普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

下半身キュっとなるクリスマスの思い出

メリクリ。

ぽつりとそうつぶやいてみるも、少しもクリスマスという実感がない。大人になってからというものあまりクリスマスを意識しないようになったというのと、今年はあまり家から出ていないのに加え、テレビもないので世間の流れについていけていないというのが理由としてあるかもしれない。

なにかと斜に構えがちではある僕でもクリスマスに関しては逆張りの気持ちなど一切なくごくナチュラルに日常と化していったのだ。

妻もわりとそういうタイプの人間で、イベントごとなどに執着しない。クリスマスはともかく、その他の人生の記念日に関してもあまりこだわらないタイプなので記念日を失念することによる”やらかし”が発生しないのはありがたい話ではありながら、反面寂しくもある。

この間、結婚記念日だったのだけど、僕が記念日の終わり頃に「今日、結婚記念日だよ!」とうわずり気味に伝えたところ「忘れてた笑」とだけ答えがあった。今年は妻は入院中だったし、特に何かお祝いしようとかいうつもりがあったわけではないのだけど、本当にこだわっていないのだなというのがうかがえるリアクションであった。ちょっと寂しくないですか、こういうの。まあいいんですけど。

そんな調子なので妻とのクリスマスの思い出はほぼない。強いていうならまだ20代の頃、妻(そのときは彼女)と同じマンションに住む友人とクリスマスを口実に酒を飲んだことを思い出す。

その友人とはイベントごとなど関係なくほぼ毎晩酒を酌み交わしていた。その年のクリスマスも日々の飲酒活動の延長として酒を飲んでいたのだと思う。ほぼ惰性とはいえさすがにクリスマスですし、ということでクリスマスらしい食べ物と調達したりしていた。アイテムとしては以下。

・ローストチキン(1羽)

アメリカンソーセージ

・チョリソー

思い出せるものとしてはこの程度。たぶん他にも用意していたと思うのだけど忘れてしまった。ただ、この中のローストチキンとチョリソーが大事なのでその他はどうでも良い。

1羽まるごとのローストチキンを買ったものの、うまく切り分けられるわけでもなく、お酒を飲み始めたらそこまで量を食べられるわけでもないので、わりときちんと酔っ払うまでその姿を残したままテーブルの上にチキンは鎮座していた。

酔っ払いの目は余計なものを見つけ出すのに最適化されている。僕はチキンの後部に穴があるのに気づいてしまったのだ。(人間でいうと身体の背面、臀部付近の穴と思ってください。)そしてチキンの横にはするりと長いチョリソー。

「あー…これは…」

チョリソーはチキンの収まるところに収まり、下半身のキュっとなる思いをしたのであった。

酔っ払っていたからケタケタ笑っていたと思う。端的に言って最低の思い出である。そしてそこに妻もいてその一部始終を見届けているのだけど、幻滅されなくてよかった。そういうひとでもなければ結婚までしていないか。

クリスマスといえばそんな思い出しかない程度には本当に思い出がない。世の中ロマンチックに過ごしがちなクリスマスだけど、下半身がキュっとなるクリスマスもあるのだということを心に留めておいてください。🍗

西城秀樹の衣装みたいのをとると結構脚だなというパーツに出くわす