普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

溝からの意見

どうも最近、ゆるパクという言葉が世の中をにぎわせているらしい。

ちゃんと調べてないけど、やんわり似てるからそれパクりなんちゃうの?といった意味だろうと思う。たぶん。

対象は小説とかイラストなどが多いようだけど、自分にあてはめると音楽になるわけで、それを前提に思うところはある。

ゆるパクとかいって騒ぎ立てているひとたちというのはたぶん作品を生み出したことがない、もしくはそうしたくても出来ないひとたちなのだろうと考える。

作品を生み出すという行為をしたことがあるひとだったらそう簡単にそういう非難の仕方ってしないと思う。

そして、騒いでるひとたちというのは多くの作品に触れておらず、自分が知っている中でちょっと似てるところを発見してドヤっているのではとも感じる。

多くの作品に触れているひとは多かれ少なかれ作品に共通する部分があると認識したうえで作品に触れると思うし、なんなら方向性の類似を分析して楽しむことすらできるだろう。

そもそも、世に出てきている時点である程度のキャッチーさ、大衆性があるわけで、本当に本当のどの作品にも似てないようなディープなものは騒ぎ立てるようなひとに届かない、というかそういうひとたちは発見できるほどのアンテナを持ち合わせていないのではないかと思う。

どこかで見た話だけれど、何かに似ていると言われても作品を作り続けていれば「その何か」を踏襲しつつ、作り手の癖というかキャラというかそういったものがにじみ出てくるそれがオリジナリティになる。

そのオリジナリティがまた誰かに影響を与えて同じことが繰り返されていき、ブラッシュアップされたり、突然変異を起こしたりするからおもしろいのだ。

と、いったようなことをあまり考えないタイプのひとがゆるパクとか言い出すのかなと感じた。

ここまでめっちゃ暑苦しく語ってみたけど、相当にうざさのある話だな、これ。

でもやっぱり表現者とそうでないひと、能動的なひとと受動的なひと、間に考え方の違いはあるのだろうなと感じたお話でした。と、まあそういうことです。

素直によいと思ったら楽しめって話ですね。