普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

個性を主張するファッションであることは間違いない

現代において暴走族はかなりサブカル傾向の強いものなのではと考えている。暴走族といってもいわゆるヤンキーファッション(いわゆるツッパリ)を貫いているひとが特にあてはまる。

身もふたもない言い方をしてしまうとヤンキーファッションてまあなんというかその、個性的すぎるというか、正直おしゃれ感とは遠いところに属すると思うのだ。

それをあえて貫くというのはひとつの信念をもってやり抜いていることと言える。そして掘り下げていくと原宿のかなり自己主張の強いファッションや、高円寺で見かける写真を撮ったら全てがセピアに写ってしまいそうなレトロファッションとも通ずるところがあると思う。原宿にしろ、高円寺にしろ、その格好をおしゃれとしてみるかどうかとういうのは同好の士が決めることなのでここではいったんおいておくとして、大枠でみたらサブカルと呼ばれる範疇ではある。

ヤンキーファッションもそこにあてはまると思うのだ。現代においては。流行ではない、自分のよいと思うことに信念をもって臨む。よいことだなあと感じる。

そもそも、いまヤンキーファッションをしているひとというのは素行不良であるということに端を発してそのスタイルを貫いているということではないのかもしれない。したいからその格好をする。いわゆる自分のスタイルだ。実に現代らしい。特にエビデンスはないけれど。

僕が小中学生の頃はまだヤンキー、暴走族というのは不良の文化として存在していたので畏怖の対象であった。でもこちらがよほどなにかしなければ向こうから絡んでくることもないし、バイクの排気音でゴッドファーザーのテーマとか演奏しているのを聞いたりしたときは素直にすごいなと感じた。

最近めっきりそんなものも聞かなくなってきたいるだけに、本当にごく稀に暴走族が近所を走っていて、そのうえゴッドファーザーのテーマを鳴らしていたりすると得もいわれぬ嬉しさが込み上げてくる。端的にいってなんだかテンションがあがっているのだ。頑張って欲しいな、とすら思っている。

この心境の変化というのはなんなのだろうか。絶対にもう関わることがないだろうなという意味で、外野として珍しいものをみたという気分なのか、はたまた先に述べたようにサブカルとしての自分のスタイルを貫いているな、とそのハートの強さへの憧れをもっているのだろうか。

どちらにせよ東京に住んでいて暴走族の息吹を感じることは皆無であるので存在を感じるとほっこりする。

 

暴走族といえばセットで挙げられるのがチャンプロードという違法改造車をお披露目し合う雑誌なのは僕らの世代では有名なのだが、調べてみたら2016年で休刊しているらしい。それ自体は残念なことだが、2016年まで発刊されてたのだということのほうに驚きを感じた。根強いファンはいるものだ。ミレニアムを越えた暴走族、ヤンキーというのは大気圏突入で燃え尽きなかったモビルスーツのようである。

 

と、今言っているサブカルなのではという対象はあくまで若い世代であって、旧車會かなんかでもうひと騒ぎしてやろうぜーというおじさんたちは僕の中ではあてはまらない。

それというのも僕もおじさんになってわかってきたのだけど、若いころの楽しさが忘れられなくてバンドをやろう!となってもどうしたって昔の自分よりは衰えている。まったく同じようにとはいかない。というかそれをやろうとすると見苦しさすら醸し出してしまうかもしれない。

しかし若い子があえてのヤンキーファッションへ挑戦していくというのはパッションがすごい。そんなパッションにあてられたいとすら思うのだ。

残念ながら僕の周りにはそのような熱い人材がいないのだけど、バンチパーマ鬼剃りとかしてる若い子がいたら仲良くしたいな。

 

それかもうこの際自分でバンチパーマにしてしまうか。