普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

そのこだわり、嫌いじゃないんだぜ

週末に久しぶりにインスタントラーメンを食べた。前までは主食なんかってくらいにインスタントラーメンばかり食べていたのだけど、最近前ほど、というかほとんどインスタントラーメンを食べることがなくなった。

透析患者としては真っ当な判断と言える。でも別に食べたくないとか、美味しく感じなくなったとかそういうことではなく、単純に1食の重みを考えるとインスタントラーメンに1食を割くのが勿体無い気がして。何を食べても体重の増え(水分等の意味で)を気にしなければいけないのでせっかくだからきちんとしたもの食べようというわけである。なんと大人になったことか。若いうちに透析導入していたらもしかしてこうはなっていなかったのかもしれない。

そういったわけで久しぶりのインスタントラーメン。食べたのは王道も王道、サッポロ一番シリーズだ。

サッポロ一番といえば味噌か塩。塩とんこつとは珍しいなと思い買っておいたのだ。特に何かを意識することもなくパッケージを眺めていると切り胡麻付きである旨の記載がある。ああ、そうなんだなとしか思わない。商品名の字体ともよく馴染んでいる。

さて、作るかと何気なく作り方を確認してみる。そして読み進めていくと切り胡麻について触れられていた。

いやこれ明らかに説明しているひとここだけ変わってるでしょ。業務的にラーメンの作り方を説明されているなか、切り胡麻のくだりだけ明らかに彫りが深くなっている。アナウンサーの説明を聞いていると思ったらいきなり藤岡弘が「切り胡麻…!!」と割り込んできているじゃないか。

これはなんなのだろう。何か商標登録とかの都合なんだろうか。それにしても唐突すぎるし説明がなさすぎる。パッケージの表面はサッポロ一番のロゴも似たようなものだったから馴染んでいたが、ここにきて謎のこだわり。切り胡麻以外の具材についても独特の字体で表現してくれたりしたらもう一生サッポロ一番推し続けるし買い支えるな。

肝心の調理後のラーメン写真は撮り忘れてしまったのだけど、具なしラーメンだったのでみすぼらしいものが出来上がったのでした。いや「切り胡麻…!!」はきちんとつかったのでそれだけでいくらか気高き食べ物になったことだろうと思う。

ちなみに珍しがって今回塩とんこつ味を購入したけれども、サッポロ一番は断固として味噌派です。味噌しか認めない。味噌味原理主義なのです。サッポロ一番は味噌、カップヌードルはカレー、きのこたけのこでいえばたけのこ。世の中そういうことでやらせていただいております。

こういうときプレーン扱いとなる醤油味って立場ないなと思うのだけど、ラインナップからなくなっていないということはきちんと人気があるのだろうな。カロリーメイトのプレーンは終売したらしいけど。しかもプレーンを名乗っておきながら元祖というわけでもなく、途中から販売されたとのこと。チーズに対して「プレーン」なのだとか。この場合の「プレーン」は何味なのか謎めいている。醤油か。

話がとっちらかってきてしまった。久しぶりのインスタントラーメン、味うんぬんよりも「切り胡麻…!!」に出会えたことが収穫だったな。なんかよくわからんこだわりって良いものだ。「お、おう…」とどんどん言わせてほしい。

人生一度きりとはいいますけれども

人生一度きり。当たり前である。一度きり、不可逆であるため何かと頑張る。

でも何度も人生をやり直せることができたらどうだろう。やり直せるというか、生まれ変わることができるというニュアンスかもしれない。おそらく相当雑に生きることになるような気がする。大切な判断が必要になってくる瞬間、その判断を下すときでも「まあ…これで違ったら次は別の方選ぼう…」的な発想になってくるかもしれない。いや、少なくとも僕はなるのではないかと思う。

こういう迂闊かつ雑な判断だけであればまだ本人だけの問題ではあるが、世間全体で何度も生まれ変わることができるということになったら人生を途中で放棄するひともあらわれるかもしれない。まさにリセット。一回死んじゃう?みたいな軽いノリでそのときの人生をやめてしまうのだ。

そうなると易々とお死にでないよとお上が動き、人生やり直し禁止法など、法整備されていくことは充分にあり得るだろう。規制が生まれれば必ず反発する者があらわれるもの。「死ぬ自由」とかいってデモが行われたりするのかもしれない。

