普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

音源購入のアナクロニズム

今日、注文していたCDが届いた。

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愛してやまないバンド、DANCE GAVIN DANCEのライブ音源である。昨日の出勤の電車の中で注文したものだ。

以前であれば仕事帰り、もしくは休みの日にCDショップに赴き、在庫があるかどうかを心配しながら店内をさまよい、店頭に品物がなかったときなどコミュ障をおしてまで店員さんに話しかけ在庫があるかどうかの確認を粘ってそれでもやっぱり在庫がなくてしょんぼりかつやきもきしながら在庫探しの旅にでかけたりしたものであった。

電車の中で注文できてしまうなんて、しかもそれが次の日には届いてしまうなんてなんて便利な世の中!と、感激、感謝ひとしおなのだけど、今の世の中そもそも音楽をCDというメディア、現物として購入しているひとというのはどれほどいるのだろうか。

聴きたい音楽があればYouTubeで動画をみるなり、もしくはSpotifyなどのサブスクでというひとがほとんどだろうし、その方が圧倒的に便利ではあると思う。そうではあるとは理解はしつつ、僕はいまだに音楽のサブスクに馴染めなくて気に入った音楽はその都度音源を買っている。時代に乗れているとは言い難いものがあると自覚しているし、もっと言ってしまうと「音源を個別に買う=アナクロな行為」をしているものだなと自分でも思う。

ただ、角度を変えて見たらCDをわざわざ買うというのは趣味性の高い行為とも言えるのかもしれないとも考えた。「わざわざ」をあえてするというのは他の分野においてもなにかしらのこだわりを持つひとがその「わざわざ」すら楽しむために経ている行程であるのだろう。

新幹線という時短の鬼とも言える移動手段があるにもかかわらず、あえて鈍行列車に乗って旅立つということこそ至高というひともいるだろう。ぼちぼち移動しながらボックス席で駅弁食べるのがいいんだよ、的な。

他には写真を撮るにしても画質という面においては圧倒的にデジカメのほうがよいのだろうけど、わざわざ写ルンですで撮った荒めの写真を「風情」として楽しむひともいるだろう。

その「わざわざ」が音楽を楽しむ場面にもやってきたというわけである。そんなにこだわりの多いタイプでもないのでまさか自分がこだわり派に属する日がくるとは。

もっと時代が下っていったとき、CDを再生媒体にセットして音楽を聞くという行為が薪で火をおこしてお湯をわかすというひと手間かけている行為のように見られる日もくるのかもしれない。そうなったらなったでなんかちょっといいので頑固一徹CDをセットしていく晩年としたい。

さんざんこだわりがあるっぽいようなことを言ってはみたけれど、CDこそ買うもののすぐにPCに取り込んでしまうのでセットするのはその一度きりだったりする。さらにいうと今回はDGDファンとしてCDを現物で所有するというコレクションアイテム的な要素も購入の理由に含まれる。

他のバンドならデータ販売のものも普通に購入するのでガチガチにこだわっているわけでもないのだ。とはいえ、個別に音源を購入することそのものは珍しいのかもしれないけれども。

僕の甥はこの間成人したばかりのサブスクネイティブ世代でどうやらSpotifyあたりを利用しているようではあるのだけど、彼が敬愛するミスグリーンアップルだけはすべてCDで音源を揃えているらしい。やるな、あいつ。どうにかメタルの沼に沈ませたいところだ。

 

肝心の購入したCDなのだけど、まだ開封していない。でも最高なのは知っている。なぜなら同じ内容のものを先にYouTubeで見たから。

ということでね、こだわってるとかそれ風のこと言ってみたかっただけなんで、金曜の夜ということで週末の闇に話題ごと溶かしてやってくださいな。