普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

何もないを描く。何もないを奏でる。

先週末は窓展というものに行ってきた。

窓をめぐるアートと建築の旅と銘打たれた展示で、窓というものを多方面から捉えた展示らしく、想像していたものとは少し違ったけど、とても満足した。やはりああいった普段の生活で目にしないようなものを感じられるのは刺激になる。

事前に勝手にイメージしていたのはインテリアとしての窓に焦点をあてたものだったわけだけど、実際の展示はもっとアートに寄ったものであった。

展示の最初の部分で窓の定義、捉え方についての説明があった。曰く、四角い枠をもって内側から外を、またはその逆を映し出すものが窓であるとのこと。言ってしまえば額縁を窓と捉えて心象風景などを表現もできるじゃない、という考え方であるとのことだった。

物理的な窓を見る気まんまんで入館した僕は「あ、そっち系?」と少し身構えた部分もあったのは否めないが、そういう考え方もあるなと考えを改め館内を巡ることにした。

14章からなる展示を巡るうち、ちょっと高邁過ぎてわからない表現もあったりしたけど、単純に良いと思える絵、表現手法はあった。

例えばこれ。

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抽象絵画とのことだけど、まあ窓といえば窓だ。物理的な窓ということではなく、もしかしたら別の意味で窓と絡めているのかもしれないけれど。

あとはこれ。

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窓か?とは思う。思うけれどもなにか心惹かれるものはあった。他の様々な絵画に挟み込まれて展示されていたからこその良さはあるのかもしれないけれど、こういう振り切ったのは好きだ。

無音の曲というものと同じものを感じる。無音の曲の良さに関しては僕はさっぱりわからないけどな。ていうか曲じゃないじゃん。それを曲って言ってしまったら世界はいつでも曲が流れていて、終わらない曲が意識の芽生えから消失まで流れ続けていることになる。音が鳴らない空間を一定時間作り出すことでその作業を行ったことが作曲活動であるというのならばまあそれはそれかもしれないけれど。

とか全然関係ない話になっちゃったな。まあそりゃいいんですよ。

絵とか全然心得がないので何か感じるものがあったのかもしれない。あのまっくろに。

ちなみに撮影許可があるものだけを撮ってますよ。念のため。

あとはなんだかいいなあと思ったのはポーランドのひとがマンションの窓から見下ろせる広場を22年間にわたって定点撮影し、そこにナレーションをつけたもの。その撮影期間中にポーランド情勢が変わり、窓から見えるもの、街の空気が変わっていく様がノスタルジーにも似たような気持ちを思い起こさせた。

 

なんだか思ったより真面目に書いてしまったな。まあでもそんなときもあるし、備忘的な意味合いで書いとかないとすぐわすれてしまうからな。

 

このまま終わるのもなんなので、行きつけの店で飲んでいたらふとした瞬間に邪悪な顔に見えたチーズ擦り下ろすやつの画像を貼っときます。

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ちょっとニヒルに笑った目の沢山ある悪魔的なものにみえないですか?

そうでもないですか。

それじゃ本日はこれにておいとま致します。