と、まあ何をわけのわからんことをお思いかもしれない。それというのも通勤経路にこんな張り紙を見たからである。

感じる強い意志

おお…言い切っている割には期間とかはわりと曖昧。夏中休むとは言っていないもののこれは8月中は休むつもりだぞ。僕はこんなことを言える人生でありたいのだ。しかし僕の人生は残念ながら熱波が来ても日常生活を維持しなければならない。このようなハメハメハ大王のうたみたいな生活できない。熱波が来たら仕事せず、雨が降ったら休みてえ。

でも、人生何度も繰り返しても性格が一緒なら結局似通った人生になってしまうものなのかもしれない。このように豪胆な判断は僕にはできないような気がする。だってドラクエ5、何度プレイしてもビアンカと結婚してしまうのだもの。あの状況でフローラ選べるか?ゲームのただの2択ですらこのざまなのでましてや人生本番たるやである。

それにしてもこの「人生一度きり」というフレーズ、人生も折り返しを過ぎたような人間からのほうが多く聞かれると思う。それは中高年の言い訳として使われていることを散見するからだろう。後悔のない人生を送りたい≒少しくらいハメ外したっていいじゃないの意味合いで使われているように思うのだ。なので中高年で「人生一度きり」と言い出したら要注意である。何か良くないことの起きる前触れかもしれない。

こうして「人生一度きり」についてあれやこれやと言い出している僕もすっかり中年だ。前述した言い訳おじさんたちとそう変わり無くなってしまっているのだな。

こういうと自分の人生どこかしら納得いっていないようでハメを外したいと思っていると見られてしまいそうだが、こう見えて僕はこれまでの人生はこれでよかったなと思っている。病気のことに関しても面倒は多いけれども大変なのは周りのひと達で僕自身はそんなにネガティブな感情を抱いていない。まあこうなったらこうなった過ごし方というものがあるものである。そのくらいの気持ち。これは子供のころから病気だったからかもしれないが。

やっぱりやり直せる人生よりも一度きりの人生のほうがいいな。

父にキレ散らかしたあの日の父側の立場になってしまっている

お酒を飲むと人間としてのスペックが著しく低下する。これはひとによると思うのだけど、僕の場合は少なくともそうだ。ひとによってはちょっとくらい引っ掛けていたほうが頭の回転が速くなったり行動力が上がったりするひともいると思う。僕はどうかと問われるともうなんだか色々なことがどうでもよくなってくる。何にしても「まあいっか」になってしまうのだ。多分シラフのもう一人の僕が横にいたら「いやよくねえよ」とツッコミまくることだろう。そのくらいには思考が雑になる。

色々雑ではあるけど基本的に上機嫌なのであまりひとに絡んだりとか怒ったりとかそういうのはないが、最近記憶をなくすようなことが頻発してくるようになった。これはまずい。雑なだけならいいが(よくないけど)発言を覚えてない等はひととして信用できない。

子供のころ、父親が親戚の集まりで酒によって上機嫌になっているところに顔をだしたところ、その場を盛り上げたかったのか「あれやってよ、マイケルジャクソンのモノマネ」と無茶振りをしてきたことがあった。え、普通に嫌ですけどくらいのリアクションをしたところ「じゃあ、やってくれたらファミコンのソフト買ってあげるよ」と提案してきた。

なんですと。そのとき僕はファミコンソフト”ドラゴンボール 大魔王復活”が欲しくてたまらなかった。でも口実がなくねだることができずにいたのだ。これはチャンス。一時の恥でファミコンソフトなら安いものだ。思い切ってやってやれ。

 

ポォォォーーーーーーーーーーーーッッ

 

腰を素早く動かしマイケルのモノマネを披露した。

結果まあまあウケた。これでファミコンソフトまで買ってもらえるのなら良い取引だ。父からファミコンソフトが手渡されるのを待とう。

その後、しばらく経ってもファミコンソフトは与えられることはなかった。何かおかしいと父に「あのときの約束は…?」と問うたところ、「ん?約束?」と返された。え、ちょっと待って、マイケルとファミコンソフトのこと覚えてませんか。話が違うんですが。「あ、ごめん全然覚えてないや」とのたまう始末。

めちゃくちゃキレた。結構仲の良い親子で喧嘩なども滅多にするようなことがなかったが、このときは烈火の如くキレ散らかした。こちとら恥をしのんでひと前でいちかばちかのマイケルっぷりをかましたというのに約束不履行とはどういう了見ですかあなたは。しかもその理由がお酒って。大人ってのはこれだから…

