普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

笠地蔵 おじいさんとクセ強笠

子の寝かしつけのために昔話を流すことがあり、昨日は笠地蔵を見ていた。笠地蔵といえば善良なおじいさんが風雪にさらされたお地蔵さんに笠をかぶせてあげて、その恩返しを受けるという昔話の中でもハリウッドセレブばりに有名な話である。

昨日も”知っている話”としてお話を見ていたのだけど、ふと気になったのだ。

笠、それしか持っていかなかったの?と。

わりとオーソドックスな設定として、金銭的な理由で年末のごちそうやらお酒やらを手にいれることができなかった老夫婦のおじいさんが街へ自作の笠を売りに行き、ひとつも売ることができなかった帰路におじぞうさんがおり、その数はおじいさんの持っていった笠より1体多いというもの。そしてその1体多いおじぞうさんにおじいさんの持ち物で(有名なのは手拭い)で雪除けを施すというものだ。

昨日見たお話のおじぞうさんの数は6体。ということはおじいさんは笠を5つしか持っていかなかったということになる。年末年始の彩りを求めて金策のために街に向かったというのにかさ5つでその財源を確保できる見込みがあったのだろうか。

現代の、というか僕の感覚で考えると年末年始の夫婦のごちそう、お酒を潤沢に揃えるのであればどう安く見積もっても10,000円は欲しいところ。そうなると笠ひとつ2,000円〜で売りたい。けっこうな値段じゃないか。僕はてっきりひとつ数百円程度の売値のイメージだった。

もしかしておじいさん、笠職人だったりするのか。むしろ本職か。そうであればひとつ2,000円でも安いくらいなのは納得できる。とはいえ売れ残っているので買い手はついていない。というかむしろひとつも売れていない。プロの作る笠をもってしても買い手がつかないとなると、よほどのクセ強笠でもこさえていったんだろうか。それかこだわりが強すぎて価格設定を見誤ったか。

いずれにせよ売れなければ意味がないということで持ち帰られたクセ強笠。家のスペースを肥やすくらいであればおじぞうさんの役にたって欲しいという気持ちもじゅうぶん理解できる。良いことしたね、おじいさん。

が、おそろしいのはこの後の展開であった。

おじいさんが帰宅し、あとは寝るだけといったタイミングで風雪吹き荒ぶ家の外から声が聞こえる。

「笠をかぶせてくれたおじいさんはどこだ〜」

え?わし?がっつり心当たりのあるおじいさん。でも悪天候の中深夜に自分指名で探し回られるなんてただごとではない。もしかしておじぞうさんに売れ残りのクセ強笠をかぶせちゃったの、まずかったんじゃ…と後悔し始めると外からもうひと声。

「おばあさんもどこだ〜」

ばあさんバレしてる…!?日中ひとりで行動していたはずなのに。そこまでバレているならもう大人しくするしかない。「こちらです…」と観念するおじいさん。

すると家の前で重たいものが地面に落ちたような音がして、無駄な抵抗を諦めたおじいさんが戸を開け家の外を確認すると、ごちそう、お酒のみならず、金銀財宝が積まれていたのだった。怯え驚きながらもあたりを見回すと降り注ぐ雪の向こう側にクセ強笠をかぶったおじぞうさんが去っていくのが見えたのであった。

というね、そういう話だったかと思います。

ちょっとした優しさの見返りが随分と大きすぎやしないかと訝しんでしまうけど、良いことしてると極楽浄土にいけますよ的な仏教的思想に基づいたお話であると考えれば理解できる範疇ではある。もしかしたらおじぞうさんがなにかしらのロンダリングのために老夫婦へ一時的にその財産を託したという可能性も捨て切れないが。老夫婦の不憫すぎる最後というシークレットエンドがあるかもしれない。子には絶対に見せられない。

ちなみに、昔話でよくあるなにかしらのきっかけで富を得る話を到富譚(ちふたん)というらしいです。我が人生に訪れろ、到富譚。

 

 

 

