普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

自由が丘なんだ。自由にやりたまえよ。

1年ぶりに自由が丘に赴いた。僕のこれまでの人生を考えると訪れる理由が見当たらない土地のように思えるが、意外に用事というのはできるものだ。

思えばこれまでの人生わりとサブカルみのある土地に興味がいっていた。具体的には下北、高円寺、上野等。これらの土地と比べたら自由が丘、というか目黒のあのあたりは全くキャラも違えば棲息する人種も異なる。正直場違い的なものを感じなくもないのだけど、行ったら行ったで新鮮味があって結構楽しい。大人になったな(遠い目)。

とはいえ、おしゃれな街自由が丘をまっすぐ受け止めることができるほどキラキラした眼差しというのは持ち合わせておらず、街のところどころに点在する違和感をついつい探してしまっていた。

買い物などをしつつジェラートなんか食べてしまって「お。なかなかシャレオツな過ごし方してるじゃないか、おれよ」と思いながらも視線はジェラート屋正面の建物に釘付けであった。

もはやトマソン的にすら見える

この昭和に自由が丘を無理やり貼り付けたような違和感がたまらない。おじいちゃんがジャニーズのイケメンのお面をつけて「な?な?」って言っているように思えて味わい深い。やっぱこういうのなんだよな、好きなのは。

勝手に僕が斜に構えているだけで自由が丘がおしゃれタウンだというのも誰かが勝手にそういうイメージで語るようになっただけで、それに対して僕が勝手にこじらせた向き合い方をしているだけといえばそうなのだけれども。

実際駅前などは昔からの建物も存在していてそこだけを見ればほぼ上野だった。

滲み出る味わい

特にこれらの看板からはおしゃれさよりもガッツやハッスルという単語を連想させるものがあった。

ハッスル感のある看板たち

ただ、どうもこの自由が丘デパートは再開発のために取り壊しが決定しているようだ。もったいなすぎる。少し調べたところによると後釜として14階建ての複合商業施設が建設されるらしい。ちっちゃいヒカリエみたいなことなのだろう。なんだかなーと思ってしまうところはあるが、考えてもみれば自由が丘デパートだって出来立ての頃はあったわけで、その頃はそのうちできる14階キラキラビルディングのようなポジションだったに違いない。そしてキラキラビルだって何十年後かにはまばゆさは衰え、今の僕のような人間に「レトロだねえ」などと言われる日が来るのだろう。まさに栄枯盛衰。むしろ輪廻的な何かを感じませんか。感じたひとは独特な宗教観をお持ちですね。僕は特に感じませんでした。イエス

自由が丘にまっすぐ向き合えていなさは休憩がてら入ったカフェでも発揮されることとなる。オーダーした飲み物に添えられていたストローが紙ストローであったことにすら「自由が丘め…!」と思ってしまったのだ。そもそも紙ストローっておしゃれアイテムってことないし。環境よりもこじらせ。

妙なパースのついた紙ストロー写真

こじらせすぎて危うく環境に優しくなくなるところであったが、冷静にきちんと紙ストローに向き合ってみたところ、紙ストローはちょっと苦手だなという気づきを得た。なんというか”芯”ですよね、これ。口に含んだ瞬間「あ、トイレットペーパーかえなきゃ」と思った。ここ最近トイペの芯など口に含んだことはないはずなのだけど、咄嗟に思う程度にはわりと芯だった。こういうのは慣れなんだろうか。まあトイペの芯で飲み物を飲めると考えればそれは便利だし優秀といえばそうかもしれない。

時折卑屈になりながらも目的はばっちり果たしたのでこの日は満足の1日となった。自由が丘でわりかし上品に過ごすという良さにもきちんと目覚めたのだけど、バンド時代朝方の歌舞伎町で汚泥のように3軒目の飲み屋を探し彷徨っていた頃も悪くはなかったよなとこっそり思ったのですぞ。ふぉふぉふぉ。