普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

カニとマグロと鞠

思い返してみれば華やかな週末であった。

なにが華やかかといえば、うまい肴に楽しい会話。そんな時間を過ごせたことである。

土曜日はカニ。日曜日はマグロという布陣であった。じつに海鮮づいている。

カニについては以前と同様職場の定年派遣のおじさんの家でカニパーティーが催されたものだ。ほんとカニ好きなんだな。食べたらおいしいとは思うものの、情熱をそそげるほど魅了されるものではないのでカニそのものよりも飲みの場として楽しむことにした。

今回、おじさんのお母さんが手作りしたという鞠を頂いてしまった。これがちょっとすごい代物で、本当にいただいてよいのかと後ずさるほどの逸品である。

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特にこれ

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これを手作りで作成しているというのだ。しかもデザインもご本人で決定しているらしい。すごいセンスとテクニック。あまりによいものをもらったという感覚からこの週末あったひとに自慢してしまったほどだ。まるで宝玉を授かり受けた者のようだ。でもそうして自慢してまわるものは大抵ひどい目にあってお宝を手放すハメになるのだ。小物感すごい。

鞠をもらって上機嫌で酒を飲んでいたものの、あまりに長丁場の飲みだったので一度寝落ちしてしまった。ていうか家飲みするのに午前中集合とかしなくてもよくないですか。そりゃ眠くもなる。楽しいには違いないのだけど。

結局カニを食べるより酒を飲み、ぐだぐだとクダを巻いていた格好だ。一緒に飲んだメンバーが「カニ結構なくならないもんだね」なんて発言をしていたが、それは僕がカニをロクに食べなかったからである。好きなひとが好きなだけ食べればよい。

 

そして日曜日、若干の二日酔いで目が覚めるものの、前日の所行を考えれば善戦したほうであったと思う。この日は以前にも行った中野のマグロマートへ行く予定だ。昨晩勢いでつい買ってしまったルーローハンの残りを食べながら決戦に備えた。

そして定刻となり、マグロとの戦いの火蓋が切って落とされたのであった。やはり予約がなかなかとれない人気店。食べるもの全てが美味だ。

今回も自然界で淘汰され、鳥葬とされたとしか思えないような名物メニューをオーダーした。

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僕らは鳥のように身をすいて食べる。しかしこのプリミティブなことをあえて行うというのが文化的という不思議な状況は楽しいので好きだ。たまにいる原始人おじさんなどはこういった行為を生活の中に増やしていくことで生まれるのだろうな。

ついでなんでその他のオーダーしたもの。

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食べ物は当然美味しかったのだけど、話題についてもなかなか濃厚な話題が飛び交っていた。

ざっくりいうと、人間誠実さをもって生きていないとしっかりしっぺ返しをくらうのだなということだ。本来は落ち込むようなことをなぜだか本人はエンタメ気分で楽しそうに話すのはある意味尊敬する。どういうメンタルしてるんだ。そういう常軌を逸しているところが友達として付き合っていける部分でもあるのかもしれないのだけれど。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、前日のダメージを修復しきれていなかったこともありそこまで量を飲まずに安心感のある帰宅となった。

 

しかし、今日は午前半休をとっていた。抜け目なく。飲みすぎるだろうなと思うなら気をつければよいと思うだろう。ごもっともではある。しかし、それができるならとっくにやっている。飲みすぎる前提でのリスクヘッジを考えるまでだ。

とはいえ、前述のとおりあまり飲まなかったのでゆっくりとした午前中を過ごし、ちょっと暇だなと思って予定よりも早めに出社してしまった。前の僕なら考えられない。なんならそのまま仕事に行くのが面倒になって休むことすら考えたと思う。

 

ひとって変わるのだな。とか、自分でそう思う日がくるとは思わなんだ。

自我が幾重にもなっていて、一層ごとに違う自分がいるのかもしれない。そんなことを考えた。