追いおあげでセミ衣笠丼未遂

数日前、妻がこんなものを買ってきていた。

これのためにどん兵衛食べてる

カップうどん、どん兵衛に入っているおあげを単品で売っているのを発見し購入してきてくれた。どん兵衛を食べるときは何を差し置いてもこのおあげを楽しみにしていると言っても過言ではない。カップうどんってうどんかって言われるとそうでもないような気がするけど、おあげに関してはおあげ以上におあげであるが故に、麺よりこのおあげを食べたくてカップうどんを買っている節すらある。

追いおあげとされてはいるが、なによりも楽しみにしているおあげを単品で食べてもよいという夢のような商品なのだ。

基本的にはどん兵衛に追加おあげとして使用することが推奨されているようではあるが、この商品を見た瞬間に真っ先に思い浮かんだ食べ方がある。

そう、あおげ丼である。

どん兵衛とおにぎりを食べることはもはや常識であると言えるだろうが、おにぎりのチョイスとして、具入りのおにぎりよりも銀シャリおにぎりをあわせたくなるというのが人情であろうというもの。その状態を再現した丼であるというのがこの写真というわけなのである。

でもこれってセミ衣笠丼みたいなことかもしれないな。と、思って食べたらこのおあげ自体に味染みということではないようで、わりと難しい顔をして食べていたと思う。おいしかったけども。ただ、やりたかったことに対しての達成度は75%くらいだったと思う。

100%に近づけるためにはだし汁で煮込む等の対応が必要となるかと思われるが、そうなってくるとふつうに油揚げを買ってきて煮込むのと大差なくなってしまい商品の存在意義を揺るがすことになってしまうので、やはり推奨されているどん兵衛の追いおあげとして食べるのが正解なのかもしれない。余計なことしといてぶつくさ言いなさんなって言われれば押し黙ることしかできない。カレールーなんかも隠し味といってあれこれ手を加えたりするけれども、メーカー推奨の食べ方はルーを箱のレシピ通りに作ることらしいので同じことなのかも。

どん兵衛おあげのアイデンティティを揺さぶる朝食を終え、この日は古くからの知人が家に遊びに来ることになっていたのでせっせと部屋を整えるなどして午前中を過ごした。片付け、と言い切れていないところがポイントである。

お昼頃には知人と合流。昼酒かっくらいながらまったりと過ごす。古くからの知人とは言ったものの、間でちょくちょく5年くらい会っていない時間が発生しており、この間久々に行ったライブでたまたま再会を果たしたのであった。そしていつの間にやら子がいたりなんかして。思えば会ったばかりの頃相手が高校生だったりしたんだった。20年くらい時が経っている。時の流れがこわい。

あった頃はとめどない悪ノリが続いたものだったけれど、僕らももう人生の正午を迎える年齢である。きちんと日暮れ前に解散となった。酒を飲んでいながらだいぶ健康的だったと言えよう。

その後はどん兵衛のおかげなのか酔い方も上品なまま必要なことをきちんとこなし眠りについた。良き休日。

元穴であった空間をコレクションする鬼、ということですか

「雷様におへそを取られちゃうよ」と、こどもの頃に言われた記憶があるひとはいると思う。僕も言われた記憶がある。おへそがなくなったら一大事!素直に怯え、おへそを服なり手なりで隠して雷が止むのを待ったりしたものだ。

そもそもなんでおへそ?の話は以下のサイトをどうぞ。

めちゃくちゃざっくりいうと雷が鳴るような気候下では冷たい風が吹きやすすくなるのでおなかを保護しましょうねの意味でおへそあたりをガードするようにうながしたのでは、という説が有名なようだ。

ほー、なるほど。幼児に理科的な説明をしても響かないだろうから考えられたものだなあと思ったところではたと思う。

おへそって”穴”だよな。”穴を取る”ってどういう状況?と。

少なくとも僕のおへそは窪んでいる。それを穴と呼ぶことにそう違和感はないだろう。それを取るとは。穴を取り除いておへそがあった部分が平地になったとして、雷様がゲットしたおへそは元穴であった空間であるということになる。それは穴と言えるのだろうか。そしてそれはおへそを取ったと言えるのだろうか。

雷様が上司に報告する際、「ほら、こ〜んなにおへそが!」と自分の成果を誇ったとしてもそこにあるのは元おへそとされる空間のみだ。そんなもの「ばっかもーん!!」である。おへその周りの肉ごと持ってくのとかは怖すぎるので今この場では議論しないものとします。空間を集めるってなんだか港区民あたりにうけそうな響きだし。

