普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

プロの仕事とはドライなものだ

今週は金曜の透析を土曜に変更してもらった。職場の同じ島で働いているひとが退職するということで、それを見送るためだ。

透析ですのでーってそそくさと帰るのも薄情なもんかなと思ってそのようにしたが、ペアで働いていた退職者の隣の席のひとは在宅勤務であった。ドライな関係だ。

そういったことで今透析中なのだけど、午前の透析は老人が多い。並ぶベッドに老人が横たわる姿にはなにか心をざわつかせるものがある。しかもマスクをしているせいなのか、ただでさえ不健康なのにより不健康に見えてしまって同じ立場であるはずの僕から見てもなんだか不安ビジュアルだ。安置されてますって感じで。

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※ストレートにイメージしないための写真。

みなまで言ってしまうと相当に不謹慎ではあるかもしれないけれど、そう見えてしまったものは仕方ない。仕方ないけどそれを言うのはどうなのかということであるとは思う。ましてやブログに書くなど、とも。そう思うけれどもこうして書いているということは心根では大してそう思っていないことのあらわれだ。

脳に物事を不謹慎にとらえるフィルターでもかかってるんじゃないかなというくらいには不謹慎な発想が多い。他のひともそう見えていても言わないだけなのか。そうだとしたら僕の場合ちょっとおもしろいんじゃないかなと思ったら言ってしまうところがあるので問題は別のところにあるな。もちろんそういうことを誰彼かまわずに言うことはしないけれども。さすがの僕もTPOは選ぶ。

妻にはわりとどぎつい不謹慎ネタを打ち明けることがあるが、妻はあまりそういうのを気にしないタイプなので、それが原因で変な空気になったことはない。素の自分で会話ができると言うのは大事なことだよなと思う。

なぜそんなことを思ったかといえば、「婚活のプロ」が書いた記事を読んだからである。だいたい婚活プロってなんじゃいというところはあるが、今はそれは置いておいて、その内容に噛みついていきたいと思う。

記事では会話の方法、例えばこういう会話の時の正しい返しは?というものがあったのだけど、こういうのを鵜呑みにしていっちゃうところが婚期を遠ざけるのかなと思ったりした。

たぶん、会話での正しい返しを探すよりも自然体で話せる相手を探し続けた方が後々自分にとっても相手にとっても良いだろう。そもそもの会話の能力に問題があるのだとしたらそれ込みで結婚できる相手を探さないと、最初こそ「正しい会話」ができていたとしても、素の自分でない会話を続けることはお互いにとってよいことがない。

ちなみにこの記事はツイッターで見かけたのだけど、記事のリンクがあるツイートには地獄のようがリプライが鈴なりにぶら下がっていた。みなさん独身、婚活中の様子で記事を書いた「婚活のプロ」というものの需要先のリアルを知ることができ、うん、なるほどな、ああね、と世の中の「まじで?」を垣間見ることができた。ひろいな、世の中は。

プロは成婚がゴールと考えているのかもしれない。そうでなければ一時的なドーピングみたいなコミュニケーション方法を堂々と伝授しないものな。そういう仕事といえばそれまでだけれども。

プロとはそういうものか。殺しのプロも殺すところまでが仕事で死体の片付けまでは仕事ではない。かもしれない。

それを考えると婚活のプロは結婚させることが仕事でその後のことは知らんというのも道理ではある。

殺しと婚活、慶弔のプロの座談会などあったら見学したい。