普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

英語ネイティブスピーカーになったらFugaziやらLOCUSTの歌詞なんかも理解できてくるんだろうか

もしも英語が使えたら、というテーマを見てまっさきに思ったのが、ベタながらも洋楽を聴くときの歌詞の捉え方がまったく変わるのだろうなということだ。

10代のころから今まで聞いてきた音楽の7割程度は洋楽だったと思う。そしてその7割のうちその中のさらに9割くらいは和訳すら読んでいない。洋楽を聴き始めの頃、ジャーマンメタル界(たぶん今ジャーマンメタルって言わないだろうけど)の雄、HELLOWEENの音楽のかっこよさに打ち震え、和訳まで確認したところ、めちゃくちゃどうでもよいことを歌っていたので洋楽ってそんなものなのかな…と心をスッと閉ざしてしまったのだ。なんならちょっと品がなかった。全ての作品がそうではないのは今ならわかるけど、なにぶん子どもの考えることですから。

そのうち歌詞そのものにあまり興味を持たなくなり、メロディを音としてしか聞かなくなった。でも、英語が理解できるのならば英語→日本語の流れで言葉を理解する必要もなく、言葉としてすんなり受け止めることができると思うのだ。その場合もう第一言語ばりに英語が理解できているというのが前提となるとは思うけれども。

いろいろ洋楽を聞いていてわかったことなのだけど、洋楽の中でもメタル、その中でもメロスピメロディックスピードメタル)と言われるものは歌詞については随一のダサさを誇る。ダサいと言ってしまうのもなんだけれども、勇者がドラゴンを倒しに行くとか、魔法の鏡がどうとか、鎮魂歌がどうとかわりと中世ファンタジー要素強めだったりするのでよほど相性が良いひとでないとなかなかキツい。たぶん詳しいひとは今あげたワードで僕がどのあたりのバンドのこと言っているのかわかると思う。それをダイレクトに言語として脳に響かせるとまた印象が違うのだろうけどこれに関してはあまりよい影響ではないような気がするな。

同じ激しく無茶しがちな音楽であるハードコアについてはどうか。全然界隈に興味がないひとからすると意外かもしれないが、ハードコアのほうが哲学だったり社会に対してメッセージ性の強い歌詞であったりするものが多く、そういったものは脳内で英語→日本語変換が行われないでダイレクトに響いてきてくれたほうが心が揺さぶられそうだ。そもそもパッと聞いただけですぐに変換できない単語が格段に多くなる。たぶん、パンクと一緒くたになってしまって反社気味にイキってる歌詞のように思われてそうだが結構高邁なことを言ってたりする。心意気のジャンルですからな、ハードコアって。英語ではないけど、歌詞の内容や活動スタイルからから泉谷しげるが実はハードコアなのではと言われる所以である。

世の中には本当にエクストリームミュージックが溢れており、アンチクライストガチ勢がなぜかメタルという畑で活動していたりする。教会に火を放ってしまったりするタイプの。そういうバンドもやはり歌詞は英語だ。しっかり確認したことはないが、血とか内臓とか串刺しとかそういうのが歌詞に盛り込まれているのだろう。それがきちんと聞き取れるのは興味深いかもしれない。

僕の場合に限って言えば、英語をマスターしたのちに家にある洋楽音源をひたすら聴きまくったらこれからの人生観が変わる可能性すらある。そういった意味でも「もしも英語が使えたら」というシチュエーションはなかなかアツいものがあるかもしれない。

 

最後に単純な疑問としてなのだけど、英語話者になるということがこれほど特殊技能的に語られるのって日本以外では世界でもそんなに多くないのではないだろうか。まったく調べてないので感覚で言っているだけなのだけど。だとしたらやはりまだまだ学んでいくべきことなのだなと思ったりする次第です。