これっていわゆるドーナツの穴に対する哲学と同じ種類なのではと思ったところででべその存在を思い出した。特にお笑い芸人、東京03の角田氏のあのでべそを。知っているひとは知っていると思うけど、氏のおへそはでべそという言葉で片付けられないほどに主張が強い。身体の外側に出ちゃった嚢胞レベルであるとすら言える。

雷様があれを取っていくと考えたらどうだろうか。途端にコレクションみを感じる。きちんと物体としてハントしていくので上司の評価も得やすいだろう。でべそも個性なのでいろいろなでべそがあるだろうし。

穴と哲学といえばドーナツの穴が有名なようだ。ドーナツをドーナツたらしめているのはあの穴であるが、あれを有ととらえるか無ととらえるかということである。穴が”有る”わけだけれども、生地はそこに”無い”状態。そしてドーナツの穴を食べるという行為は結果として穴を広げるだけの行為となり、最終的には穴を消滅させることとなる。それは穴を食べたと言えるのか。

いや知らねえよって話ですよね。でも哲学ってそういうものらしいです。屁理屈っぽさあるなあと思うけど、思考のストレッチ的な要素があるような気がして僕はけっこう好きだったりする。

そもそもなんで雷様がおへそを取ろうとしているのかというバックグラウンドがわからないし、取ったものをどうするのかもとんと検討がつかないけど、コレクターってのは得てして世間一般には理解されないものなので「そういうひと」ってことで生あたたかい目で次の雷の日を待とうと思います⚡️、

 

菊正宗的パブロフの犬

お酒に対してパブロフの犬みたいなところがある。おいしい食べものを食べるとお酒が飲みたくなるし、お酒を飲むとおいしい食べ物が食べたくなるのだ。僕は自分のことをそこまで限界酒飲みだとは思っていないのだけど、実際のところどうなのだろうか。

たぶん、その理由はこどもの頃にテレビで流れていた菊正宗(日本酒)のCMの影響があるのではないかと思う。

うまいものを見ると 菊正が欲しくなる

辛口の菊正を飲むと うまいものが食いたくなる

うまいものを見ると また 菊正が欲しくなる

辛口の菊正を飲むと また うまいものが食いたくなる

きぃくまぁさぁむうねぇ〜

と、菊正宗専用のCMソングと共に上記フレーズが語られるCMがけっこう頻繁に流れていたと記憶している。リンク

まあこういうイメージですわな

まさにこれが焼き付けられているため現状のおいしいものとお酒の強い結びつきに対してわりと自然であるのではないかと考えているのだ。そしてそう考えるが故においしいものを食べてすぐにお酒を飲みたくなってしまうくらいでは病的にお酒を求めるほどではないであろうとそう感じている。うっすら際どいものを感じながらも、ではあるが。

考えてもみれば、昔はお酒のCMってわりとふつうに流れていた。日本酒くらいであればまだ時代を下ってもやっていたかもしれないが、昔はウイスキーのCMだってあった。そしてそれが”かっこいい大人が嗜むもの”というイメージでばんばん流れていたのだ。たばこも同じテンションだったな。

今であれば無傷では済まない表現もふんだんに使われていたと思う。時代は変わった。僕は今の時代のほうが好きかな。その割にはお酒に対して脳が菊正宗だけど。

時代が変わったといえば、昨日職場で聞いた話もなかなかにしてすごかった。かつて、1990年代初頭あたりに会社オフィシャルの資料として社内に出回っていた資料の内容が今ではごりごりのコンプラ違反文書であったというのだ。

詳しい内容までは聞いていないが、女性を絡めた下ネタを散りばめることによって内容の記憶定着を狙っていたらしい。たぶんだけど秘宝館的な方向性のものだったのではないかと思われる。読んだらげんなりしそう。

なんでそんなことに…と思ってしまうが、文書製作陣が昭和脳であることは言うに及ばず、やはり時代というものは関係していたらしい。いくら今より色々おおらかな時代だったとはいえ、そんな最低なものが女性の目について良いわけがない。それはそう。でも実際に作られてしまっているのはなぜか。

