普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

湿った恨み節で加湿

今年度に入ってからというもの、状況的に仕方がないとはいえ休日にまったく遠出というものをしていない。もっといってしまえば電車に乗ることすらほぼない。

この4連休も電車に乗ることなく、どこかへ行くこともなくずるっと過ぎてしまった。

そもそも日曜以外は日中はほぼ雨が降っていたので外出する気すら起こらないといった有様であった。ほんと、くさくさするとはこのような状況にこそふさわしい表現なのだなと改めて気付かせてくれてありがとう梅雨空よ!はんっ!!と、嫌味のひとつも言いたくなるほどに天気にも恵まれなかったな。

今年は梅雨明けが8月になるという話だし、それどころか梅雨があけないのではないかという声すら聞こえてくる始末。やりたい放題だな。

それにともなって冷夏になるということも予想されているという。僕がその情報を得たのはSNSで山形の農家の方々が経験則からそう感じているというのを見かけた経緯である。

しかし一方、これもたぶんネットだったとは思うけれど、気象予報士の誰かが今年は猛暑になるということを言っていた。これはわりとデータに基づいたこれまでの傾向からの意見であろう。

職人芸vsテクノロジーである。心情的には農家の方々の言っていることが信憑性ありそうだなと思ってはいるけれど、冷夏は勘弁して欲しい。夏はパキッと暑くなって死んじゃうかもしんないってくらいに汗をかくということがしたい季節だ。テクノロジー推しとさせていただきたい。

あとね、日照時間も少なくなって冷夏は野菜も高騰するし、そもそも日光を浴びること少なくなるというのはメンタルヘルス的によくない。なんの根拠もないが、少なくとも僕がそうなので僕の周りに小さな太陽とかでてくれないかなとすら思っている。ポータブル太陽だ。可愛がる自信はある。たぶんエサはプルトニウムとかだろうな。

 

経験則からにしろ、データの積み重ねから導き出された答えにしろ、これまでがそうであっただけで、今が変化の過渡期ということであればあまり意味をなさなくなってきてしまうかもしれない。

夏が暑い、冬が寒いという前提が覆されるひとというものもこないとも言えない。最近の状況をみているとそんなことも感じてしまう。

そうなったらそうなったで新しい季節に対応していけばよいし、新しい季節の命名とかあればそれは面白そうだ。浸透するまでにものっすごいもじもじしながら使ってしまいそうだけど。そういう新語というのは意識してしまうと照れてしまうものだ。

 

さて梅雨への恨み言ばかり言っていても余計に心が湿気をおびてくるのでここはひとつ最近のお気に入りの動画をひとつ。

銀行ATMの通帳を繰り越しているときにながれるアニメーション。一見平和に見えるがループものだ。彼(彼女かもしへない)は安穏に見えながらも同じ出来事が繰り返されるこの事象から抜け出すことはできないのだ。業を背負いまくっている。

 

でも天気が良いのは心底うらやましいです。