という大人に今なっているのだよ、僕は。由々しき問題に気づいてしまった。かつての怒られる側になっているじゃないか。お酒による約束不履行、大いに気をつけて行こうと思う。いや、ほんと気をつけます。

ちなみにファミコンソフトについてはこのやりとりの後速やかに与えられた。父はいい加減な約束はするものの子を大事にするひとであるのは間違い無かったので焦って約束を守ったのである。めちゃめちゃ懐かれてる息子からあんだけ怒られたからさすがに焦ったのもあると思う。

こういった悲劇をなくすために最近お酒が深くなってきたなという頃にメモをとるようにしている。起きた時に前の晩のことを思い出すことが難しくてもきっかけがあればわりときちんと思い出せるものだ。記憶の引き出しに放り込んだものの取手がなくて開けることができなくなってしまっていたところの取手としてのメモというわけである。

今のところうまく行っているような気がするが、これは多分本当に深酒したときはメモをとることすらままならないという日が訪れるのではという予感もしている。

ま、お酒はあくまでも楽しくが鉄則ですな。本当に切実なんで飲酒時の記憶を維持する方法があったら教えてください。

飲まない?ないない🥃

 

お酒を飲んでもきちんとお世話しているサボさんの写真でお別れです。

 

お掃除まるなげできちゃうなんてなんて素晴らしい存在

最近故あって家の掃除当番を担っている。掃除といってもクイックルワイパーで掃き掃除といったところだが、毎日するとなるとなかなか時間を取られるし、透析の日は透析終わりに掃除するのは身体的に少々辛めだ。今まで妻にそのほとんどを任せてしまっていたのだけど、自分がやるようになって1日でもスキップすると結構景気良くほこりがたまりがちであることを思い知らされた。

毎日の掃除、誰かやってくんねえかな…

はい!よろこんで!

てへ、買っちった。

少し前から導入を考えてはいた。この週末はひとまず実機を見に電気屋行ってみるかとそんな軽い気持ちだったのだけど、販売員さんの説明を聞いていたら欲しい気持ちがみるみる膨張し思わず買ってしまったのだ。ちなみに妻も同伴していたので勝手な買い物ではないことだけは申し添えておきたいところ。それにしても我ながらちょろい。販売員さんもまさか買うとは思ってなかったんじゃないかな。それくらい最初は「今日は見るだけなんで」オーラを出して話を聞いていた。買っちゃってるけど。

成り行きで我が家に迎え入れられたルンバ氏。スマホアプリと連動し何かと設定をしていると、命名の儀を執り行えとのこと。言われずとも命名はするつもりではあったがオフィシャルとして推奨している儀式なのだな。よし、良い名前を与えてやるからな。

命名:吸太郎(すいたろう)

さあ、我が家のほこりを存分に吸うルンバ生(人生的な)を過ごしたまえ。ひとつ仲良くやろうじゃないか。我が家の衛生事情は君の双肩にかかっている。

命名の儀もつつがなく執り行われ、早速一仕事お願いしてみた。「よいせ」という声が聞こえてきそうな動きでホームからお出かけする吸太郎。初めての稼働なので部屋の様子を確認しながらせっせと掃除をおこなっている。かわいいやつめ。壁などにも結構当たっており、当たりが結構強かったりすることもありちょっと心配になるもひたむきな姿勢とも感じられ好感が高い。ちなみに音は思っていたより静かだ。ドライヤーの強よりは静かなんじゃないかな。

せっせと部屋を掃除する吸太郎。きちんと掃除できているのかわりと付きっきりで見守ってしまった。ロボット掃除機導入の意味。まあ初回なんでね。次回以降はひとりで頑張ってもらうさ。でももしかしたらこれはロボット掃除機導入時あるあるな行為ななのかもしれない。

しばらく見守っていたところ、部屋の半分くらいの掃除を終えたところで急に静かになったと思ったらもそもそとホームへ戻ってしまった。おい、初日からサボりか。世の中そう甘えもんじゃねえぞと世の中の理を教え込もうと掴みかからんばかりの気持ちで詰め寄りそうになったが、きちんと調べたところ、まずはマッピングをしないといけないらしい。言われてみればそれはそうだ。部屋の作りを全く知らないところへ放り込まれたところでどこからどこまで掃除してよいかわからないというものである。

すまなんだ、吸太郎。指示がよくなかった。まずは家の中を見て回りたまえ。ということでマッピングランをしてもらった。家の中を縦横無尽に駆け巡りマッピングランも終了。その結果を見たところ、きちんと我が家の間取りを再現したマップが出来上がっていた。できる子、吸太郎。