女性の目にとまることが全く想定されていないのである。あのくらいの時代は女性会社員は冗談抜きにお茶を淹れること、コピーをとること、デスクの灰皿を交換することを業務にしていたのでそういったいわゆる総合職が目にするような資料は見ることがなかったというわけなのだ。

そういったわけで金太の大冒険がシリアスに思えてしまうのではというばっきばきの低俗資料が爆誕したのだろう。ほんと、すごい時代。いや改めて僕は今の時代に生きていてよかった。男だしおじさんだけどそういうのちょっと無理だもの。

なんと、直属の上司はこの資料をまだ持っているらしい。怖いもの見たさで少し見てみたい。お化け屋敷に入るひとと同じ心理かなと思ったけど、あちらは安全が保証されているけどこちらは心の清廉さを失う恐れがあるのでリスクしかないかもしれない。やっぱりやめとこうかな。

前述の通り基本男性しか見ていないはずのものだが、同じ島の姐さんは見たことがあるらしく「すごかった」と言っていた。なんでも知ってるな、姐さん。さすがだ。

たぶん、ああいった時代を生きていたひとの中でひと握りのひとたちは価値観をアップデートできていなかったりするのだろう。そのくらいの年代のひとはあまりインターネットを使いこなせていないので目立たないが、ネットに放り込まれたら炎上間違いないだろうし、なんなら燃え続けて火が消える瞬間などなく地獄の門の方が先に火が消えるかもしれない。

僕も昭和の菊正宗的お酒の飲み方ではなく、令和のお酒の飲み方をしていこう🍶

スパムと久々に再会したらちょっと知らないひとになってた

最近週末は外出の予定も多かったので先週末は家やら近所やらでゆったりと過ごした。

ベビーカー可のカフェでおにぎりを食べたり

ふっくらめに握られたおにぎり

知人が営むたこ焼き屋に夜ご飯を買いに出かけたついでに1杯飲んだろと思ったものの大盛況でお店に入れなかったところをまごまごしていたら持ち帰りカウンター越しに飲むことを許可されてひとり外立ち飲みを行ったりなどした。

外で飲むのに非常に良い時期。

そして日曜。今年に入って一番と言える気候の良さを逃すまいと散歩に出かけた。本当はデイリーポータルZのあゆみ展に行きたいという気持ちがあったのだけれど、店は2階にあり、当然ベビーカーで入れるような場所でもなく、ひとりで入るのも気が引けた…いや、単純にめちゃくちゃ日和って大人見知りスキルを発動させただけが正直なところでした。そういうわけなので入店は見送りそのまま散歩を続行させた。

散歩ルートに年に数回は帽子を購入している帽子やがあったので冷やかすつもりで入店してみるもまんまと新しい帽子を購入してしまった。帽子屋って意外とないし、あったとしても近所にはない。それにちょっとおしゃれっぽい帽子をかぶっているとファッション自体たいしたことなくても底上げ感が出るので本当に重宝している。

その後新しい帽子をかぶって再度歩き始める。歩いていると妻がスパムおにぎりを所望したので「そんな都合よく売っているわけが…ってあったー!」という鮮やかなるノリツッコミ的出来事が発生した。ちなみに売られていたのはナチュラルローソンだ。数が少ないのも相まってナチュラルローソンをありがたがる傾向にある僕ら夫婦だが、この度の一件でもはや崇め奉る対象になりつつある。

スパムおにぎりを食べたらスパム熱が俄然高まり始めたため、夕飯はスパム丼にしようと大決定した。そこで驚愕の事実を知ることとなる。

な…700円以上…するの…!?

