我が家に年配の新入りがやってきた。1950年代生まれという話なので70歳を超えている可能性がある。しかし佇まいは上品で清潔感がありおしゃれだ。
なんの話かというとアンティークのランプを購入したのである。
こういうのを選ぶセンスというのは僕はからっきしなので妻のセンスというか好みではあるのだけれど、やってきたこのご年配照明器具によって我が家に小さな由緒が生まれたように思えて誇らしい。
前述の通り1950年代生まれなので、どう若く見積もっても61歳。人生(ランプ生)を経て酸いも甘いもかみわけておられる存在である。もう少し具体的に言えば様々なひとびとの様々な生活を照らしてきたということだ。
たぶん雰囲気的に寝室に設置されそうな照明っぽさがあるので、あるときは子供を優しく照らし、またあるときは夫婦喧嘩の現場に居合わせ、あわや鈍器とされそうになったこともあるかもしれない。
そうしてひとからひとへと渡っていって今般我が家を照らす光となることを考えるとなかなかにして感慨深いものがある。
と、個人的には思っているのだが、このランプ購入の話を職場の定年派遣おじさんにしたところ、「アンティークはなんだかそれまで何があったかわかんないから呪いのランプみたいでやだなあ」との由。
むむ、そういう見解もございますか。とは思ったがおじさんは興味のないものはばっさりというタイプなのであまり気にしないことにした。ランプがあって気分が良いという事実は多少のノイズをマスキングしてしまうものだ。
そうはいいつつも、脳裏には所有者を次々と不幸に導きながら人手を転々としていく宝石(ブラックダイアモンドと思ってたらホープダイアモンドというらしい)、座ると死ぬ椅子(バズビーズチェア)などが思い浮かんでいた。
世の中色々な呪いがあるものなのでこのあたり気にしていたらキリがない。しかもそれを手にするというのはある意味当たりだ。そうそう手に入るものではないだろうに。しかも大きなくくりでいえば平将門の首塚もおなじくくりなんじゃないかと思うので、最悪呪いのアイテムだったとしても首塚が家にあると思えばそれはもはや家がパワースポットとなったのと同じことである。
ランプ氏などと気軽に呼んでいられない。おランプ様として崇め奉り、祭壇をしつらえるべきである。
ここまで勢いよく書いていると、ランプの出自に関係なくランプ専用の棚を設けるべきであるなと腕まくりしたが、それはふつうに照明の棚なのできちんと用意すべきものである。一周まわって普通のこと言ってるってアイデア出そうとしてるときあるあるじゃないですか。僕だけですか。
前半はともかく後半は僕が勝手に言っているだけのことなので、家庭内稟議が全く通らない可能性しかないのでランプ氏の処遇は妻にお任せしようという次第でございます。
まったくの余談なのだけど、最初ランプのことをおじいちゃんランプって書こうと思ってはみたものの、一番年上でも71歳、若ければ61歳ということを考えると今の世の中おじいちゃんに分類するのは気がひけるなと感じ「ご年配」止まりにしておいた。
年齢の価値観て僕が生きている間だけでずいぶんと変わってきたものだなとランプ全然関係ないところで着地してしまったので今日は逃げるように去ります。