普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

雨雲太郎の就職

在宅勤務と出社を使い分け、なんとか雨を避けている。コロナは問題だが僕からすれば目の前の雨だって問題だ。

梅雨は必要だというのはわかる。わかるけれども嫌なものは嫌だ。なくすということは無理なので、どう扱っていくかを考えていくべきだろう。

基本的に市街地に雨が降り続くことにメリットはないかと思われる。というかそれをやめて欲しいのですよ、ええ。雨で得したなと思えたことなど人生でどれほどあっただろうか。市街地の雨、オワコンじゃない?空気読めてない。などと辛辣にあたられたら雨雲だって辛かろう。

そこでだ、雨雲に新たな役割を担ってもらうのだ。今まではノマドワーカーのごとくその日の気分で様々な場所で雨を降らせていた雨雲太郎。彼にオフィスを与えるのだ。

そんな新オフィス、なんとダムです!

全国各地のダム真上、そこでならいくらでも実力を発揮させることができるうえに、夏場の水不足解消にもつながることもあり喜ばれてしまうのだ。通いで降雨。今までの傾向から言うと四国のダムあたりが職場としてやりがいがありそうだ。

市街地での行きずりの降雨で人々から疎まれることもない。よいこと尽くめではないか。

どうかね、雨雲太郎。君ももう根無草生活も長かろう。そろそろ腰を据えて雨を降らせてみてはどうかね。

と、これは雨雲太郎を丸め込むパターンである。お互い良い気分で心地よい生活環境を保てる精神衛生上よいやり方だと思う。

しかし雨雲太郎だって長年自分のやり方でやってきたわけだ。急にひとつところに落ち着けなどと言われてもおもしろくない。話し合いは決裂することも十分にありえる。

そうなったらこちらだって別の手段を考えていかねばならない。多少荒っぽい方法でも致し方なかろう。なにせこちらも生活がかかっているのだ。雨のない快適な生活が。

思案に暮れたところ、雨の量、場所はおそらく先方のなかでの譲歩は考えていないと思われる。そうなったらもう受け止めるしかない。ただし、受け止め方は今まで通りとはいかない。

雨雲太郎の真下に巨大な漏斗を用意。そこに存分に雨を降らせるのだ。これで地面のおしめりは一切なし。雨雲太郎もある程度自由に雨を降らせることができる。

漏斗に降らせた雨水の行方は最寄りのダムだ。

結局ダム頼り。ダムが一番わりをくっているというあたり、好き勝手に奔放なトークの営業とわがままクライアントの間に立たされている現場のひとのようにも感じる。

ダムのビジュアルも相まって黙々とやることをやるタイプなんだけど、怒らせるとまわりがドン引きするほどキレるひとというイメージだ。でも本当はキレてしまった自分に一番ドン引きしているという真面目な一面も。気にするな、ダムよ。

 

もうほんとに知らんがなというレベルの話でしかないけれど、こんな話を酒飲みながらするといいんです。というかそういう話ができるひとと飲むのが楽しい。

 

そういえばトミーズ雅ってダムっぽさないですか。共感を得られなかったらダム観はひとそれぞれということとし、今年の梅雨を乗り切ろうと思う。