なんと700円以上もする値段で売られていた。缶詰の類ではそんなに安いものという認識ではいなかったが、その値段におののいた。この製品はアメリカのものだし、もしかして円安の影響ってあるんだろうか。いやはや、たまげた。

しかし値段に震えはしたものの、いちど高まったスパム熱を鎮火することなど到底できず、強い心と想いをもって買い物かごに放り込んだ。ついでに久しぶりにコンビーフも食べたくなって値段を確認したが、コンビーフもまあまあ根が張ることを確認し、その眼力に耐えられず即座に目を逸らしてしまった。そして隣にちょこんと陳列されたニューコンミートに対してさも「これこれ〜」という顔で手を伸ばし買い物かごにインした。ニューコンミートからしてみたら感じ悪いことこの上ない。慣れてそうだけど。

ビーフに対してミートという一気に間口が広がるネーミングもまたよし

ちなみに、しばらく食べ比べてないからなんとも言えないのだけど、前にコンビーフとコンミートを食べ比べたときはそんなに大きな違いを見出すことはできなかったので僕みたいな雑舌を持つ人間はこだわる必要はないのだろうなと思う。そもそもコンミートに馬肉が使われているというのは僕からしてみたら加算ポイントとすら言える。

その後帰宅。家でスパムを食べるなんてどれほどぶりかわからないくらいに久しぶりだったので正直どんな感じの味だったか忘れてしまっていた。ハムとソーセージの間くらいだったかなという曖昧な気持ちで口に運んだところ、沖縄でそんなこと口走ったら張り倒されるんじゃないかなというくらいに全然違った。

張り倒されたくないからいうわけではないけど、こんなにおいしかったっけというくらいにおいしい。値段のことはともかく、これはまた近いうちにリピートするだろうなといくらいにテンションをぶち上げることとなった。そして大事に食べた。

焼くと抜群にうまい

こうなってくるとお酒を飲まないでいられるわけがないので豚という存在、ランチョンミートという食べ物を発明した世が世なら覇権を取ったに違いない人物に感謝しながら杯を乾かした。

このくらいの温度感の休日、非常によきです。

サイゼリヤを思い浮かべると一瞬小林亜星がよぎる世代

かなり久しぶりにサイゼリヤに行った。自分の記憶はあてにならないのでカメラロールをあさってみたところ、2022年2月が最後に行ったサイゼリヤであったと思われる。その時は散歩の休憩で入店し、つまみとおビールというコースだったのでそこまで強くは思わなかったが、昨日のお昼ご飯にサイゼリヤに行って驚いた。

めっっちゃくちゃ安くないですか、サイゼリヤ。何を今更と言われるかもしれないが、ちょっとどうかと思うくらいに安かったので思わずこの場でお気持ち表明したくなってしまったのだ。

め…目玉焼きまでついてるーー!!

ハンバーグとライスを頼んで650円くらいだったと思う。そしてこれでもサイゼではミドルランクのハンバーグなのだから驚きを通り越してもはや不安すらよぎる。大丈夫なんか、これは。狐狸妖怪の類に化かされていて実は馬糞でも食わされているのでは。馬糞で650円は極悪な値段設定ではあるが。

不安な気持ちを空腹で押し殺しハンバーグを口に運ぶ。きちんとおいしい。厳密にいうと牛豚以外の肉の風味を感じるような気がするので好みが分かれる可能性はあるなと思ったが僕には充分なお味である。蛇足だが松屋の方がハンバーグの値は張る。

少し前に最近のサイゼは質が落ちて残念だみたいな旨の意見を見かけたが、この値段のサービスによくもまあそこまで言えるものだなと思ってしまう。針小棒大に難しいことを言いたいタイプのひとっているのでそういう意見もありますよねということで僕はうっきうきでサイゼを利用しようと思う次第です。

サイゼとはいえばデートのご飯で行くなど言語道断派閥がいることで知られるが、あれは一派が武闘派なだけでわりとサイゼ好きな女性っていると思う。妻もサイゼ好きだし。こう思っているのは僕だけで妻がサイゼに対して憎しみの心を育てていたらどうしよう。もしそんなことになっていたらミラノ風ドリアで平和的解決を目指したい。

それよりもサイゼのデート関連の話でいうと北海道在住カップルの女性がTwitter(当時)でつぶやいていたことを思い出す。「おすすめのイタリアンがあるから今度のデートで行こうよ」と言われ楽しみにしていつもよりもおしゃれして着飾った状態で到着したのがサイゼでとても恥ずかしい思いをしたという内容だったと思う。

