世の中にはニコイチという言葉がある。大雑把に言えばふたつのものでひとつの役割を果たすということだ。
先日いつものように行きつけの飲み屋に行き、顔馴染みと話をしていたらなんの流れかは忘れてしまったが、おっぱいの話になった。
おっぱいは紛うことなきニコイチである。
いや、片方でも尊いという向きはあろうかと思う。しかし、やはり人間の身体の作り上、ふたつでひとつ、セットになっているというのが僕の認識だ。
そう鼻息荒く持論を展開したところ、それなら手足や鼻の穴、目などもニコイチではないかという意見がでた。もっともである。
しかし、身体のパーツの中でもおっぱいと他の部分は意味合いが変わってくると思うのだ。
手足などは生活していくうえないとかなり不便だ。むしろ困るというレベルであると思う。
一方でおっぱいはどうかというと、それぞれの好みはあれど、なくて困るかというとどうだろうか。そう考えるとニコイチとして同じくくりかと思われたそれぞれについてひとつの答えが導き出せる。
手足はインフラ。
おっぱいはエンタメ。
そういことではないのか。
いや、待って。違うんです。
赤子にとって乳房が大事なのは存じております。タンクとしての役割があることも承知しております。あくまでもファンタジーとしてのおっぱいを前提とした話であることをお含みいただきたい。
時代は移りゆくものだけれど、男子の中でのおっぱいのファンタジー性は根本では変わらないと思うのだ。
と、言っている僕はそこまでおっぱいに固執してるわけでもないのでこの話は以上とします。
話はニコイチに戻して、ニコイチにも元々の意味、そして使われていくうちに大枠は一緒だけど、細かい意味が違ってきたものなどあるとのこと。
言葉が生まれた頃は不出来なものの使えそうなもののみを取り出し、組み合わせてひとつのものを仕上げるという意味だったそうだ。例えば端材で何かを作り上げるなどはそれにあたるのか。
それを考えると垢太郎なんかはおじいさんとおばあさんの端材(垢)で誕生しているわけだからニコイチ太郎とも言えるだろう。言えるだろうけど語呂が悪いのでそうは呼ばれないだろう。
他には車の業界などでは故障車二台からパーツどりして一台を作り上げるニコイチ車なるものがあったりとかしたらしい。しかもユーザーに黙って売ったりなどという悪徳商法もあったりなど、大らかな時代の話だなあという感じである。
さらに人間同士の間でもニコイチという言葉は使われるらしく、女性同士で仲が良く、いつも一緒でふたりでひとり、みたいな意味合いで使われるとのこと。これは結構ポジティブな用例だと思う。夫婦についても同様。別にアシュラ男爵みたいな話ではない。
考えてみれば僕ら夫婦だってニコイチそのものであると思うし、当初の意味の不出来なそれぞれが合わさってひとつの役割を果たせるものになっているというのがしっくりくるかもしれない。決してアシュラ男爵的な夫妻ではない。