その後改めて一仕事お願いしたところ、概ね上々といった仕事ぶりを発揮してくれた。掃除後に掃除できた範囲をマップ上に塗りつぶされたものが出来上がるのだけど、初回ならこんなものかなといったところだったのでこれからに期待だ。

こうして我が家の一員となった吸太郎。長い付き合いになりそうだ。掃除が終わるとゴミをゴミステーションに捨ててくれるのも愛らしい。可愛がってやんよ。

考えてみると家電量販店で直接商品を買うのって久しぶりだったような気がするな。あれはあれでやっぱり良い。何より目的のもの以外も意図せずとも目に入ってくるというのがネットでの買い物では味わえないリアルショッピングの醍醐味と言えるだろう。

だってこんなものわざわざ見ないでしょう。

お米は鉄鍋に張り付いててはがれない。妻もはがそうとしてた。

こんな葛飾北斎みのある鉄鍋炒飯あおりはネットで買い物していてたどり着かない。たまには実店舗で買い物しようと思えたところでみなさまを良いお掃除ライフを!🧹

 

大事なもんは首からかけときなさい

先日より引き続きお酒のお供は音楽という日々が続いている。いくら酔っているといっても音楽を聞くからにはそれなりに真剣に聞く。そうなってくるとノートパソコンのスピーカーでは音質的に物足りなく、かといってスピーカーにつないで大音量で音を鳴らすわけにもいかない(住宅事情とか妻の機嫌等の観点から)。

さあ、どうする。そう、ヘッドホンなのです。ヘッドホンというかイヤホンなのだけど、とにかくそういったものが必要だ。早急に必要だと駆り立てられるようにアマゾンをポチった。

そうして届いたMy New Gear…!!

えーと、たぶんAnker Soundcore Life NCが商品名なのではないかと思う。結構前に飲み仲間から値段のわりにかなり質が良いということで勧められていたのだ。同じ価格帯で耳にはめるだけのカナルタイプのものもあったが、絶対に失くす自信があったので首から掛けられるものにしておいた。エアポッズなども当然一瞬よぎったが、わしゃあイヤホンに40,000円は出せん…と一気に老け込んだため早々に候補から外しておいた。

ちなみにTwitterで「AirPods 落とした・なくした」で検索すると阿鼻叫喚の紛失騒動が繰り広げられていた。何かの拍子に片っぽ落としてしまったらそれで20,000円だ。新幹線で東京から広島まで行ける。熱海あたりまでなら新幹線で往復して食事付きの宿にだって泊まることが出る。価値観の多様性を感じる。

届いたイヤホンであるが、すこぶる良好である。今まで使っていた有線のイヤホンがあまりよいものではなかったというのを加味しても充分な性能だ。特に低音の出方が好みというのは大きい。

環境が整ったところで昨夜は張り切ってあのメタルこのメタルを…というわけでもなく、2000年代初頭のエモ系の音楽を懐かしんでいた。いわゆる00年代というもの。その中で懐かしくて泣いちゃいそうになったけど新たな発見があったものをご紹介してみようかと思う。

まずはTaken。叙情派ニュースクールの雄である。王と言ってもよいくらいだと思っている。Takenの中でも涙腺を決壊させるのは何と言ってArrested Impulseだ。

イントロからもう走って逃げたくなるほどエモい。イントロから充分泣かされまくているのに1:47あたり、ブレイクからの解放感が死ねる。真っ暗闇から光溢れる場所に高速で飛び出すかのうような感覚をおぼえる。目をやられるぞ、気をつけろ。

Takenは飲み会で言ったらビールみたいなものだ。最初の景気付けみたいな。もう少し懐かしくエモいものをと次に求めたのがSound the Alarm。こちらのバンドは特にSuffocatingという曲が好きなのだけど、まあとりあえず聞いておくれな。

「あの頃」感のあるエモみのある曲だと思う。これはいわゆる完成バージョンというか、最終稿みたいなもので、初稿バージョンがある。こちらも聞いてみてほしい。

音質とか演奏の感じとかわりと粗いのだけど、こちらのほうがなんというか胸を締め付けられるようなエモさがないだろうか。僕は最初にこちらのバージョンに触れたというのもあるのでこちらのほうが好みだったりするのだけど、ブラッシュアップされたバージョンも今聴くと結構よいなと思えた。時が偏見を薄めたのかもしれない。でもPVは今見てもイマイチだ。もしかしたらPVの影響であまり良いイメージを持てなかったのかもしれない。