いやまあものを知らない彼もちょっと問題ではあるのだけど、彼はサイゼを本当に良いお店だと思い、こんな良いお店で彼女とご飯を食べたいと思っての行動だったわけなので、がっかりされて下手したら別れ話になりかねない事態になってしまったことに心がキュっとなる。サイゼがダメということではなく、共感性羞恥案件だ。

このカップルのその後は知る由もないが、もし破局していたら彼にはマグナム(一升瓶みたいなワイン)で悲しみを洗い流してほしい。エスカルゴだってあるんだ。サイゼは立派にイタリアンだよ!ただ、ここぞの1発でサイゼを繰り出す度胸とサイゼ愛を僕は持ち合わせてはいないけれども。

バズりネタは色々極端であるわけで、実際僕がご飯を食べに行ったこの日、隣はカップルだったし、それ以外にもそこそこカップルはいたので実情ってのはこんなもんだよなと思えた。

僕はサイゼに行くのが久しぶりすぎてサイゼのお家芸のひとつである変な難易度の間違い探しをすっかり忘れていたのだけど、隣のカップルは熱心に違いを探していた。男性はその手のものが苦手なのか、なかなか違いを見つけられず「おもんないレベルでわからん」とのたまっていた。わかる。どういう気持ちでこの問題作ってるんだよと思ってしまうもの。

その後カップルはオーダーしたものが提供されてもメニュー立てに絵をおいて違いを探し続けていた。この日の僕には違いを探す気力はなかったので写真だけ撮ってきたのでせっかくだからアップしとこ。

今見てもさっぱりわからん

 

00年代の歌舞伎町地下へ集団タイムトラベル

その日、大久保の地下は00年代の歌舞伎町の地下と化していた。

どういうことかというと写真の通りなわけなのだけど、写真を見ただけで理解できるひとがいたのだとしたら、僕とは既知の仲かどう遠くても知り合いの知り合いくらいというとても狭い範囲への比喩表現なので説明しようと思う。

かつて歌舞伎町の片隅に存在した「新宿URGA」というライブハウスのブッキング担当が数々のライフイベントをを理由に一線を退いていたのだが、ブッキングに割くリソースを確保できるようになったということでこの度イベントを開催したのだ。そのメンツというのが写真のバンドたちということである。それが00年代後半くらいのお話なので冒頭の表現となる。

これがもう本当に感涙ものなわけでして。月に1回や2回は写真のメンツでライブをやっていたと言っても過言ではないくらいに”ザ・URAGA”なメンツなのだ。それくらいに「あの頃」感の再現度が高い。というかここに僕がやっていたバンドがまざっていてもなんら違和感がない。

これを見て「あ、URGA」と思うというのはそれだけブッカーの好みと特徴、ひいてはライブハウスの示すキャラなどをあらわしていたということなのだなと時を経て改めて思う。当時としては僕もその一助になっていただろうという自負がある。

それにしてもこのメンツでのライブの何がすごいって、みなさん僕より年上なのよ。僕が本格的にバンド活動を始めた頃にはすでに活躍されていた皆さんなわけで、要は20年は活動歴がある方々ということなのだ。僕はその間にバンド活動の幕をそっ閉じしてしまったけど、みなさんはバリバリの現役バンドということに頭がさがる。ちなみに全部メタルバンドです。

そういうことなのでみなさん人生の酸いも甘いも噛み分けたナイスミドルであるのだけれも、それを感じさせないくらいに最&高なパフォーマンスであった。実際、ライブが始まればベテランの安定感と、逆に(良い意味で)ベテランとは思えないくらいのエネルギッシュさが同居した素晴らしいライブを披露してくれた。

こうなってくるとそれぞれのバンドのライブをレビューしたい気持ちになってしまうけど、めちゃくちゃ長くなるのとパイセンバンドをレビューするなど恐れ多すぎなので控えとこうかともいます。前述の通り最&高、極of上でございました。

当然それぞれのバンドが今を歩んでいるのだろうけれど、あの夜大久保earthdomにいたメタルヘッズおよびURGAメイツは一点の曇りもなく「あの頃をありがとう!!」と満場一致で思ったに違いない。

げんさん、そんな素敵な夜を2024年に復活させてくれてありがとう。ごっそうさんでした。まだまだおかわりいけちゃうんじゃない?🍚