普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

毎年1回年齢デバフくらうようになってきました

またひとつ歳をとってしまった。年齢的に中途半端なのであまり感慨というものはないのだけど、「歳をとって”しまった”」と言っているあたり、あまりポジティブにとらえてないのかもしれないな。自分のことながら曖昧だ。

以前であれば確実に飲みに出かけていたところだが、今年はおとなしく家で過ごした。というか特に何かを催すということもなく、昨日から今日へ、今日から明日へと連綿と続く正真正銘の日常の一部としての1日となっていたと思う。

強いて何か普段と違うことがあったというなら普段よりも少し高価なお酒を買ったことくらいか。

少し高価といってもワンランク下のアードベッグ

あとは急にステーキが食べたくなってスーパーで牛肉を買ってきた。これも少しだけいつもより高価なものだけど、誕生日だぜー!いえー!というほどの値段ではなく、ただ単にウイスキーの酒アテとして牛肉が食べたかっただけである。

アードベッグは芳しいしステーキは焼きたてで満足はしたのだけど、一晩明けた今日、「昨日飲まなければよかったかな…」などと思うはめとなっている。

最近、【飲む楽しさ<次の日の辛さ】という図式を身をもって体感することが増えてきたのだ。前までだったら【飲む楽しさ>>>>>次の日の辛さ】だったし、20代くらいのときなら図式すら存在しなかった。強いていうなら【飲み=楽しい】が通常運転だったのだ。パリピか。

ただの飲み過ぎではという意見もあるかもしれないが、それがそこまで飲んでいない。純然たる弱体化なのである。図らずも老いを感じるという誕生日としての醍醐味を味わうこととなってしまった。

次の日の影響が出まくるようになってくると本当に悲しい気持ちで心が満たされてしまうので、お酒の量をきちんと減らすか、次の日が休みの日のとき、もしくは誘われたときしか飲まないくらいのことはしていくべきなのかもしれない。めちゃくちゃ消極対応でこれもちょっと老化っぽさがあって誕生日へ帰結していく。

もう来年から誕生日とか無視してしまおうかな。永遠の43歳とかいって残りの人生やっていこう。43歳が永遠って中途半端にも程があるけど。永遠を語るなら人生前半がおすすめ。

永遠の43歳でもフィジカルは確実に老化していくので、実年齢が70歳くらいのときに「43歳です!」とハツラツと答えたときにこのひと認知大丈夫かなと思われることは請け合いである。かなり好意的にとらえてもらっても「シンプルに老けてますね」あたりの返しになりそうだ。「達観した外見ですねー」とかもはや本人も何言っているのかわからないトリッキーな回答もあり得る。

他人を惑わせる人生はよくないな。やっぱり来年も粛々と歳をとっていこう。考えようによってはお酒ときちんと向き合う良い誕生日になったと言えるじゃないか。恐ろしいのは来年に新たに何か考えさせられる事象が発生してしまうのではということだけれども。会社の上司が「まだまだ信じたくないことがたくさん起こるよ」と遠い目をしていたのを思い出す。少し覚悟はしておこう。