音楽の好みがアップデートできていないのだと思う。とは言ってもずっと同じ音楽を聴き続けているというわけではなく、新規の音源なども聴くには聴く。どういうことかといえば、同じ傾向のものを好んで聴くということだ。好んで、というよりもそれを探しだして選んでいるといえるかもしれない。
もう少し具体的に言うと、コードで言うところの9thが好きすぎてadd9thなどかまされたらまず無視できない。顔がいいだけで異性になびくひとがいるように、9thが使われているだけで僕にとってその楽曲の評価はうなぎのぼりなのだ。そしてこれはジャンルということではなく、すべての音楽に当てはまる。めちゃくちゃ狭い範囲なのだけど、ある意味での懐の深さはあると言えるのでは。
とはいえ、やはり主戦場はエクストリームな音楽となるため、新たなバンドを探す際もその比重は自ずと大きくなる。昨日もSpotifyで叙情系のハードコアのプレイリストを聞いていたらもろに好みのバンドに出会えた。
CONVEREというバンドのshiningという曲で、曲が始まった瞬間にド9th、それに加えて疾走感も抜群だ。有り体に言うとビートが早い。賢さ低いというくらいに早い。でもそういうのもまた好みなのだ。好みの2大巨頭に出くわしたということになる。めちゃくちゃテンションがあがった。そうだ、速い音楽も好きなのだよな。あったまわる!ってくらいの速いやつ。
聞けるひとはきいてみていただきたい。加えて、アルバムまで聞けるひとはそちらも是非聞いてみてほしい。なんと、アルバム全部同じだ。同じようなコード感とテンポ、ビートで押し通している。それだけでは飽き足らず、他のアルバムを聞いてみたらそちらまで同じだった。すげえ。すげえぞ、これは。ここまでやってのけられると尊敬するしかない。インペリテリのSCREAMING SYMPHONY以来の金太郎飴ぶりだ。
僕もかつてバンドをやっていたが、なんだかんだと曲の方向性ってブレていってしまっていたのだと思わされる。貫徹とはこのことを言うのだろう。一生こうでいてほしい。そして僕もこうでありたかったとバンドから離れて初めて悔恨の念にかられた。僕のやっていたバンドの方向性はいわゆる00年代のエモと言われるものだったと思うのだけど、このバンドの音楽性に近い。このアルバムのリリース2015年だけど。2015年にこれをリリースしているのもまた素晴らしい。この手のものって僕みたいな者も含めてある一定のニーズがあるものなのかもしれないな。その波に乗りたかった。
まあ、終わったことをいつまでも言っていても仕方ないのでその気になったときにこの手の曲をまた自分で作り出せたらいいなと思う。
そもそもなぜここまで9th好きになったのかと思い返してみたらルーツはLUNA SEAにあると思う。LUNA SEAの初期は9thのみならずテンションコードの頻出していたし、メンバー本人もついついテンションコード使ってしまうと言っていた。そのLUNA SEAを神と崇めている僕だ、9thを素通りできるはずもない。9thは僕にとってのお題目といえるだろう。9thを聴き、弾くたびに解脱に近づく。前世は9thだ。そして来世も9th。9thの輪廻を生きているのだ。知らんけど。
ちなみに日本の有名なアーティストで言うと小田和正などはわりと9th感のある楽曲が多いような気がする。浮遊感と透明感のある雰囲気とでも言えばわかりやすいか。
9th、速さに加えて効果的にギターのクリーンサウンドを使いこなしているというのも楽曲の評価を大きく底上げする要素のひとつだ。エクストリームサウンドといえばごりごりに歪んだギターサウンドが真髄ではあるが、その中にあるクリーンサウンドを美しく際立たせることができるのは超能力を使いこなすに等しい才能だ。
その素晴らしさを抜群に発揮しているのがHapesfallである。速さはないけどコードとクリーンは他の追随を許さない。こともないけど神だ。ここは日本ですからな、八百万の神様がいらっしゃる。本国(アメリカ)でどうなのか知らないけれども。
冒頭で述べたように結局00年代のバンド音楽が好きというところから抜け出せてないといえばそこまでなのだけど、逆に言えば00年代が僕の好みにど直球な音楽性が流行っていたともとれるわけである。僕は90年代から浮遊感のある9th、馬鹿みたいに速い曲、絶妙なクリーントーンが好きだったなか、00年代のそのあたりのブームを経て現在に至ったと。物事、ポジティブシンキングで機嫌よく行きやしょう。
こうして今日の機嫌のよさは担保されたということである。そのうえお昼ご飯にチキン南蛮を食べたらおいしくてなおさら機嫌がよくなったし、仕事も真面目にした。唐突な上に雑な締めですがみなさんも好きなもので機嫌よく過ごしましょう。さいならー。