こんな具合に「あの頃」を楽しみ勝手にエモーショナルな気持ちを盛り上げていたのだけど、魔がさしてPolyphiaを検索したのがいけなかった。

変態テクニックによって現実に引き戻された。このひとたちは本当になんなのだろうというくらいに上手い。上手いという言葉が陳腐な表現になってしまうくらいに超越したテクニックだ。その昔、まだ僕が速弾きは頑張ればどうにか習得できるのではないかと思っていた頃、Dream Theterをせっせと弾いたものだけど、結局きちんと弾けることはなかった。でもワンチャンあり得るのではと思わせてくれるものはあったのだ。Polyphiaにはそれがない。たぶん僕が現代のキッズだったら手を出さなかったのではないかと思う。

普通に音楽の紹介してしまったけど、快適に音楽を聴けて重畳である胸をお伝えしたかった次第である。それというのもゲットしたイヤホンあってのこと。みなさんも快適な音楽ライフのためにお試しあれー🎧。

メンバー編成だったり音楽性だったり…時は経っているんですな

まずい。また食事量が減ってきてしまっている。これはもしかしてバテ気味なのかもしれない。昨日は出社だったので定年派遣おじさんに誘われてご飯を食べに行ったのだけど、ものすごく不本意ながらお残ししてしまった。きちんと少なめで、とお願いしたにも関わらず考えられないくらいにご飯の量が多かったのだ。

たぶんあれ、食欲が普段くらいあってもひーひー言いながら食べる量だったと思う。いつのまにかご飯少なめという概念の歪んだ世界に放り込まれてしまったのかもしれない。次はご飯「少なめ」という曖昧な表現ではなく「半分で」というようにきっちりと量を想像できる言い方にしよう。

ちなみにその少なめご飯というのがこちらになりんす。

たれカツ丼(ご飯少なめ)

考えてもみれば確かに「少なめ」という表現ではあまりにも個人の価値観に頼りすぎてしまっている。埼玉県は東京都に比べて人口が少なめだよね、といえばそれは確かにそうだが鳥取県からすれば段違いにひとは多い。僕は鳥取県のつもりでオーダーしたつもりだったのに、大将の中ではたれカツ丼といえば東京都、少なめだとすると埼玉県かと思ってしまうのも仕方のないことだったのかもしれない。

きちんと鳥取でお願いしますと言えばよかったのか。でもそうするとそれってグラム指定みたいなことになってしまうような気がするのでめちゃくちゃ鬱陶しい客にになってしまうな。まずはきちんと出されたものをきちんと食べられるように体調整えていこう。鳥取とか東京とか言ってる場合ではないな。

出社時のメインイベントに敗北し午後は置きにいった仕事ぶりを発揮。定年派遣おじさんと軽く飲んで帰宅した。

帰宅後攻殻機動隊の続きを見ようと思ったが、帰宅後も引き続き飲酒していたため、酔っ払っているときに見るには話が難解というか、きちんと咀嚼できないような気がしたので音楽を聴くことにした。

わりと好きなアーティストについてはCDを買いたい派であるのだけど、なんだかんだと言ってちょっと聞きたいくらいならSpotifyが実に便利である。昨日もさまざまなアーティストをつまみ食いしていた。そのうちお酒も進んできたところで「懐かしサウンドコーナー」が自分の中で開催されることとなった。ありませんか、酔っ払ってくると懐かしのあのメタル、このメタルを取っ替え引っ替え聴くということが。ないですか、そうですか。

いい具合に自分の中で盛り上がってきたところで自分の人生に深く食い込んでいるバンドのひとつHELLOWEENのおでましとなった。2000年くらいまでしか追えてないので今のHELLOWEENって全然しらないなあと思い、何気なくウィキペディアHELLOWEENを調べてみたところ、メンバーがなんだか多い。ほー、と思いながら名前を確認してみたところ「マイケル・キスク(ボーカル)」「カイ・ハンセン(ギター、ボーカル)とあるではないか。見た瞬間じゅんとした。なにこの胸アツメンバー。いつの間にこんなことになっていたのよ。

たぶん知らないひとからしてみたら全然ピンとこないと思うので軽く説明するとバンド初期の黄金期を築きあげたメンバーが脱退しそれぞれ活動し、長い年月を経てゲストではなくメンバーとして加入しているのだ。一説では不仲説もあったのでこんなことがあるのだなと非常に感慨深いものがある。しかも去年この2人を加えて編成でアルバムを作っているらしいこれもまたチェックしてみよう。

