普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

募る想い

会社の近所に美味しいと噂のカレー屋がある。部内で何人かがランチに行き、それぞれが美味しいというのでカレー好きとしてはぜひとも行かねばという半ば義務感のような気持ちで店へと足を運んだ。

ネット情報によるのオープン時間は11:30。時計を確認すると11:40。店は開いていない。

まあ、そういう日もあるかとあきらめた。

 

半月ほど前の話だ。

 

それから三回、計四回その店へ行っているのだけど、一度もカレーにはありつけていない。

そのカレー屋の近所に美味しいパスタ屋を見つけてしまったので、リカバリーのお店として通うようになった。

最後にカレー屋チャレンジしたのは今日なのだけど、今日などはカレー屋に向かっている途中からパスタの話をしていたくらいだ。

結局美味しいパスタを食べて満足ではあったのだけど、おなかはカレーのままだ。カレーが食べたい。

 

カレーは飲み物などと冗談でいうことがあるけれど、透析患者からしてみると本当にカレーは飲み物だ。なにせ液状なので、水分をとっているのと同じように体重が増える。

カレーを食べるときはそれも加味したうえで食べなければならない。

太ったひとなどが「カレーは飲み物」というときは

 

カレーは飲み物(笑)

 

みたいなとこだと思うが、透析患者がいうと、

 

カレーは飲み物…!(迫真)

 

となるわけだ。

カレーの場合救いとしてはスープなどと違い、それ自体がメインのおかずとして成り立っているため、飲み物であったとしても、総合的には体重の増えをそこまで気にしなくてよいということだろうか。

 

カレーを摂取することにここまで一喜一憂する日がくるとは思いもしなかった。これもまたひとつよい経験といえばまあそうであろう。

 

職場の近くのカレー屋はなんだかんだでこなままいけないのではないかと思い始めている。そして仮に行けたとして、ハードルがあがりまくっているため、食べたときのリアクションをどうしたらよいのだろうと不安に思う。

カレー屋には職場のひとと一緒にいく。そのひとたちは既にそのカレーを食べて絶賛しているひとたちだ。そのひとたちの前で「あ、思ったほどでもないな」などという顔をしてはならない。社内政治は大事だ。

 

世の中には二種類の人間がいる。

会社で評判のカレーを食べたものとそうでないものだ。

僕は「食べたもの」になる!と正月の歌舞伎町くらいのテンションで誓った。