普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

神様案件

信仰については他人に強要すること、迷惑がかかることがなければ自由だと思っている。それはもう拝火教でもなんでもお好きにどうぞといった具合に。

まわりがちょっと怪しいんじゃないの、というような宗教であっても本人のなかで心の拠り所となっているのならそれもまたよいだろう。勧誘とかしだしてしまうと話はまたかわってくるのだけれど。

めちゃくちゃ個人的な考えとしては、やはり不安や疲れがピークに達したときに全てを肯定的に受け入れてくれる存在、答えを出してくれる存在が求められるのだと思う。

肉親や友人、知人などにそういった存在がいれば不安や心配はそこで解消されることが多いのだろうけど、それで解消されない、もしくはそういった存在がいない場合も当然ある。

そんなひとびとの拠り所となるのが信仰、ひいては神様であり、神の教えなのだろう。漠然としたネガティブな感情に対して答えを出して受け入れてくれるわけなのだからそれは神様が存在してくれた方が精神衛生上よい。

どこの信仰の神様でも基本的に全知全能というのが基本スペックとなっていると思う。日本とかギリシャ神話みたいにやまほど神様がいる場合はそれはピンキリではあるけれど。

その超ハイスペックの神様をもってしても天災、疫病などは抑え込めないことがこれまでの歴史上幾度となくあった。そのときの口上として、被害が少なければ「神様のおかげ」だし、甚大な被害があれば「神様は怒っている」になるわけである。

何が言いたいかというと、これって壮大なる責任転嫁なんじゃないかなと思ったのだ。実際のところ誰が悪いわけでもない。けれどもなにかのせいにすることで気持ちをひとつの方向に向かせることができる。

今と比べて科学も医学も文化レベルもあまり水準として高いとは言えなかったであろう過去のことであればなおのことだ。

原因はわからない。わからないから原因を作ってしまうわけだ。神様、とばっちりもいいとこである。

今回のコロナだって世が世なら完全に神様案件だろう。実際のところ過去に疫病が広がれば大仏様だのが建立されまくっていたわけなので、今回もそれにあたる何かが欲しいところだ。

ウイルスを原因としていることはわかっていながらもその解決策が見出されていないから不安は解消されないまま、拠り所となるものもないことで疲弊してギスギスした雰囲気になってしまっているのかとも思う。

いっそのことウイルスが原因ということすら解明されていなかったら過去に類を見ない一大信仰が興った可能性はじゅうぶんにあり得る。

あり得るけど、実際なにもかもが解明されていない流行り病だったりしたら怖すぎるのでまだ今のほうがマシと思うことにしよう。

考えてもみれば「コロナはただの風邪」勢でノーマスクで練り歩いていたひとたちも方向性はともかくひとつの信仰っぽさが出来上がっているような気はする。この場合、結論としては風邪だったとしても感染するような環境を積極的に作り出さんでくれということに尽きるわけだけれど。根本的なところが破綻している。

信仰、神様といえばもう本当にいろんな神様が存在しているのだな思わされたのがヒンドゥー教のカーリーという神様で、破壊と殺戮の神らしい。物騒すぎる。そのうえそのカーリーを信奉し、殺人を教義とする集団もいたようだ。しかしそれは宗教ではなく秘密結社なのだそうだ。そのあたりのニュアンスがよくわからない。

殺人の理由づけとしてカーリー信仰をうたっているのかなと思ったら、信者へカーリーの供物として毎年最低ひとりの殺人を義務付けていたというのだからこれは思っていた以上に思想の方向性は定まっていたようだ。しかも絞殺オンリーなんですって。こだわり。

安心なことにすでに掃討されているとのことなので、ある日突然彼らの供物として絞殺されることはない。

カーリーについてもそうとうに特徴的な神様なので各自ぜひとも検索されたし。なんか夢に出てきそうな風体とはこのことだなという感じ。