも取りに行くことはできる。でもほら、あるじゃないですか、ご飯食べながら見てるんだか見てないんだかわからないくらいの状態で流れてくるニュースをぬるっと脳内に流し込む時間。結構あれで情報を得ていたのでそれがなくなったことであれよあれよと世間知らずおじさんが出来上がってしまったのだ。

仕事に行くとお昼ご飯を食べながらネットニュースを見たりするのだけど、今はそれもしていないのでSNSで流れてくるニュースを下流で待ち構えているような状態である。しかもTwitterだったりするので流れてくるニュースも相当偏っている。流しそうめんのはずなのに薬味しか流れてこないようなものだ。しかも茗荷だけ流れてくる。薬味としてまで偏り倒しているのだ。まあ茗荷好きだけど。同じようにどこかしら偏り、歪んだニュースを楽しんでしまっているのかもしれない。

情報に疎くなっているなあと痛感したのがつい先日発生したトルコの大地震だ。あの手の情報はなにをどうしたって速報を見聞きするだろうに、何テンポも情報入手が遅かった。三振取られてベンチに帰る途中でバットを振るくらい遅い。え?今?となる。

現状、自分が情報を手に入れるのが遅くなっていることを自覚しているから改善のしようもあるが、それに気づかなくなったらもう目もあてられない。「それいつの話?」くらいタイミングのズレた話題をドヤ感溢れて語り出すことになるだろう。いたもんなあ、そういうおじさん。きつい。

そうなっていかないようにこれからは能動的に情報を得ていこうと思う。しかしまあネットの情報はコンプライアンスありきで発信されていないので玉石混交そのものだ。今日も続々と陰謀論者を出荷している。なんだかピノキオでロバにされちゃったこどもたちを思い出すんだよな。YouTube陰謀論者になってしまったひと達って。あと出荷で思い出したんだけど、スクランブル交差点の信号が変わってひとがばーっと歩き出すときいつも「出荷だなあ…」と思ってたんですけど、あの感じ出荷っぽくないですか。終電間際のアルタ前の信号でも可とします。

最後全然関係ない話しちゃったよ。脳汁漏れた。結局のところよく知りもしない、行ったこともない場所で起こっている出来事よりも、目の前で起こっていることに自分の考えを重ねることの方が興味の対象だったりするものかもしれない。

とはいえ大人として恥ずかしくない程度にはニュースを摂取していこうかと思います。みなさまもほどよきニュースライフをお過ごしください。

スクランブル交差点付近。出荷される側の視点。