普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

眠くなけりゃ寝なきゃいいという作りにはなってないのよ

今週のお題「眠れないときにすること」を見て思い出したのだが、20代の頃、このくらいの時期から冬にかけてごくたまに上手く眠れない日というのが発生していた。

単発で発生するものだったので、その日が来た時は「お、きたな」とある程度覚悟を決めこれから過ごす長き時間に対してどうしてやろうかと構えたものだった。

それでも最初のうちは眠る努力をする。ベッドでおとなしく目をつぶって、意識が眠りに落ちる瞬間というものに期待するのだ。でも、そういうときに限って頭の中ではふだん考えもしないような不安フィルムの上映がはじまる。しかもそれをしっかり鑑賞してしまうんだな、そのときの自分というのは。そうしていらん不安を募らせてしまい、眠れるような状況ではなくなってきたところで、

「やってられるかい!眠るのなんてやめだ、やめ!」

とヤケをおこす。そしてヤケ気味な思考ついでに眠らないのではなく、眠らずに済んでいるのだと考えをスイッチし、ふだん眠りに費やしている時間を新たにできた空き時間ということにしてギターを弾いたりゲームをやったりという可処分時間とした。

とはいえ明日も仕事だから…と時おりふとんに入り横になってみて眠れちゃうんじゃないかな、と淡い期待をしてみたりするがやはり眠れず上記の流れとなる。

何度かそんな流れを繰り返したのち、結構時間もたってきていて、そろそろふだんなら起きる時間じゃないか。こりゃあもう寝ないでいけちゃうかな、というところで来るんですよ、睡魔が!!

眠くなけりゃ寝なけりゃいいという作りにはなっていないのだ、人間は。

よりにもよって起きる時間頃に眠気が訪れるというのがなぜ困るのかといえば、時間が中途半端すぎるからだ。家を出る時間くらいに眠気が訪れたのならそれはもうその眠気などトイレにでも流して少し巻き気味にでも1日をスタートさせてしまえばよい。徹夜上等だ。

しかし起きる時間までそろそろ、というタイミングに眠さがくると、家を出るまでには時間がけっこうあるので今から家を出る出たのでは早すぎる。もう仕方ないから早めに準備し始めてしまいますかととりあえず準備をしてしまうのだけど、家を出るまでの時間までに絶妙に時間が余るのである。

準備は済んでいるけれど、家を出るには早すぎる。そういった半端な空き時間に、「これちょっと眠れてしまうんではないの」、という睡魔からのご提案をうける。

いや、そういうんじゃないからと最初は突っぱねるもののじわじわと眠気メーターはあがる一方。あー、眠い寝たい。なぜ今なんだと思い悩むうち、睡魔からのご提案に折衷案を差し出す。

それが座り寝である。

当時床に座椅子をおき、ちゃぶ台を生活の拠点としていた生活をしていたため、座椅子に寄りかかり、ほんの十数分だけリラックスしきらない状態で眠るという方法を試みたのだ。

横にならないからすぐに目を覚ますことができる。ほんの少しとはいえ睡眠をとることができれば稼働するのには問題ない程度には眠気も片付くだろう。

そんな思惑で睡魔と交渉した座り寝作戦、結果は勝率五分といったところだったか。

きちんと超短時間睡眠をとって家をでるルートが発生する日はもちろんあった。しかしそうでなかったときがひどい。起きられなかっただけならまだしも、いつのまにか座椅子のうえで横になって寝ちゃってるの。なに快適に寝てるんだよ、立場わかってんのか。

眠ってしまって爆死したあとのことというのはそんなに覚えてないということはそんなに深刻な事態は引き起こしてないということなのだろうと自分にとって都合のよい過去として片付けておこうと思う。

 

そもそもなんでそんな眠れない日が訪れたのかというところではあるけれども、あの頃は自覚はなくても将来の不安とかそんなことを感じていたのやもしれぬなとおじさんになったいまならば思えないでもない。意外と繊細じゃねえか、若い頃の僕よ。

今は繊細とかなんとかってものは通り越してもう起き続ける体力がなくなってしまったので眠れない、と感じてもしっかり寝落ちしております。平和。

 

なんとなく夜っぽい話をしていたかのようですが、あの頃の僕はガッチガチの夜型人間だったので、上記の話は真昼間の話です。

夜要素足しとくために月が綺麗で写真を撮ろうとしたけど失敗した写真をあげときます。

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