高校生のときの僕に伝えたら絶対に信じないだろうなという展開だ。なんならイタイおっさんくらいに思われるだろう。それくらいにけっこうありえないことが起きたということなのだ。まあ最近全然追えてなかったのでこの展開が至極納得のいく展開である可能性も否定できないが。

他にも2000年代前半に既に解散していたGardenianというメロデスバンドが2018年に再結成?し、アルバムを一枚出していたようで、それを聞いたら別バンドというかもう種族が違うくらいに全くの別物になっていた。ごりっごりのメロデスだったのにポストロックのさらにポストくらい音楽でボーカルもドラムも入っていなかった。別物すぎてなんだかもうびっくりできないくらいの変化だったのだけど、たぶんGardenanを知っている人数はHELLOWEENが東京だとしたら鳥取県境港市くらいだと思うのでこの話もうやめますね。

メンバー編成だったり音楽性だったり20年も経てばそのままであることのほうが不自然かもしれない。それはJUDAS PREASTからKKダウニングも脱退するはずである。音楽性はいつ聞いても「なんか聞いたことある」って感じだけど。いや、褒めてますよ。

いらん火種を置いて今日はここまでということに致しましましょうか!ご機嫌よう!

 

結果オーライでしょ的な連休雑感

三連休、何もしなかったな。天気もそこまで悪いわけでもなく、具合が悪かったわけでもないのになんとなくずるっと過ごしてしまった。でもそういう連休があってもよいのではと妻に言われてそれもそうかと平和な3日間に感謝することにした。

考えてもみれば「いえーい!連休だー!!」とはしゃぐような年齢でもなくなってきている。というよりもはしゃぎまくるフィジカルというものを持ち合わせていない。そうなると自然とメンタルもそこに引っ張られてスン…となる。

金曜夜に知人に飲みに誘ってもらったのだけど、透析終わりから飲み始めるとどう考えても帰宅が丑三つ時にはなってしまうであろうことが予想されたのでお断りしてしまったのだ。まあ金曜は前回の記事でも書いたように少し疲れ気味だったというのも理由のひとつではあるのだけど。以前だったら絶対にお誘いに乗っていただろうし、なんなら食い気味かつ前のめりに参加表明をしたことだったろう。まあ今は以前と自分の立ち位置も少し異なるので判断そのものは間違っていなかったと考えよう。

それでも家に帰ればお酒は飲む。最近は家で飲むウイスキーの銘柄も固定されており、飲酒そのものがルーティン化してしまっていたが、そろそろ新しい風を吹かせようと思い、平日のうちに普段買わない銘柄を買ってきていた。

グレンマレイと読むらしいです。ガンマレイみたいですね。

久しぶりのシングルモルトウイスキー。とはいえスペイサイドなので普段好んで飲んでいるアイラ系の狂ったピート臭のものとは随分異なる趣のお酒であった。まあ、可もなく不可もなく的な。

ちなみにこのお酒、リカーオフというお酒のリユース販売のお店で買ってきたものである。そのリカーオフ、できたばかりの頃は「こんなお店誰が使うんだろうねー」などと妻に嫌味っぽく言っていたものだが、誰あろう僕であった。すまねえリカーオフよ。僕そういうの多いんですよ。とりあえず一回ちょっと否定しときたいみたいな。で、結局ずぶずぶになってたりするの。めんどくせえやつだな。いやあ、今後はそういうの気をつけて行きます。

ちなみに最近はそうでもないが以前はリカーオフで毎回お酒を買っており、その度に3,000円のお酒を買っていた。味とお財布事情のバランス的にそこが限界だったのだ。たぶんあの頃の僕は店員さんから”3,000円”というあだ名で呼ばれてたんじゃないかなと思う。こういうこと考えちゃうのって、自分が逆の立場だったらそう呼んでいただろうなということだと思う。大っぴらには言わないと思うけど。

連休を振り返ってみるとお酒を飲んでいたのと攻殻機動隊を見ていたことくらいしか記憶にないが、冒頭でも述べたようにそういう特に刺激のない時間を抵抗なく過ごせるというのもまた幸せなのかもしれない。

それにしてもなんだか箇条書きみたいな記事になってしまったな。ま、そんなときもございますわ。あ、そういえば前々回くらいで500記事達成したようです。あめでとうございます👏ありがとうございます👏